第百二十話 秘密基地潜入
陽が落ちて入り口のところだけが照明に浮かび上がっている。建物のシルエットは暗闇の中で巨大さを増したように思えた。
入り口には門番がいた。黒いスーツの男たちだ。
入れてくれるはずはない。でも入らなければ始まらない。
女スパイならどうする? 酒膳 呂磁緒では店員に成り代わった。ミゾオチにドスってやってだ。黒いスーツの男の一人が入り口から出てきた。見回り役だろう。一人だった。あいつのスーツがあれば。
胸板の厚いいかにもSPとかをやってそうな男が相手だ。とおんなら別だが俺は素手じゃ勝てない。
俺は小屋の中に入った。入り口の扉は釘で打ち付けられていたが、窓のガラスが割れてそこから入った。なにかないか?
携帯のライトを頼りに小屋の中を探る。モップがあった。長い柄……
手にとってみる。モップの部分はレバーをひねると外せて、長い柄だけになった。
とおんとエレクトリカルブレードの練習をしていて思っていたことがある。もっと長さが欲しかったのだ。長さがあればとおんと互角とは言わないけれど、少しは粘れるのにと思って、そう提案したのだ。だけど、とおんは「長いのはずるい」とか「携帯できないからスパイ向きじゃない」とか言って認めなかった。
意外に手になじむ。これは棒だな思う。獅子舞を思い出す。獅子舞の棒…… 薙刀が得意だったのだ。小学生の頃、獅子舞の練習を夏の前は毎日やらされた。薙刀の先生が教えてくれたのだが俺はうまい方だった。いや一番うまかった。中学で薙刀は女子の部活だったからやらなかったのだ。
薙刀よりは少し短い。もっと長さがあれば自信を持って戦えるのだろうけど、ないよりは全然いい。
歩哨役の黒スーツの男は暗闇の中を歩いている。入り口からだいぶ遠い。そっちの方へ俺は低い体勢を保って向かう。
「おい」
声を掛け、歩哨が振り返った瞬間、棒の先端は男のミゾオチに入っていた。
黒スーツが崩れ落ちる。やれるじゃないか!
男をものかげに運んで服を奪って着た。
男はエレクトリカルブレードを持っていた。役に立つか? ブレードは触れるだけで敵を電気ショックで失神させることができる。ただ暗闇では発光するから隠密性はない。潜入にはふさわしくない武装だ。乱戦になれば隠密性もなにもないが、そういう事態は避けたい。持って行くか迷った。俺は短い得物よりはこの棒の方がいい。
とおんならうまく扱えるかもしれない。結局エレクトリカルブレードも腰につけた。黒スーツになりすますのだから、完全にコピーした方がいい。
男の眼鏡…… トレードマークのようなそれをつけた。度がきつすぎる。棒の先でレンズを割って掛けた。
入り口の方へ向かった。そこだけ灯りがついていて暗闇の中にぼんやり浮かび上がっている。
ガラスの入っていない眼鏡。服のサイズだってだいぶ合ってない。急にそのことが気になってきた。暗くて分からなければいいけれど、ずいぶんと入り口の照明が明るく感じる。秘密基地なのに。
黒スーツの男は二人、ゲートの入ったすぐのところに机とイスを置いてかけていた。
「お疲れ。異常なしか?」
一人が声を掛けてきた。
「ああ、お疲れ。異常なしだ」
「おい、なんだそれは?」
もう一人が俺が手に持っていた棒に気がついた。
「あ、ああ。モ、モップだ。外に忘れてあったんだ」
うつむき加減で小声で返事をする。偽装するため、柄の棒の部分だけではなくモップの部分もつけていた。
「ふうん。マメなやつだな」
柄を握りしめた。二人相手…… やれるのか? 一人を棒で突いて、もう一人はエレクトリカルブレードを抜くか。心臓が早くなる。先走りしそうになる気持ちを抑えてゆっくりとゲートを抜けたが、呼び止められることはなかった。
廊下を行く。白衣の二、三人と、黒スーツの男にすれ違う。特に怪しい目で見たり声を掛けられたりはしない。行き交う奴らは全員男で女性とは会わなかった。どうやってとおんを探せばいいのだろう。しらみつぶしにいくしかないのか?
案内板のようなものはないか?
あった。立ち止まってそれを見た。
外から見たイメージもそうだったが、建物はほぼ円形をしているようだった。五層構造だ。区画に記号が書いてあるが、室名はなく、それがなにかは分からない。案内板と言うよりも工事の設計図に近い。それでも、階段とかの位置は分かる。それを写メで撮る。
廊下の前を歩いていた白衣の研究員が部屋に入る。俺もそれに続いた。研究室、ラボだった。ヤオヨロズふぉれすとのトマートーマやケルビンデザインの研究施設を広くしたような部屋で、何人もの研究員が実験器具を前に作業している。顕微鏡を覗いている者、クリーンベンチで精密な作業をしているもの、実験台の上では四、五人で装置を組み立てている。
とおんはいない。こういう場所にはいないだろう。それに女性は一人もいない。
俺は研究室を出て廊下に戻った。とおんを探す。とにかく片っ端から扉を開いたが、同じような研究室が続いて、どこにもとおんがいる様子などなかった。
廊下は円形の建物の外周部に配置され緩くアールを描いているのだが、そこに窓が全くないことに気付いた。普通は建築基準法で認められないものだ。
廊下の外側は半透明の白いプラスティックのような見たことのない素材で出来ている。その脇にはスイッチがついていた。照明だろうか。スイッチを何気なく触れる。
半透明の白いプラスティックが突然変化した。黒くなったのだ。なんだこれは。よく見ると真っ黒ではなく、かすかに青い光が見える。なにかが映し出されている。あ。外の風景だった。うっすらと木々のシルエットが月夜に浮かぶ。これはスクリーンなのか。
廊下全部に等間隔でスイッチがある。隣の区画のスイッチを押すとそこにも外の景色が映し出された。窓のないわけが分かった。この先もずっとこんな感じでは窓はないのか。窓が開かないのは脱出の際に苦労するかもしれない。閉塞感が増したような気がした。
少し広い場所に出るとエレベーターがあった。全ての部屋を見たわけではないが、とおんはこの階にはいないような気がした。冷静に考えてみて入り口の近くに捕虜を監禁するようなことはないのではないか。上がるしかないのか。
エレベーターのボタンを押すと白衣姿の二人組が来て一緒に乗った。俺の持っているモップをじろりと見たが、すぐに研究の話題を声高に続ける。
「ジェネレーターの効率を増すにはインテイク側の回路を二重化するしかないでしょう」
「エイリアナイズドの進行も倍加されぞ。いや、むしろ消費効率の歩留まりが悪いんじゃないのか」
「しかし今の限られたエネルギー源では浮上させる質量に対して……」
俺は二階で降りた。
研究者たちが話していたのは、彼らが開発しようとしているUFOのことだろう。八木亜門がUFOを開発しようとしていることは突き止めたのだ。
なぜ、これほどまでにきなくさい感じがするのだろう?
たしかに、これまでにない理論、反重力という技術を開発して空を飛べるということはすごいことだ。兵器であれ輸送手段であれ、運輸というものに革命を起こすだろう。秘密にしておきたいというのも分かる。
探ろうとしているものを攻撃する必要があるのだろうか。それにマンション開発を装ってみたり、放射能漏れの事故を演出したり。亜門のUFOはもう完成しているように見えた。基盤となる技術は開発されているのだ。だったら学会で発表すれば大きな成果になるはずだ。それこそノーベル賞ものの。なぜそうしない。とおんが言うようにUFOの開発のその先になにか大きな陰謀があるのだろうか?
廊下を進んで扉を開けた。広い部屋にはトレーニング用の器具が設置され、黒いスーツの男たちが体を動かしていた。ジムか? 端の方では戦闘訓練のようなこともやっている。
ただ、ジムと違うのはトレーニングウェアを着ているのではなく、全員がネクタイまで締めた黒スーツにメガネの姿で鍛錬していたということだった。異様な風景だ。何人いるのだろうか? ここは黒スーツたちの訓練所だった。まさに敵の巣窟である。
うわあ。
「おい、入り口に邪魔だぞ」
後ろから声を掛けられた。
「あ、ああ」
俺が下がると男たちが入っていった。
ここにもいなさそうだ。とおんはいったいどこにいるのだろう?
聞いたらどうだろうか。そんなアイデアが閃いた。
いやいやいや。ヤバいだろう。
でも、こんなふうにしらみつぶしにいっても時間がかかってらちがあかない。
しゃべればバレるリスクが圧倒的に高くなってしまう。
でも、のんびり探しててもいいのか。とおんの身に危険が迫ってるんじゃないのか。
こんな敵の巣窟で聞くのがいいのか。でも廊下ですれ違う奴を呼び止めて聞いたらその方がよっぽど怪しいじゃないか。
とおんが来たこと、スパイがあの手首を持ってのこのこやって来たというのは、それなりに大きな話題になっているはずだ。戦闘だってあったんだ。
意を決して室内に進む。モップは入り口近くの壁に立てかけた。エアロバイクはまばらで半分くらいしか使われていない。その中の一台に乗った。
何気ないふりをしてバイクにまたがってペダルを漕いだ。よし、馴染んでる、馴染んでる。俺は自分に言い聞かせた。
左隣に同じようにエアロバイクを漕いでいる奴がいる。
なんて声を掛けよう? 女スパイがつかまってる場所とかって知ってる、か? いやいや、ダイレクト過ぎるだろ。
「スイッチ入ってないぞ」
ぐあ。どうりでペダルが軽いと……
俺はスイッチを入れた。ペダルに抵抗が加わる。
「お、お疲れ」
俺は声をかけた。
「おまえ、見ない顔だな」
うわ。いきなりイヤなことを。
「そ、そう?」
「何班だ?」
ど、どうしよう? いや、ここは適当に言っておけば……
「えと、さ、三班……」
「あん?俺 と一緒じゃねえか」
やっ、やらかした~
「いや、さ、三班に入りたかったんだけど、四班になっちゃったっていうか。あはは」
訳の分からないことを言って、笑ってごまかす。
「四班? 四班なんて出来るのか? 聞いてねえぞ」
ぐっ。三班までだったのか……
「いやさ、今度、四班が出来るみたいなんだけど、とりあえず、今は二班に」
「なんだ二班か。なら、そう言えよ」
「ははは」
笑ってごまかす。とにかく話しかけることは出来た。後は……
「あ、あのさ、女スパイがつかまったって知ってる?」
俺は本題に入った。
「ああ、夕方だろ。なかなかいい女らしいがな」
「どうなるんだろう?」
「さあな。女だからって敵だからな。実験サンプルにでもされるんじゃねえか」
「実験サンプル!?」
「たぶんな。もったいねえけどよ。せっかくの女なのによ」
「い、今、どこにいるんだ」
「そりゃ、三階だろうよ」
「三階のどこ?」
「なんだ。見に行こうってのか。やめときな。今岡さんとかにさぼってんの見つかったら、へたすりゃ『暇なのか? 三〇分ほど、動力室に行ってもらおう』とか言われるぞ。ふぉれすとから、こっち来て、シャバから離れて飢えてんのかもしれないけど、プロジェクトが始まっちまえば、女なんてよりどりみどりなんだからよ」
「新入り、ところで、おまえ名前なんてんだ?」
「えっ、えと」
口ごもっていると、男が俺のスーツの胸のあたりに手を伸ばした。名札に触る。
「ん、おまえ、高木って。へえ、高木班長と同じ名前なのか? ん、それ、うちの班長のバッジじゃないか」
「い、いや、こ、これは……」
男の顔色が変わる。
「おっ、おまえ、なにもんだ?」
「えっ、いや、その」
「そのメガネ、レンズがないじゃないか。まっ、まさか、スパイの……」
バチッ!
俺はエレクトリカルブレードを起動してしまっていた。男のわき腹を電気の刃が貫く。
男はエアロバイクのハンドルに突っ伏して失神した。
すぐにエレクトリカルブレードのスイッチを切る。周囲を見渡す。皆、自分のトレーニングに集中していて光の刃が閃いたことに気づいていない。
「つ、疲れちゃったんだ。休んでおいてよ」
エアロバイクに突っ伏している男をそのままにして、俺はとおんが捕まっているという三階へと向かった。