This is your life...you know? 4
月は見えない。今日は30日に一度のかくれんぼの日。だからあそこにいるのは月じゃない。比べるのもおこがましいくらいちっぽけな、1人のただの人間だ。
認めよう。あいつはオレと似ている。あいつはオレと同じだ。世界を嫌い、社会を厭う。だが、それは―――オレたちは間違っているんだ。結局オレたちは自分の失敗を失態を失墜を周囲のせいにしているだけなんだ。自分では何も変えられず、自分では何かを変えるつもりもない。戦わない理由を周囲のせいにしているだけなんだ。
「・・・・・・それじゃあ何も変わらねえんだよ」
セーフティネットのない地面に向かって体を傾けたリコの手首をオレは掴む。危なげはない。こんな軽いものを持てないはずがない。こんな箸よりも軽い命を救えない筈がない。
「邪魔をしないでよ。もういいじゃない。月は行ってしまったわ。だから私は月と死ぬの。それですべて終わりなのよ」
オレを振りかえったリコの首筋には依然として包帯が巻かれたままだ。ただし、目は違う。既にそれは死んでいた。
オレは握った手首を離さない。放さない。
「終わっちゃいねえさ。始まってさえいないんだからな。オレたちは所詮個人なんだよ。社会の中に安住しているだけのただの個人。個人がゆえに自由はあっても個人がゆえに力はない。個人がゆえに戦えても個人がゆえに勝利はない。
そうだろ?そういうもんだろ?ただちょっとあがいたくらいで諦めてんじゃねえよ。どうしても変えてえなら死ぬ前に死ぬほど戦えよ!手ぇ抜くんじゃねえよ!オレもお前も月じゃねえだろうが!ただのスッポンだろうが!足掻けよ!もがけよ!それでも駄目だったら誰かに頼ればいいじゃねえか!」
わからない。どうしてオレが、このオレがこんなことを言っているのか。それでもこの言葉はオレ自身の本音で―――本心だ。
リコはオレの手を振りほどこうとする。だが、オレは離さない。
「それは・・・・・・無理よ。いえ、無理だったわ。だから私はこうなったの。だから私は死を望むの。あなたにはわからない。あなたは私とは違うもの。どうして、どうしてあなたまでそんな事を言うの?どうしてあなたまで変わってしまうの?そっちの方へ行ってしまうの?ねえ、どうして・・・?」
「オレとお前は違う、ね。かもな。いや、そうだ。そうに決まってる。オレとお前は違うさ。オレが変わったわけじゃねえ。立ち位置が変わったから、目線が変わったから重なってなかったことに気付いただけだ
だがな、だからこそ、まだ救いがあるんじゃねえか」
「どういう・・・こと?あなたはさっきから何を言っているの?」
下の方にかすかに残る街灯だけではこいつの表情はわからない。だが、わかる。重なって見えたオレだから、わからないはずのこいつがわかる。
「この世界は腐ってる。だからなんだ?腐ったからってまだ終わったわけじゃねえだろ?じゃあまだ足掻けるじゃねえか。まだもがけるじゃねえか。腐ったものが食えないなんて決めつけんなよ。もしかしたら美味いかもしれねえじゃねえか。勝手に悲観してんじゃねえよ。1人で達観してんじゃねえよ。まだ早ええだろ、そんなもん」
オレはリコに何かを伝えようとは思っていない。これは自分自身に対する罵倒で、繰り返してきた自問自答に対する解答だ。
オレはリコの手を離す。リコはまだ飛び降りない。飛び落ちない。今にも折れそうな白く細い両足でタンクの上に立っている。
「選べよ。オレの手を取るか、死を取るか。両方取ろうとか間抜けたこと言うんじゃねえぞ。オレはお前につき合って死んでやるほど生きることに暇してない。
オレは死なない。死にたくねえからな」
「・・・・・・あなたは私にどうしろというの?こんな世界の中でまだ私に生きろと責め立てるの?」
「オレにはお前にしてほしい事なんかねえよ。オレはただ止まり木をなくした哀れな小鳥に居場所を差し出すだけだ。腐った世界の中だけどな」
リコは住んでいる世界が違う。みんなそう言うが、そんなはずがない。こいつは確かにオレの目の前にいて、まだ生きている。かすかながらも生きている。
「私には・・・・・・わからない。だって・・・私は・・・・・・」
「怖いだろ?自分の人生を自分で決めるのは。生きる上で何かをしなくちゃならねえのは。不安で死にそうだろ?死にたくなるだろ?だけどな、それが当たり前なんだよ。逃げてんじゃねえよ!」
そう、許さない。逃げることなど許さない。
「死ねばそりゃあ楽だろうよ。なんせ何も考えなくていいんだからな。だけどそうじゃねえだろ?お前は生きてんだぞ!死にたくなるまでもがいてみせろよ!それでもだめならしょうがねえ。お前は生きるのに向いてなかったんだよ。諦めろ。迷わずオレが殺してやるよ」
「・・・・・・」
「さあ、選べ。死ぬか、生きるか」
リコは自分の掌を見た。何かを掴めるかもしれない手だ。そしてゆっくりとオレを見る。
「・・・・・・やっぱりあなたは大きな鳥ね。こんなに強い翼をもっている。ねえ、その背中、私も乗れるかしら?」
リコの手がオレの手を弱く掴んだ。
「いいぜ。オレが落ちるまで、お前一人くらいなら乗せて飛んでやるよ」
「うん」
リコの瞼が次第に重くなる。当然だ。こんな細い体で動き回ることがそもそも無茶な話で。だからこいつがここまでこれたのは単なる死への渇望だ。それが潰えた今、こいつの原動力は残っていない。
「はあ、どうすっかな」
大見栄切ってみたものの、何かをどうする予定もない。個人が2人になったところで覆せるようなもろい世界ではないからだ。
だが、変えることはできるだろう。覆らないからと言って泣き寝入りする必要はないはずだ。おかしいものをおかしいと主張する。それだけで変わるものもあるだろう。
「あーあ、めんどくせえ」
夜空を見上げるが月はない。空の上にも地上にも月はない。だが、それは今夜に限っての話。明日になればまた恥かしげもなく顔をのぞかせるはずだ。
それから15日後。
何をしたわけでも何が覆ったわけでもない。バイトをして、自殺者をセンターに送る。また毎日の繰り返し。小説のような陳腐な世界。
だがオレは知っている。世界の誤植を知っている。それを正す道も正す方法もあるという事を知っている。
「トモさん、あの自殺者の保管方法、めちゃくちゃ気持ち悪いっすよ」
試しにこの前、面と向かって言ってみた。さてさてどんな罵倒が来るのか、はたまた無言で銃殺か、と思っていたら以外にもまじめな言葉が返ってきた。
「それくらい私だって知っているさ。私の内臓があそこから供給されたと知った時、かなりショックではあったな。だが、今のところ、ほかにやりようがない。倫理的には言語道断だから社会には公表していないが、じきそうもいかなくなる。そうだろう?」
と、オレの監察官は言う。やはりどこまでもお見通しらしい。
「じゃあもし万が一ですよ、そうなったらどうするんすか?」
「戦うさ。こちらにも守らなければならないものがある。そこから逃げるわけにもいくまい」
まあ、トモさんは相変わらずかっこいいという事で。
リコはまだ目覚めない。衰弱死の心配はないようなのでいつかは目覚めるのだろうが、ぶっちゃけしばらく眠っていてほしい。あいつが起きたらオレは動かざるを得ない。今まで安穏と暮らしていた所を敵に回さざるを得ない。希望を煽っちまった以上、あいつが死にたくなるまで付き合わなきゃならねえ。それがオレの戦いだ。
戦いと言えばもう一つ、マリの分が残っていた。
ここ一週間で、なんとか持ち直したようで、かなり小食な一般人レベルの食事ならするようになった。
「落ち着いたら一度地方に行くか。親父とお袋にも色々言わなきゃならねえからな」
やれやれ、20年以上逃げてきたらこんなにもツケがたまっちまった。
夜になって教会まで足を延ばした。神父の姿はそこにはない。トモさんにも聞いてみたが、行方知らずだそうだ。センターの内実を知っているだけに躍起になって探しているみたいだが、オレには正直興味はない。きっとあいつは公表なんてしないだろう。そういう種類の人間だ。
ステンドグラスから眩しい光が注いでくる。神父がいなくなって初めてまともに見たが、造りは精巧で、こんな郊外に置いておくのはもったいない気さえする。
「まあいいさ。そんなもんだろ」
教会を出て見上げた貯水タンクの上には誰もいなかった。なんとなくそこに立ってリコが見ていた景色を眺めてみる。
ここで初めてリコと会ったとき、あいつは月が欠ける理由を聞いた。
答えよう、月は欠けない。ただ単に翳るだけだ。欠けたものは戻らないが、翳ったものは照らしてやりゃあいい。
「ふん、今日はその必要もないってか」
オレにできることは翳った月を照らしてやることくらいか。
「って、そっちの方がきついじゃねえか」
しょうがねえか。今のオレはなぜか今までのオレの中で一番やる気だ。これがどこまで続くかわからねえけど、行けるとこまで行くのも悪くない。
「じゃあな」
満月に別れを告げて家路につく。何もしなくていいのも今日限り。明日からは翳った分だけ照らさなければならない。それはきっと誰もやったことのないことで、オレからすれば望むところなわけだ。