第二章・知ってしまった世界 2
ハズが快く返事をくれる。わたしは逆に、大きく息を吸った。
落ち着かなくちゃ……何度も心の中で繰り返す。この世界の成り立ちから聞きたい、と口に出したことを後悔しはじめているから。
もしもこれからハズが言うことが、途方もないことばかりだったら……。ううん、覚悟は決めなくちゃならない。けど、でも……。
様々な考えが頭に浮かび、段々と落ち着かなくなってくる。
たぶん、わたしは直面している現実と折り合いがついていない。
俯いていると、ハズの静かな息遣いが聞こえる。咎められているような気がして、あわてて声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って! その前にね。少し聞き辛いんだけど」
「はい」
彼の真摯な答え方に「赤いコンパクトの由来」を、尋ねたときの様子を思い出す。あの時のハズは、激しくバグっていた。
生身の人間そっくりに造られた、彼の情緒面の発達レベルがどれくらいなのかはわからない。けれど、こちらの何気ない質問に、ハズの表情が失せたのは事実。
ここに来てから、まだ少ししか経っていないけど……。
わたしには「ハズの役割」が、始終のんびりした笑顔を浮かべていることに思える。
昨日、彼に要塞の中を少し案内してもらった。
ひとつ、ひどく驚いたことがある。いまにも殴り合いの喧嘩になりそうな集団が、ハズが話しかけると不思議と治まってしまう。言葉は悪いけど「こいつ、機械じゃなくて、本当は魔法使いじゃないだろうか」と思ったくらいだ。
ともあれ、やたら殺伐としている周りで、いい意味で彼だけが浮いている。しかも誰もがハズを慕っているようなのだ。
そういう存在を、不用意に傷つけたり悩ませたりすることは、やっぱり避けたい。わたしにあれこれと、優しくしてくれるせいもある。
まあ、生身の人間と同じような感情の動きがあるかどうかは、よくわからないのだけれども……。
「そ、そういえばね。ここで女性とか、小さな子供とか、昨日は見てないんだけど……」
ハズはあっさりと答えた。
「地下要塞にサーヤ以外の女性はいません。あなたの世界で言うところの『子供』もいません。ここにいるのは、いつ戦闘状態に巻き込まれても平気な男性ばかりです」
「戦闘……?」
「そう、殺し合いです。それに耐えうる体力と精神力を持っている男ばかり。あ、そうそう。サーヤを襲った連中は、然るべき処分をしました。ご心配なく」
「処分って」
まるで人間扱いされていないみたいじゃないの。わたしはハズを見上げ、絶句した。彼は、まったく表情を変えない。
「国家間の戦争なんて、そんなものでしょ。違いますか。それに規律を乱したり、弱い者を襲ったりする男は軍には必要ありませんよ。それと近頃、接近戦という手法は余程のことがない限りは取りませんが」
「じゃ、じゃあ……ここは『戦場』という解釈でいいの? 女子供は、どこかに疎開とかしているってこと?」
戦場とか疎開ってね。自分で言っている言葉が、自分のものじゃないみたい……。
平和そのものの日本では考えられない。言うなれば死語だ。
しかし対面している軍用アンドロイドは、当然のような顔をしている。わたしが知っているハズとは、まるで別人だ。
どんな話題だったら、柔和な笑顔を見せてくれるんだろう。わたしは必死で考えて、唇を動かす。
「あ……でもね?」
「なんですか?」
「う、ううん」
彼は急に心配そうな目をして、こちらを覗き込もうとする。わたしは首を振って「大丈夫」と伝えようとした。
……大丈夫なわけがないよ。
リヨンに連れられ、ここに来るまでの景色を思い出す。潮の香りに埃っぽさが混じった空気と、青い空に似つかわしくない瓦礫の連なり。そして、目の当たりにした大勢の負傷兵の様子……彼らの発する血の匂いや、虚ろな眼差しが一気に脳裏によみがえってきた。
わたしは目と目の間をきつくつまみ、首を振った。
「大丈夫ですか?」
「眩暈がしてきたみたい」
「……リヨン中佐も仰っていましたよ。サーヤには、刺激がキツい話なのではないかと」
「そ、そうなの?」
「ええ」
ハズは神妙な面持ちで、手元の本のうち、一冊を取り出して広げた。
指し示された両開きのページは、地図が描かれていた。これが、この世界の地図なんだろうか?
「僕は思う。サーヤ、あなたの最大の不幸はトリップした先が戦乱の世界だったということだと」
彼はただじっと、わたしの目を見ている。
「で、でも」
上手い具合に言葉が出てこない。心臓の鼓動が激しく波打ちはじめた。
「で、でもまさか、ね。人が死んだり、殺されたりってことはないよね?」
「ありますよ。さっきから僕は、そういうところにサーヤが来たと言っているでしょう?」
我ながら諦めの悪い女だと思う。ここで生きていかなければ、と思った次の瞬間で、この世界に絶句して逃避したくなる。
リヨンの部下は、わたしの顔色を窺いながら口を開く。
「ショックを受けているのは理解できますよ」
「ま、まあ多少は」
ハズは口ごもるわたしを見て、声のトーンを一段下げた。
「僕の説明、下手かな。ごめんなさい」
彼は、軽くしょげているように見える。
「そ、そうじゃないの。わたしが上手く受け入れられないから」
「どうすればいいかな、僕」
向かい側で座っているハズは、上目遣いにわたしを見る。本心から困っている様子が伺えた。どうやら彼の頭脳は、「戦」のことになるとシビアになるようだ。
「つ、続けてくれたら……なにか糸口が見えるかもしれない。……わたしだってね、元の世界に戻りたいと思うけど、リヨンやあなたに感謝の気持ちを返したいの。本当よ?」
感謝の気持ちをお返ししたい……それは今の自分の真実だ。
「わかりました」
ハズはようやく、笑顔を見せた。
「この世界には、大陸が三つあります。東にはロードレ、西にはエディット。そして東西に挟まれた海に浮かぶルーンケルン。我々は今、この辺りにいます」
彼はルーンケルン大陸から、かなり隔たった小島を指した。
「小さい島ね」
「ええ。ですが、この島から、こんな風にね」
彼は片手の親指を島の上に置き、コンパスで円を描くように人差し指を動かす。わたしは思わず声を上げた。
「あっ、ロードレっていう国と、エディットと……ここは中間地点なんだね」
「そう、ちょうどいい具合に」
ルーンケルンを表す、ぷっくりした楕円形の大陸から、この島はかなり離れている。芥子粒ほどの、この島から、ほぼ等距離に東西の大陸が位置していた。
「まるで……この諸島が東西それぞれの国の、防波堤みたいに見えるんだけど」
軍用アンドロイドが意外そうな表情をした。
「よく気がつきましたね」
「なんとなく、直観で」
ハズが「へえ」と言いながら、鼻の頭を指でさすった。
「そういうところ、男の脳にはないからなあ」
ぼそぼそとつぶやく彼に、わたしもようやく口元が緩む。
「リヨン中佐と僕たちは、この島に『防波堤代わり』に送り込まれてきた隊なんです」
「どういうこと?」
――彼は噛んで含めるように、説明を続ける。




