第百十一話 心理ジェンガ
「うわ、グラグラする」
俺たちはジェンガをしていた。
「しかし、こんなんで、ほんとに平常心が養われるの? ただのゲームじゃない」とおんは器用な手つきで今にもバランスを崩しそうな木の棒を抜いた。
「なに言ってますの。これほど効果満点な啓発法はないですわ。わたくしなんかいつも精神修養の一環として部屋でやっていますのよ」と美々さん。
「一人でゲーム…… せつなくないですか」
「せつなくなんかないっ!」
華やかな外見と裏腹に寂しい人生を……
えー、なぜ楽しい(?)ゲームをしているのかということを説明せねばなるまい。
水曜十九時は自己啓発セミナーの時間だ。セミナーテーマは受講生の悩みによってオーダーメイドする。とおんが「平常心を養いたい」と言ったのだ。へっぽこな彼女にそういう資質が必要なことは分かる。俺の方も、最近、黒崎次長に怒鳴られてるから、めげない心ってのがあったらと思ったのだ。
講師の美々さんが選んだメニューはジェンガだった。
「なめてたら痛い目に遭いますわよ。ここからが本番、心理ジェンガですわ」
「心理ジェンガ……?」
「血で血を洗う恐ろしい戦いです。馬都井、例のものを」
「はい」
馬都井くんがコンテナの中から金属の輪っかを出して手首にはめた。コードがついている。
「ジェンガを崩したら電流が流れますわ」
「は?」
「電流の恐怖に打ち勝って平常心を保つという訓練ですわね」
な、なに、その罰ゲームチックなノリ?
とおんがジェンガに指をかけた。
「貧乳」美々さんがぼそっとつぶやく。
とおんの手元が震える。
心理攻撃…… そういうことか。
「そ、そんなことで動揺するあたしじゃないわ。だいいち別に貧乳じゃないし」
気丈にとおんが振る舞う。がんばれ、平常心だ。
「ふーん。……じゃ、ド貧乳」
ガラガラッ。
「キャッ、痺れる、痺れるっ!」
「やはり、とおんさんはその部位に関してひとかたならぬコンプレックスをお持ちのようで」と馬都井くん。
「ひとかたならぬコンプレックスなどないっ!」
とおんのこぶしがテーブルを叩いて、崩れたジェンガが跳ねた。
次は俺の番だった。組み直したジェンガに指を伸ばす。
「今月のノルマ」 美々さんの心理攻撃が始まった。
うっ……
「給料泥棒」
耐えろ。
「モジャモジャ頭」
あ、頭のことは言うなよ。仕事、関係ないじゃないか。
「リコーダーねぶりスト」
「なっ、なんだよ、ねぶりストって! 」
だが耐えた。ジェンガはもう三分の二ほど抜けかけている。
「意外にやりますわね」と美々さん。
「ふふっ、こう見えて案外打たれ強いんだ。いつも職場で虐げられているからな」
「悲しいことを堂々と自慢しないで欲しいですわね。じゃ、これはどうかしら」
「ぶっ!」噴いた。
美々さんがぺろんととおんのスカートをまくったのだ。なんか白いのが見えてしまった。
「ちょっ、美々、なにすんのよおっ!」とおんが叫ぶ。
ガラガララッ。ジェンガが崩れる。
「ギャッ! 痺れるっ!」。
「おほほほほ。鍛錬が足りませんことよ」
「あばばばばば。で、電流が、ハ、ハンパなく痛いんですけど」
「ん? あれ、電圧、これ違ってますわ。単位ひとつ」
「単位ひとつって、じゅっ、十倍ってことじゃないすか」
「確かに打たれ強いわね。普通死んでますわよ」スイッチを切った美々さんが言った。
「じゃ、次、とおんさんよ」
とおんがジェンガに向かった。
「貧乳」またも同じ言葉を美々さんが唱える。
「そ、そんな何度も同じ手に引っかからないわよっ!」
とおんの指先はプルプル震えたが、こらえている。
「さすがにそうですわよね…… じゃ、貧乳ではなくて、ド貧乳でもなくって、胸が小さい人のことをなんて言えばいいのかしら? そうね、まな板じゃ月並みだし、Aカップなどと具体的なサイズを言うのも失礼だし、いえ、ひょっとしたらAカップでもまだ余る可能性も……」
「なっ、なんで延々とこんな辱めを受け続けなきゃいけないのよっ!」
ガラガラガラッ。
「はい、アウト」にっこり美々さんは微笑んだ。
「キャアーッ。痺れる痺れる」
なんて凄惨なゲームなんだ……
「こほん。……傷ついてこそ人は強くなるのですわ」
び、美々さん、強引にまとめやがった。
「腹立つわ、睦人っ!あんたもこの痛みを味わいなさいよっ!」とおんが俺のスイッチをオンにした。
ちょっ、さっきの十倍のままだってば。
「ぎゃうっ! あばっ、あばばばば」
意識が遠くなる。ああ、だんだん気持ちよくなってきた……
ぼんやりとトイレ芳香剤のCMに出てくるお花畑のようなものが浮かんできたところで美々さんは電流を切った。
「さあ、どう? 平常心が鍛えられてきたんじゃなくって」
「そりゃ、こんなひどい仕打ちに耐えてれば鍛えられますけど。なにかが違うような……」むしろ無駄に電流に耐性がついたような。
「ちょっと待って、納得いかないわ。睦人みたいに上司の罵倒に耐えることができても、それで解決って言えるの? 守備力をどれだけ上げたって、やっぱり攻撃が必要じゃない。わたしは攻撃こそ最大の防御ってタイプなのよ!」
「ふむ。ま、それも……一理あるかしら」
「相手をぎゃふんと言わせてやるようなことをしなきゃ」とおんがこぶしを握りしめる。
ぎゃふんか…… ところで実生活でほんとにぎゃふんって聞いたことってないよな。
「どうしたらそうなるかしら? たとえば、睦人さんなら、そうね、営業ですごい成果上げるとか。その上司よりも出世するとか」美々さんが言う。
「うーん、現実的ではないな」と俺。
「ほんと言動がいちいちダメリーマンね」ととおん。
「いや長期的な計画になっちゃうって言うかさ。……そうだ、たとえば、美々さんとかとおんとデートしてるところを見せつけられたら、ぎゃふんって言うと思うけど」
「まあ、たしかに人並み外れた美しい彼女を連れてるってのは見返すことになるだろうけど」と美々さん。
もちろん、そこは自信ありますよね。
「誰もが二度見してしまうほどの美女ねえ……」ととおん。
君も自信あるよね。てか、そんなことを真顔で言う人の顔こそ、二度見しちゃうけどね。
「ありだけど、でも、なんか安直ね」続けてとおんが言う。
「うーん、どうでしょう。その上司の方をまず調べてみるというのはいかがでしょうか。敵を知り己を知ればと言いますから」馬都井くんが言った。
「そうね、調べるというのはありかしら。どうすればぎゃふんと言わせられるか内偵するということですわね」と美々さん。
「諜報能力を個人の私的な目的のために使うというのは、ちょっとプロフェッショナルとしてはあれだけど、まあ、前回、成果もあったしね」とおんも同意する。
「上司の弱みを握るというのは一種のライフハックになるかもしれませんわ。これまでスパイという自己啓発で培ってきたスキルを出河さんのサラリーマン生活に応用するということですわね。次のセミナーでは、あなたの上司を調べましょう」美々さんが決めようとする。
い、いいのかな……
「ちょっと待ってくれよ。仕事にそういうのを持ち込むって……」
一線を踏み越えるような気がしたのだ。倉田課長のときにも少し感じたけれど。
「ノリが悪いわね。もっと人生でさあ、ビシッと主人公を張るためには熱い漢でなくっちゃいけないんじゃないの! あんた、ジャンプとか読まないの?」とおんが言う。
「いや、俺は低体温ってか、クールさが売りなタイプだから……」
「モジャモジャがクールとかって言っても説得力がないわ」
「髪型は関係ないだろ」
「ま、いいでしょう。出河さん、来週までにどうするか考えてみましょう」
そう、美々さんが言ってセミナーは終了した。本日のテーマは平常心を養うってことだった。メニューは心理ジェンガ。楽しいゲームをしながら、お互いのトラウマをつつき合い、電流の罰におびえるという愉快なアクティビティだ。よい子のみんなはまねしちゃダメだよっ!!