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第四章・お互いの気持ち 2

 消燈後はリヨン中佐の執務室と廊下の非常灯以外、電気が使えなくなっている。わたしの部屋も例外ではない。

 この頃、なんとなく「そろそろ消燈時間かな」と、わかるようになってきた。時計やカレンダーがなくてもそれなりに、人間なんて案外と環境に適応するものだ。

 わたしはベッドの中、すでに横たわっている。

 真っ暗になった室内の天井、手のひらをかざした。リヨンの素足の感触が残っている。

「少しでも疲れが取れてくれたら、いいんだけどな」

 あの人のくるぶしから足指の先まで、細かく思い返していた。無駄な脂肪が一切乗っていない足首から下、爪先まで。疲労を感じ取る箇所は、いくつもあった。

 部隊の置かれている状況とか、難しいことはわからない。でも、彼の全身が慢性疲労やストレスの極みに置かれていることだけは感じとれた。

「なんとかしてあげたいな……」

 眠りに落ちる前の闇に、彼の照れた笑顔が浮かんでは消えていく。

 執務室を離れてから、ハズと歩きながら話をした。朝になったら、わたしを連れて衛生班へと紹介してくれるって。

「ありがとう。わたしが急に言い出したことで、中佐とハズに仕事を増やしちゃったね。ごめんね」

 軍用アンドロイドが、笑って首を横に振った。

「どういたしまして。ところでサーヤ。『衛生班』って、なにをするところかわかります?」

「なんとなくね」

 ハズが「ほう?」とでも言いたそうな表情で、わたしを見た。

「だって、はじめてここに来た時に負傷した人たちをいっぱい見たもの。手当てをしてあげたりするのが衛生班でしょ?」

「そう、そうですよ」

 ハズがうれしそうに肩を揺らす。わたしはふざけて、唇を尖らせてみせた。

「なによ? わたしだって、それくらい覚えるわよ?」

 あの光景、忘れたくても忘れられない。はじめて、ここに来た日のことだもの。

 顔や脚に包帯を巻いた迷彩服の男たちが、数え切れないほどいた。今思い返せば、彼らが巻いていた包帯は、何度も使いまわしたように古ぼけていた。局部であろう箇所には、おびただしく赤い血が滲んでいた。一所懸命に彼らを介抱する子の額にも、大粒の汗が浮かんでいた。

 ハズはわたしを見つめ、中途半端な笑顔を浮かべる。

「……まあ。いきなり、負傷兵の生々しい傷跡をサーヤが処置するとかはないと思いますけど」

「もしかして気を遣ってくれているの? だったら、大丈夫だと思う。……たぶん、だけど」

 わたしは内心で思っている。日本にいる時、もっとネットで事故現場画像とか観ておいたらよかった。そうしていたら、ちょっとでも怪我人耐性が付いていたかもしれない。

 相手はわたしを軽く落ち着かせるように、のんびりとした口調で返事をする。言い終わった時は、ちょうど、この部屋のドア手前。

「じゃあ、きっと大丈夫でしょう。ぼくも中佐もサーヤに無理はさせませんよ。今のところは」

 今のところは? ……もしかして戦闘は、小康状態なのかな。それでリヨンにも、余裕もあるのかもしれない。

「ありがとう、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 明日から、わたしにも出来る仕事がある。うれしい……。

 衛生班の上官は、どんな男性なんだろう。ハズやリヨン中佐のように話しやすい人だったらいいな。少しでも、あの二人に心配をかけないようにしよう。がんばろう……。


 ――眠りかけていたわたしの耳に、ドアを控えめに叩く音がする。ぼんやりした頭のまま、そちらへと近寄った。

「ハズ?」

 だいたい、この部屋を常時ノックするのは彼しかいない。

 しかし、聴こえてきたのはハズとは違う男の声だった。

「すまない。わたしだ」

「中佐ですか……?」

「……ああ」

 あわててドアを開けた。リヨンが小脇になにかを挟んだ姿で、ドアから半歩の距離だけ遠のく。

「寝ていたところ、悪かったね」

 彼はわたしに脇に挟んでいたものを取って、差し出した。

「これって……なにかの本ですか?」

「違う、ノート」

 リヨンのささやくような低い声が、誰もいない廊下に響く。

 うつむいて黒い紙表紙のそれを受け取り、ぺらぺらとめくってみる。厚さ一センチくらい、日本で言えばA4サイズの、白紙のノートだ。

「これに仕事のメモや、気が付いたことを書けばいい」

 なんで、こんな時間に? と尋ねそうになる心を抑え、彼を見上げる。至近距離にいる相手の黒い瞳が、戸惑うように揺れている。

「きちんとした辞令が出せなくて申し訳ない。わたしは明日の朝から、きみの上官になる。衛生班の班長の上官は、わたしになるからね。きみは今日までのように気安く、わたしの執務室に来れなくなる。言いたいことはわかるかい?」

「わかっています……」

 ふたたびうつむいても、リヨンの視線を感じ続けた。

「違う世界から来たきみを、こんなところで働かせるのは申し訳なく思っている」

 下を向いたまま、首を横に振った。

「そんなこと、中佐は気にしなくていいんです」

 するとリヨンは腰をかがめ、わたしを下から覗き込んできた。

「聴こえないな」

「気にしなくていいんです、って言いました」

 明日から上官になる男がそのままの姿勢で、くすくす笑う。

「きみらしくていい」

「どういうことですか」

 わたしは顔から火が出そうに熱くなった。リヨンは姿勢をただしたらしい。頭上から噛みしめるような言葉が聴こえた。

「きみには、きみにしかできないことがあるだろう。それをしながらでいい。わたしがハズと、きみを元の世界に帰す時がくるまで、力を貸して欲しい」

「はい」

「じゃあ、また明日」

 優しい声の響きを最後に、くるりと振り返る気配がした。深呼吸してから顔を上げる。ぽつんぽつんと点いている非常灯のあかりが、痩せた男の後姿を照らしていた。


次の日曜日に更新しますー。

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