第百十四話 自衛隊機にロックオンされちゃいました
超絶マッサージにとおんが寝落ちして、酔いが回った美々さんもリクライニングシートでコテンとなった。女性陣二人の電池が切れてヘリの中が静かになる。もちろんバリバリという騒音はしてるんだけど。
黒崎次長を乗せた新幹線はどこらあたりを走っているだろう?
「追いつけるかな?」インカムで馬都井くんに聞く。
「急がなければいけません。ですが、この分だとぎりぎり上越妙高の手前で追いつけそうですね」
長野までには追いつきたい。新幹線を使ったことから、まず富山ではないだろうけど、その先どこで降りるか分からない。上越妙高という可能性もないではない。新潟の方へ向かうのだとすればそこで下車だ。大宮、上野、東京、黒崎次長はどこで降りるのか。
まず、なんとしても早く新幹線に追いつかないと黒崎が駅で降りてしまっては追跡できない。レーダーの範囲に捕捉できなくなるからだ。発信器の電波の到達範囲は二、三キロ程度しかない。
「発信器の出力がもっとあればいいのに。それかGPS情報を携帯の電波で全国で受信できるとか」と俺は思いつきを言った。
「出力は内蔵バッテリーの関係ですからしょうがありませんね。電波を強くしようとすると靴裏に貼れないぐらいの大きさになります」 と馬都井くん。
ヘリは山岳地帯を飛んでいた。迫り来る峰や斜面を避けてヘリがゆるやかに旋回していく。
「直線的に飛んだ方が早く追いつけるんじゃ。もっと高く飛べば」
「そうですね。ですが低く飛ばなければいけない理由もありまして」
「へ?」
「レーダーをかいくぐる必要があるのです。低空飛行でないとレーダーに発見されますからね。飛行計画を通報していないのです。一回の飛行距離が九キロ以内なら通報なしでもOKなのですが、今回のフライトは九キロでは収まらないですから、実はしかるべきろころにフライトプランの提出が必要なんです。高度をなるべく抑えておかないとレーダーに映っちゃいまして、あの長距離運行している航空機は何だとなってしまうのですよ」
「ふうん」
冷静を装ったけれど、それって微妙にマズいことなんじゃないか。スパイに関わってから、なんかいけないことばかりしているような気がする。
地形に沿ってなめるようにヘリが飛行していく。地上の樹や草がヘリの風になびいてた。
ヘッドフォンに突然、耳障りな雑音の混じった無線交信が割り込んできた。
「ああ、無線を傍受しているのです」怪訝な顔をした俺に、馬都井くんが言う。
無線でしゃべっていることはよく分からなかったが、alertとかscrambleとか聞こえた気がする。
「なにか、特別なことが起きているようですね」
「も、もしかして、このヘリが?」
「いや違うでしょう。レーダーに映る高度じゃない。おそらく領空侵犯かな。国籍不明機か何かが出現したのでしょう」
「領空侵犯……」
穏やかじゃない。
「ついてません。自衛隊機がスクランブル発進したとは」と馬都井くん。
まったくもって穏やかじゃない。
ヘリの計器の一つ、円形のモニターにグリーンの点が光った。
それがレーダーであることは俺にも分かる。光点はレーダーの中心に接近していた。
「このスピード、音速ですね。自衛隊機か……」
「こちらへ向かってるよね」
「面白くないですね。タイミングが悪い。なんで今日に限って領空侵犯なんか。まったくついてないです」
俺はレーダーの光点の方角、機体の左後方を振り返った。
青い空に黒い機体が目視された。
機体が旋回した。まっすぐこっちへ向かってる。
「え、このヘリ、領空侵犯機とかに間違えられたんじゃ?」
「そのようです。まずいな」
『ピー、ガガッ。こちら、アクイラ3。未確認機の機体を捉えた』
傍受している無線がヘッドフォンに響く。自衛隊機と地上の管制との交信だ。
突然大きな音でヘッドフォンに無線が響いた。傍受している雑音まじりなのではなく、明瞭にこのヘリに向けて交信されたものだった。だが英語で早口で聞き取れない。
『警告、警告。不明機に告ぐ。こちらは日本国自衛隊所属のJA9163。貴機の国籍、機体識別番号を報告せよ。貴機は飛行計画が未登録である』日本語がヘッドフォンに響いた。
「どうすんの?」
「……」
馬都井くんは無視した。
『不明機に告ぐ。国籍、機体識別番号を報告せよ』
馬都井くんは答えない。
『不明機、応答せよ。貴機は領空を侵犯している。ただちに進路を北西方向に変更せよ。従わない場合は攻撃する』
「こ、攻撃って!」
「ロックオンされましたね」と馬都井くん。
「ロックオンって?」
「戦闘機の火器管制レーダーに捕捉されたということです。目標追尾式のミサイルを装備しているでしょうね」
「うえっ! 撃墜されちゃうじゃないすか!?」
「大丈夫。次はたぶん機銃による威嚇射撃ですから。威嚇です、威嚇。20ミリバルカンなんてそう当たりませんよ」
「いやいやいや、ちょっ。そう当たりませんよじゃなくって!」
『不明機に告ぐ。北西方向に進路を変更せよ。従わない場合は直ちに攻撃する』
馬都井君はついに操縦桿を左に切った。北西方向にヘリが向きを変える。
そうだよ、そうだよ、撃墜されかけてんだよ。
「やっかいですね。早く逃げないと。新幹線に追いつけない」
「いや、だから戦闘機だよ。たぶん、マッハとか出るし、逃げられるわけな……」
「しかし、お嬢様のご要望をかなえないわけには。睦人さん、そのスイッチを操作してもらえますか」
「は?」
「水平角度をマイナス20度、仰角を60度にセットしてください」
言われるままに自分の目の前にあるスイッチを回してデジタル表示の数字を-20と+60に合わせた。なんだろう、自動操縦とかのスイッチか?
「ボタンを押してください」
「う、うん。じゃ、ポチッとな」
ボンッ!
ヘリコプターの前部、操縦席の下あたりから破裂音とともに射出された。
「ミ、ミサイル!」
後端より炎を吹き出したそれが、自衛隊機の方へ向けて上昇する。
まずいって、まずいって……
ズダアアアアンッ!
轟音がしてヘリコプターの上空に黒い雲が広がる。
うわわ。俺たち自衛隊機を攻撃したのか?
「煙幕弾です」
「なっ、なんで煙幕なんてあるのさ!」
「前にもお話ししたとおり、馬都井家は代々忍者の家系でもあるのです」
なるほど……って、なんか納得できかねるよっ!
次の瞬間、重力が消えた。
墜落するような勢いでヘリが急降下していく。
「ひぃえええ~」
地上がぐんぐん迫る。
落ちる、落ちるっ!
地面に激突する寸前で、強烈なGが身体を襲った。
目の前が暗くなる。血液が頭から抜けるのが分かった。
地面すれすれのところでヘリはホバリングしていた。
そこは高速道路だった。そして高速道路の先は山の腹にぽっかり開いたトンネルが続いている。
「ま、まさか」
山の中腹にあいた黒いトンネルの開口部はとても小さい。
「ちょっ、ぶつかるってっ!」
馬都井くんは躊躇することなく、ヘリをトンネルへ侵入させた。
オレンジ色のナトリウム灯が機内を照らす。ヘリはトンネルの中を飛んでいた。
「これで自衛隊機は撒けるでしょう。煙幕が消えた頃にはヘリは忽然と消えていたというわけです」馬都井くんは俺にウィンクした。
「そりゃ、こういう狭いところへ入るなんて考えないだろうけど、ヘリでトンネルを抜けるってスパイ映画じゃないんだから」
「高速道路の2車線のトンネル幅は11メートル以上はあります。このヘリの翼長は10.3メートルですから楽勝ですよ」
楽勝ってほど余裕はないような…… でも馬都井くんの操縦技術ならってことなのだろう。
そのとき、正面からヘッドライトが迫ってきた。
「うそっ! く、く、くっ、車来たがなあっ!」
「睦人さん、そっちの壁面を見てください! 機体を傾けますっ」
えええっ!
ヘリが斜めにホバリングする。ローターの先端がトンネルの壁面すれすれをかすめる。こちら側を下げて、馬都井くんの方を上げることで対向車のすり抜けるスペースを作るって?
「まずいって! もう地面にぶつかるよっ」
「後、何センチです」
「ひーっ。あぶあぶ」でも正面からは車が迫ってくる。ぶつかったら惨事だ。文句言って場合じゃない。トンネル内で衝突炎上! 冗談じゃない。ローターの先の距離は?
「さ、30センチくらい」
「まだ、いけます」馬都井くんはヘリをさらに傾ける。
ヘリのローターが地面をかすめて火花が散った。
「当たってる、当たってるっ!」
俺の言葉に、少しだけ馬都井くんはヘリの姿勢を戻した。
対向車が迫る。
フオンッ。
ヘリと乗用車が行き違った。運転席の奴がこちらの方を幽霊でも見るような目つきで見ていた。
ヘリの後方へ乗用車のテールランプが流れていった。後部座席のとおんと美々さんは平和な顔でおやすみになっていた。
その先に光があった。出口を抜けて視界が広がった。
『ガガガ。ピピッ。こちらアクイラ3。視界不良。国籍不明機の射出した発煙弾の効果が持続している』
トンネルを抜けた瞬間傍受していた無線通信がヘッドフォンに聞こえた。
『目標は? 逸失したのか』
『ああ、くそ。発煙弾とはな。そっちのレーダーはどうだ』
『地上レーダーでは、機影は貴機しか映っていない』
『当機のレーダーでもダメだ。低高度なのか…… だが、視認している中では煙幕の範囲からは出ていないはず』
『着陸か?』
『その可能性もあるな』
『現在、E-767がそちらの空域に向かっている』
『AWACSのロートドームなら見つけられるか……』
『アクイラ3、煙幕が晴れるまでその空域で待機し索敵を続けよ』
『了解』
『不明機はまだそこにいるはずだ。……サンタじゃなけりゃ』
『あれはサンタクロースじゃなかった。ヘリだ。擬態してるんじゃなけりゃな』
自衛隊機と地上管制の交信だった。
どうやら、俺たちのヘリは煙幕に隠れて地上に着陸し身を潜めていると考えたようだ。まさかトンネルの中を飛んでいるなんて思わないよな。でも、サンタ? ってなんだ?
トンネルを抜けてすぐ、ヘリは高速に沿う川の方へ降りた。V字になった峡谷を上流に向けて進んでいく。自衛隊機のレーダーを回避するため高度を低く保ったままだ。手を伸ばせば川の流れに届きそうなくらいだ。ローターの起こす風で水面がざわつく。
峡谷の断崖の隙間を縫って飛行していく。川の分岐のところで突風にあおられてヘリがドリフトした。斜面が迫る。
隣に乗っていると、ヘリの動きの特性として車なんかよりもずっと慣性が働くということが分かる。危うい感じがする。それでもトンネルの狭さに比べれば峡谷はまだ余裕がある。
橋の下をくぐり抜けた。車が上を走っている。低いところを飛ぶというのは面白い。
V字峡谷の先にコンクリートの巨大な灰色の壁が迫る。ダムだった。
だが馬都井くんはヘリを上昇させない。高度を上げてレーダーに発見されることを恐れているのだろう。
ダムの壁面のギリギリまで接近していく。地形に沿って飛行させているのだ。
ずいぶんダムの上に人が多い。観光客か? 身を乗り出しているようにダムの上部から下をのぞき込んでいる。
「やばいっ! 馬都井くん、上昇してっ!」
「えっ? なんですか?」
次の瞬間、上から滝のような巨大な水流が落ちてきた。
ドオオオオンッ!
水の塊が爆発した。
ローターに直撃したのだ。
コックピットからの眺めがまるで洗濯機の中に落ちたように一面が飛沫に包まれる。
コントロールを失いヘリが落ちていく。
川の底が迫る。
「うわああああああっ!」
バババババッ!
突如ヘリは揚力を回復し急上昇した。墜落寸前だった。
「い、いまのはやばかったです」馬都井くんがこちらを見た。
ダムの放水がヘリのローターに直撃したのだ。
「死ぬかと思った」俺の脚が震えていた。
ヘリはダムを越えた。
広大な湖が広がる。ダム湖だ。ヘリは静かな湖面を低高度で飛行していった。