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第三章・変化していく 3

 固唾をのんで、黒い扉が開く様を見つめた。視界に最初に飛び込んできたのはハズだ。

 ハズは扉が開ききったと同時、目の前に立っていた。彼はわたしを見下ろし、部屋の奥へと視線を動かす。

 この部屋に入るのは二度目。

  一度目はトリップした日にハズに連れられて来た。あの時は今よりも余裕がなくて、室内をしげしげと見渡すこともできなかった。

 奥行きの広い部屋なのに、天井に照明が一つしかない。壁面には地図や白い紙がびっしりと貼られていた。ここにはじめて入った時よりも、貼られている紙は増えたかもしれない。

 リヨンは机に向かって、なにか書きものをしている。すぐに顔を上げてくれたので、助かった、と思った。とてもこちらから、軽々しく話しかけられる雰囲気ではなかったからだ。 

 デスクライトが、リヨンの黒い瞳と削げた頬を照らす。ほの暗い部屋で、彼の胸から上だけがクリアに見える。

 ハズが上官の様子を見極め、右手指を揃えて「行っていいですよ」と指示をする。

「ありがとう」

 礼を言い、歩いていく。リヨンは最初は不思議そうな眼差しで、わたしの顔をじっと見ていたが、すぐに口角をゆるめた。

「どうした」

 問いかける穏やかな声に、わたしは立ち止まった。思わず前髪を直して、頭を下げてしまっている。

「お願いがあって来ました」

「なに?」

 首を傾げた上官の瞳が光る。

「わたしでも、お役に立てることはないでしょうか」

「サーヤが?」

「はい」

 リヨンは返事を聞いた直後、笑顔を浮かべた。さっきまで、きつい雰囲気を漂わせていたはずの目の端に皺が浮かぶ。

 上官は、みずからの口元を隠すように、手のひらで顎や頬を撫でつけた。

「なにか、あったのか? ハズに難しいことでも言われたとか?」

 いつのまにかリヨンの机のそば、ハズが立っている。彼は意外そうな表情を浮かべ、リヨンとわたしを交互に見遣る。

「サーヤに言葉を教える以外は、なにも」

 わたしはうなずき、ふたたび真正面に顔を向けた。

「ここにいる皆さんのため、でもいい、リヨン中佐やハズの手伝いでもいい、なにかしたいんです。なんでもいいんです」

「それだけ精神的に安定してきた、と受け取ってもいいのかい?」

 リヨンは座ったまま、わたしを見ている。

「はい」

「どうして急に?」

 うながされたわたしは胸につかえていたものを、一気に吐き出している。……時間や日付けが知りたいと思ったことをキッカケに、色々なことを思った、と。

「わたしが何不自由なく過ごせるのは、あなたやハズの御蔭なの。でも、他の男の人たちは、いくら兵士とはいえ、毎日を大変な思いで暮らしているはずだと思うの。皆、なにかあれば戦場に出て行くんでしょう? 無傷で帰ってこれる保障なんて、どこにもないんでしょう? だけど不平不満ひとつ言わないで、ここで生活しているんでしょう? 明日、自分がどうなるかもわからないのに? それに物資もないから、全員が倹約して暮らしているんでしょう? そこに『わたしだけ』が甘えているなんて、いたたまれない。わたしも、わたしにできることでロードレ軍の人たちに、なによりもリヨンやハズに、気持ちを示したいの。恩返しがしたいの。そう考えちゃ、だめなの?」

 食堂でハズに言葉や慣習を教えてもらっていた日があった。

 その時に、わたしよりも年下らしき兵士が、こちらを羨望や寂しさの入り混じった複雑な眼差しで見ていたのだ。

 わたしの目線と兵士の強い視線が合ったとき、あちら側は顔を背けた。そして彼の隣で食事を取っていた同僚に、何事かを話しかけた。話しかけられた男は目を細めて、幼さ残る兵士の肩を叩いた。

「――お姉さんを思い出しちゃったんだろ。わかるよ」

 年若い兵士は迷彩服の袖で目尻を拭った。同僚の兵士は、ほかにも唇を動かしたけれども、聞き取れていない。

 やがて二人は立ち上がった。彼らは両方とも杖をつき、歩きづらそうに食堂を出て行った。体を片側に傾けて、踏みしめるように歩みを進めながら。

 あのときは気がつかなかった。この地下要塞にいるのは、わたしと同じくらいの歳か、それよりほんの少し年上らしき兵士が多いことに。

 皆、それぞれの家があって、甘えたい盛りの人だっているかもしれない。早くに結婚して、子供がいる人もいるかもしれない。それでも国家の命を受け、いつ終わるともしれない戦場に身を置いている。

 そしてなにより、リヨンも「中佐」の肩書きはあっても部下と同じように、大事なものをたくさん郷里に残して「ここで」孤独の中にいるのかもしれない。

様々なことを思い返しながら、口調がどんどんたかぶっていく。

「今、わたしはリヨンやハズに護られて過ごしているけど、それって『当然』じゃないような気がするの。わたしがいることで、他の部下たちが貴重な物資を削っているんだろうって思うの。この服だってそうよ? 本当なら、ちゃんと戦える人に与えられるものなんでしょう? だけど誰も、何ひとつ文句を言わない。時々、廊下ですれ違う兵士は皆……そう、皆よ? わたしをとても慈しむように見てお辞儀をしてくれる。ここに来たばかりのときは自分のことだけで余裕がなかったけれど、いつか言葉を覚えたら、リヨンに頼もうと思っていたのよ。わたしにも、誰かのためになにかをさせてほしいって。誰かのために役に立ちたいって」

 わたしは必死になっていたせいか、知らず知らずのうちに両手を大きく振っている。こちらの言葉に熱がこもっていくごと、リヨンがこちらに向ける視線が真摯になっていく。

「わかった。サーヤにも、してもらうことを考える」

 リヨンは言いながら立ち上がり、ハズへと顔を向けた。

「次の食事までに、ハズと考えておこう。それでいいかい」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げた。顔を上げたとき、ハズが言った。

「この地下で時間の感覚がある者は、ぼく以外にいません。中佐ですら、日付の感覚がなくなっています。もしも正確な時間を知りたいときは、言ってください。ぼくがいないときは、少しの間だけ我慢して」

「わかったわ」

 わたしは肩をおろし、あらためて部屋の中を見渡してみる。









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