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第一章・通勤途中の人身事故で 3

 わたしの名前は大島桜彩。

 誕生日の朝、電車の中で将棋倒しの下敷きになり気を失った。意識が戻ると「日本じゃないどこか」にいた。

 その場で男五人に暴行されそうになり、助けてくれた男の後を付いて歩いた。男は自らを「リヨン」と名乗り、地下に続くマンホール状の蓋を開け、そこに「入れ」と促した。

 今、リヨンが地下から、わたしの名前を呼んでいる。

「サーヤ!」

 足がすくむ。

 暗くて狭いところは大嫌いだけど、そうも言っていられない。もうここまで、来てしまったんだから。

 リヨンの言う通りにしていたら、安全なのだろう。たぶん。

 ハシゴを一歩ずつ降りていくたびに、下から吹き上がってくる風が冷たくなる。それがますます、わたしの体を固くする。

 少しずつ、未知の領域に入り込んで行っているんだ。急に泣きたくなった。心なしか指先まで冷たくなってきたような気がする。

 ――わたし、一体これからどうなるんだろう。

 降りながら鼻をすすって壁を見る。ところどころにオレンジ色の電球がともっていた。それを頼りに体を下ろしていくと、やがて下の方からむんずと腰をつかまれた。

「ひいっ」

 小さく悲鳴を上げて体をすくめる。すると、わたしの腰にあった右側の手が外れた。

 それから右肩を、ぽんぽんと優しく叩かれた。

 おそるおそる足の方を見た。無愛想な表情のリヨンが、わたしの腰を左手でつかみつつ肩を叩いているではないか。

 手つきは優しいけど、眼がすごく怖いんですけど。この人。

「わ、わかったわよっ」

 わたしはリヨンが抱きとめようとしてくれているのを察し、身を預けた。相手は無造作に腰をつかみ直し、自分が立っている隣へとわたしを降ろした。

 ハシゴから手を離し、振り返ってみる。

 そこには絶句する世界が広がっていた。映画で観た地下要塞の入り口といった感じだ。

 継ぎ目のない真っ白い壁と高い天井。だだっぴろい石畳のような通路が、高速道路さながらまっすぐに伸びている。その両脇には顔や脚に包帯を巻いた迷彩服の男たちが、様々な姿勢で壁に寄り添い点々と散らばっていた。

 かいがいしく包帯を取り替えている、たった一人の男の子は若かった。わたしとそう年齢が変わらないようにも見える。

 介抱されている男たちは、包帯が真っ白い人もいれば、赤く染まっている人もいる。見るからに手足が欠損している状態の人もいた。息絶えそうに見える人もいる。むごたらしい男の集団はリヨンを見ると、ほとんどが一斉に頭を下げた。何人かが呆然と、わたしを見ている。

 思わず顔をそむけそうになったが、我慢してリヨンの目を見る。

「どっ、どこに行ったらいいの?」

 わたしの言葉はかすれていた。リヨンは無表情のままで前に向き直り、どんどん前に歩き出した。

「ま、待って!」

 よろけながら早足で歩く彼の後を追う。

 怪我人ばかりがたむろする地下通路で、頼れるのはリヨンだけだ。そういうふうに思い込まなければ、気が狂ってしまう。

 リヨンは、かなり長く歩いた後で振り向き「ここに入れ」と言いたげに顎で指した。彼は追いつきそうなわたしを見届けてから、かちゃっと音を立ててドアを開ける。

 小走りにリヨンのそばまでたどりついて、彼が手招くドアの中を見た。

 狭い部屋だ。ベッドと木製の机と椅子があるだけ。

 思わずリヨンを見上げた。

「ここに入れって言いたいの? っていうか、あんた誰なの?」

 彼は息を切らして言うわたしに応えず、背中を向けて歩いて行く。

 ぼんやりリヨンの背中と周りの光景を見ていると、彼に向かって痩せて背の高い金髪の青年が駈けてきた。金髪の迷彩服の青年は二言三言、リヨンと言葉を交わした後で、まっすぐにこちらを見つめる。

 あの人も、部下なのかしら。

 金髪男子は近寄ってきた。彼は、わたしを見つめて部屋の中に入るように人差し指を振った。

 もしかして、この人だったら言葉が通じるのかもしれない!

 淡い期待を胸に抱いて「あ、あのう」と声を出してみたけど、その期待は見事に打ち砕かれたらしい。金髪男子は不思議そうな表情を浮かべたのだ。

 がっかりしかけたわたしに、彼はにっこりと笑いかけた。

「サーヤ?」

「うん、そう」

 金髪男子は大きな切れ長の目尻を下げ、より一層の笑みを顔中に浮かべる。そして彼は、自分の胸を人差し指でつついた。

「ハズ」

 ハズっていうのか、この人。

 優しそうな顔立ちだな、人なつこい感じのする男の人だな、と思った。

 背丈や肩幅は、リヨンと同じくらい。血色の良い顔色をしている。七三に分けた金髪は、わたしから見てもサラサラしていた。瞳の色は鳶色だ。すっと通った鼻筋に、細い顎の青年だ。

 彼は頷き、わたしを部屋の真ん中くらいまで入れるとベッドを指した。寝ろって言いたいのかな? でも寝てる間に襲われたらどうしよう。路上で襲われるのも、ベッドの上で襲われるのも御免だ。まだ処女なのに。

 そう思った途端に顔が熱くなった。ハズは、そんなわたしをにこにこしながら見つめた。そのまま黙ってドアを閉めようとする。

「あ! 待って、い、行かないで!」

 あんたがた二人が、当面の危害を加えそうにないことはわかった。けど、まったく知らない密室に取り残されるのって怖いじゃん! 

 だけどハズは、こちらの気持ちにお構いなしにドアを閉める。通路の音が少しも聞こえなくなってしまった。

 ほんとに知らない所で、ひとりぼっちになっちゃったよ……。

 へなへなと床に座りこんでしまう。

 自然と涙がぽろぽろ、ぽろぽろこぼれてきた。ずっと張り詰めていた心が、一気に緩んだのだと思う。

 わたしは大声を上げて、泣くことしかできない。

 なんなのよコレ! なんで、こんな目に遭わなきゃならないのよ!

「お、おうち帰りたいようー」

 短大卒業してから、ひとりで働きながら生活してきた。転職もした。好きになった人もいたし好きだと言ってくれた人もいた。社内では人事も任されるようにまでなった。そりゃあ、勤めていれば楽しいこともあるし、つらいこともある。

 だけど殺人的に混み合うラッシュの通勤電車でさえも、わたしは「これが自分の人生なんだ」と毎日まいにちをささやかに、一所懸命に過ごしてきたと思う。

 今、わけのわからないこんな状況に放り出されて。

 頼る人も、頼れる日常さえも。全部、消し飛んでしまった。もう戻れないのかなあ、戻りたいよ! 夢なら醒めてよー!

 ぺったりと座っている床に涙がぽたぽた落ちているのを見たら、また泣けてきた。涙が流れるたびに、顔面が痛む。もしかしたら傷口に沁みているのかもしれない。

 涙をぬぐいながら、スーツのポケットに入れてあるハンカチを探す。その時、誰かが肩を叩いているのに気がついた。

 今度は誰よ?

 首だけ振り向く。

 ハズが金属製のトレイを持ち、心配そうな顔をしている。彼の眼差しは、温かかった。

 相手は唇を開く。低くて甘い声が、懐かしい響きをくれた。

「サーヤはニッポンの人なんですか?」

 に、日本語しゃべってるよ、この人!

「う、うん。ハ、ハズは日本語、知ってるの?」

 彼は机の上にトレイを置いてから、わたしに振り返った。

「まあ、一応は。頭の中に入っています」

「なんで?」

 素朴な問いかけに、ハズはにっこり笑う。

「文献に残っている国家の言語は一通り学習しました。さっきサーヤは『うん、そう』って言いましたね。そこから推測させていただきました」

 へ? 今なんて言ったコイツ?

 わたしの顔がこわばった。彼はあわてたように、手を横に振る。

「安心してください。僕がサーヤに、この国の言葉や慣習を教えますから。さっきリヨン中佐に頼まれました。僕が教育係になれと」

 は?

 リヨンちゅうさ?

 ちゅうさ、ってなに?

 ハズは激しく動揺したこちらをなだめるように、机の上のトレイを手で指し示す。

「人間は、空腹になると悲しくなると教わりました。飢えると、正確な判断もできなくなるとも」

 わたしは彼を見ながら首を傾げた。何を言っているのか、理解不能だ。

 ハズは頭をかきながら目尻を下げる。

「改めて自己紹介をします、軍用アンドロイドのハズです」

 アンドロイド!

 そんなもん映画の中だけだと思ってたよ!

 絶句して目を見開くと、ハズはにんまりと笑みを浮かべた。

「まあ、そこにあるものを食べてください。サーヤが落ち着いてから、いろいろとお教えしましょう。僕でわかる範囲で、ですけど」



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