Anyone! Help me! 1
小学生の頃、担任だった教師が言っていた。自分だって地方出身で、都市になんて数えるくらいしか行ったことがないくせに、妙に威張り散らしていたじいさんで、学年が一つ上のリーダー面していた奴の次に嫌いだった。
『人間には2種類しかいない。勝者か敗者か、だ』
馬鹿じゃないのか、子供心にオレはそう思った。
人間には2種類しかいない。オーケイ、それはオレも認めよう。確かにその通り。だが、後者は違う。勝者か敗者かならば、戦うことすらしないものは人間ではないのか?敗者以下の存在は生きる価値がないのか?
だから人間を2つに分ける方法は古今東西一つだけ。
つまり、自分か他人か―――
この世の中に他人は腐るほどいるのに、自分はたった一人しかいない。それは誰にとっても同じことだ。だから自己中心的に生きて何が悪い?誰もがそうすればいいだけの話じゃないか。それで世界はうまく回るんじゃないのか。そんな風に考えていた。
いやな子供だったと自分のことなのに他人のことのように思う。子供のころのオレは誰にでも勝てた。地方という井戸の中でなら勉強だってなんだって負けなかった。だが、現実は違った。オレは圧倒的な弱者で、敗者にすらなれない存在だった。
「―――夢か」
ずいぶんと昔のことを夢に見るものだ。いや、ほんの10年ほど前のことだから言うほど昔じゃないのか。それでもオレのくそみたいに長い人生のほぼ半分のころだ。十分すぎるとは思う。
時計を見ると昼近かった。大家は来ていないようだ。もしかしたら来たのに、オレが気付かなかっただけかもしれない。どちらでも同じことだろう。
無為に過ごすのが嫌で、起き上がってスチール扉のノブに手をかけた。ふと、昨晩家から出ないように言い含められていたのを思い出す。ずいぶんと一方的な約束だったが、違えたらどうなるかわからないのでおとなしく家にいることにする。金もないことだし。
ケータイを取り出してネットを見る。ツールの機能とか、動作環境とかは大幅に改善されたが、ネットの機構そのものは大して変化していない。家庭用のスパコンもなければ、量子コンピューターが世界を支配する時代も来ていない。結局使い勝手が良かったということだろう。
ほかにやることがなかったので昨日のおっさんのその後について調べて見る。期待はしていなかったが見つからない。そもそもおっさんの名前も知らないので調べると言っても適当だが、あんまり興味ないし、あの車に乗せられたということはセンターに行ったはずだから、結果はまあ、だいたいわかる。
センター。東京都立自殺支援センター。
ほんの8年ほど前につくられた自殺支援法に基づき設立された施設。国民の中で知らぬ者はいないほど有名な施設。しかし、その実態や、場所まで知っているものは非常に少ない。恐らく職員と権力者、そして例外的にオレのような奴だけだ。大半の国民にとってはあまり関係がない。あるのは自殺者と臓器移植を待つ患者くらい。
少し思い出しかけたところを、ノックの音が我に返す。水道か電気の集金だろうか。あいにく今は金の持ち合わせがないので居留守を使わせてもらおう。
コンコン、はガンガン、になり、ドンドン、になる。計10秒ほど。最近の集金屋さんはずいぶん粘る。大した金じゃないのに。
ダァン!
さすがに血の気が引いた。オレはこの音を知っている。この音が奏でる恐怖の音色を知っている。そして、世界広しと言えどもこの国のこんなボロアパートの前でそんな音を奏でる人物など一人しかいないことを知っている。
「トモさん・・・」
開け放たれたドアはカギの部分から硝煙が上がっている。もちろんドアがひとりでに爆発するわけもないからトモさんがホルスターにしまった黒い塊が犯人であることは言うまでもない。
「居留守を使うなんて良い度胸ね」
にこりと笑うトモさんこと井上友。まあ、何というか、オレの監察官である。
今日はこっちの人か、と安堵する。
「来るなら連絡ぐらいしてくださいよ。原始人じゃないんですから」
常識である。もっとも、この人に常識を説くぐらいなら、原始人にケータイの使い方を説明した方がまだましだろう。
「あらあら、タカ君。ひっどいわ~。お姉さん泣いちゃう」
昨日と一転、表情豊か、デフォルトが笑顔。しかしドS。最後のがなかったら同一人物かどうか法廷で争わなければならない。
「それで、一体何の用スか?ちゃんと普通に暮らしてますよ。問題は起こしてないですし」
わざわざこんな狭い我が家に来ていただくほどの理由もない。トモさんはそんな狭苦しい我が家に断りもなくずかずかと乗り込んでくる。
「その割にはバイトを転々としてるみたいだけど?」
「うっ・・・」
さすがオレの監察官。オレのことはばっちり調べつくしている。しかし、1つ言わせてもらうなら、間違いなくトモさんから来る仕事のせいだ。そりゃあ100%そのせいじゃないけど。
「まあいいのよ、そんなことは。タカ君はしっかりやってると思う。あ、そうそう。滞納してた家賃はわたしは大家さんにさっき払っといたから。もちろん給料から天引きね」
鬼だ、この人!大家の記憶というドブにオレの金を捨てやがった。ああ、ただでさえなけなしの給料が・・・。
「ま、回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言うわね」
トモさんは突然ケータイを取り出し、超高速の操作をオレに見せつけた。なんだろう、緊急の上司からの連絡とかだろうか。と思いきや、トモさんがオレに見せたのは、ていうか映像を浮かび上がらせ、お互いに見せるようにしたのは、とある掲示板だった。味や匂いの共有もできない、音声も出ないごくごく普通の昔ながらの掲示板である。
「へえ、まだそんなの残ってたんスね」
現代の奇跡じゃないだろうか。結構書き込みが頻繁になされているようだし。しかしどうでもいいことを書きこむならこういう掲示板の方がいいのかもしれない。
「それで?見つけた奇跡を自慢しに来たんスか」
などと、軽くからかってみる。こっちのトモさんならたぶん許容範囲内。あっちなら今頃オレの眉間あたりの風通しが良くなっている。
案の定、トモさんはぷくっと頬を膨らませる。やべえ、その表情反則。あっちのトモさんがやってくれれば文句ないんだけど。希望的観測はいけない。決してありえないことは想像をするだけもったいない。
「そうじゃなくて、内容のほう!」
そりゃそうだろう。というわけで書き込みに目を通してみる。大半はつらつらとどうでもいいグチやらオタトークやらが占められている。見ててイライラする。
そんなの掲示板じゃなくて隣の席の奴と話せよ、と思う。もしかしたら隣の席との1メートルよりも掲示板のほうが近いのかもしれないが。このあたりの病気は21世紀が始まった頃とあまり変わらない。
「この“ジェノ”ってなんスか?」
最近の項目になるにつれて、その単語が頻繁に登場している。非難する声、称賛する声、さまざまだが。
オレが顔をあげてトモさんを見ると、トモさんが呆れた顔でオレを見ていた。ともすればあっちのトモさんと見間違えてしまいそうだ。
「君って本当に現代人?ネットでニュースくらいチェックしなさい!」
トモさんはオブラートを大量生産している。ようするに「アンタバカァ?」と言いたい。その辺の行間背紙が読めてしまうあたり、受験勉強しなけりゃよかったなあ、とか思ってしまう。
言われてオレのケータイをネットにつなぐ。ニュース欄をチェックすると、確かに「また“ジェノ”の被害者か」というニュースがあった。
「先月あたりからだったかな、自殺者が増えたの」
トモさんは億劫そうにため息をついた。つまりここで言う「自殺者」とはセンターによらない自殺者ということだろう。こっちのトモさんもあっちのトモさんもその存在を嫌っている。というよりも嫌悪している。憎悪とまではいかないが。
「それとこの“ジェノ”っていうのがなんの関係があるんスか?」
ニュースを読んでもよくつかめない。自殺は所詮“自”殺。勝手に死ぬのだから被害者も何もないだろう。自殺に見せかけた他殺というのならわかるけど、トモさんが自殺と言っている以上そうではないのだろう。
「“ジェノ”っていうのは自殺幇助の犯人よ。ネットを使って集団自殺に誘って、でも自分は死なない。被害者は確認されているだけで18人。未確認のを含めると倍にはなるかも」
日本の年間の自殺者数はどれくらいだったか。確かセンター出願者を含めても1万を少し越えるくらいだったか。だとしたらなかなかの脅威である。
「でも日本じゃその程度の自殺幇助じゃ罪には問われませんよね、確か。中国なんかだとあるって話ですけど」
今も昔も「お前のせいで死んだと遺書を書いて自殺するぞ!」なんて言う脅迫が普通に通用するらしい。日本だと「ふ~ん、じゃあ勝手に死ね」って感じだ。いや、そうもいかないだろうけど。まあ、あんまり度を越えていると刑法202条が火を吹くからな。
「うん、そこが問題。仮に犯人を特定できたとしても逮捕はできない。だから・・・」
うわっ、すっげーいやな予感がしてきた。今ここから超逃げ出したい気分。まあ間違いなく後ろから撃たれるだろうけど。トモさんなら簡単にやる。それも足とか、動けなくなる程度に。
「だからそこをタカ君に解決してもらおうっていう話」
「やです」
即答。当然である。めんどくさいし危ないし。あの日以降、何よりも普通に、安全に暮らしていくことを信条としているオレである。もっとも、もうすでに相当道を踏み外しているのだけど。この人と知り合ってしまった時点で転落人生である。
「そんなの権力があるところで大々的にやればいいじゃないですか。いまさら拘束なりなんなりで躊躇したりしないんでしょ?」
本当にいまさらだ。わざわざオレのようなやつに依頼するわけがわからない。
トモさんは目を細める。口元は笑顔のままだけど。ちなみにこれは少しイライラしてる時の表情。オオカミの前にたたずむ羊の気分。いたたまれなくなって立ち上がり、蛇口をひねって水道水を飲む。やっぱり都会の水はまずい。これだけは地方のほうがよかったと思う。
「ふ~ん、いいのかなあ?成功報酬は2カ月分の給料なんだけど」
ピクリ、とオレの食指が動く。錆びついたロボットのように首がギギギギと回る。トモさんを見ると笑顔で小首をかしげている。
「今人手が足りないの。ほかに駒はいないし、それでタカ君のところに来たってわけ。もちろん必要経費は出すわ」
センターは国の重要な医療機関となりつつある。世界各国に提供という名の臓器売買までしているので予算は無尽蔵といってもいい。オレの給料なんて蔵の中の米俵の中のそのまた米粒のようなものである。しかし金はあるが人は足りない。これは大きな矛盾である。矛盾であるが、オレにとって好都合であることに変わりはない。
「やります!」
トモさんの手にすがりつくオレ。情けないこと山の如し。しかし現実問題金がない!首になったバイト先から今まで給料分が振り込まれているが、それも雀の涙ほど。新たなバイト先を探し、最初に給料をもらうまでに確実にオレは干からびる。背に腹は代えられないのだ。
「はい、契約成立。条件は進行状況を毎日9時に連絡すること。細かい指示はまた追って連絡するから」
トモさんは立ち上がる。話はこれで終わりだということだろう。ものすごい忙しい人なのである。オレの部屋にこんなに長い時間(それでもほんの15分くらいだが)いてくれたことがすでに奇跡である。
「あ、そうそう」
もう役割を終えて永眠しているドアノブに手をかけて、トモさんは振り返った。まだなんかあるのだろうか。
「ドアノブ、壊れてるみたいだからちゃんと直しておくこと。じゃ、お願いね」
バタン
無駄に大きな音とともにドアは閉じる。オレは呆然と立ち尽くすほかにない。そりゃあ壊れてるみたいだろうよ。何せ誰かさんが盛大に壊してくれたんだからな!などという相手は誰もいないので言わない。泥棒に入られて困るような部屋でもないのでしばらく鍵なしでもいいだろう。
改めて今の話を思い返し、めんどくさいな、と思う。しかし2カ月分の給料は魅力である。はかりにかけたら利益の方が上回ったのでオレはすぐに行動を開始することにした。なんといっても成功報酬である。成功すればその時点で報酬が出るというわけだ。
成功、成功ねぇ
「・・・あれ?」
ふと、思い当たる。「警察じゃ逮捕はできないからオレに解決してほしい」という話だった。つまり何だ?オレに逮捕しろってことか?どこまでいったら成功なんだ?
「もしかして、だまされた・・・?」
いや、そんなはずはないだろう。とにかく自殺幇助を止めればいいだけだ。何かすっげーハードル上がった気がするけど。天秤が半端ないことになってるんですけど。
「はあ」
ため息。そりゃため息の1つもつきたくなる。どうしてオレはこんな馬鹿なのかと。
「まあいいや」
どうせほかにやることがない。今のオレが文字どおりの意味で生きていくには経費と称してなんとかして飯を食うよりほかにないのだ。海の上にござを引いて太平洋を渡るくらい不可能に近いが、やらなくても死ぬ。ならやらずに死んだ方がいいっていうのがオレの信条なんだけど、しかしトモさんには逆らえないのであった。
「あ、でもあのトモさんで来たってことは一応ちゃんとした依頼なのかな」
昨日のトモさんならば問答無用に「やれ」だ。
「はあ」
ため息。まあいいさ。ごちゃごちゃ考えるのは後だ。
なけなしの小銭しか入っていない財布とケータイをポケットに入れ、壊れたノブを回し、部屋を出た。