The high world above the hell 2
今のバイト先はアパートの近くのスーパーだ。下といえども別に生活に不便はなく、公共機関も服屋もスーパーもデパートだってある。プライドに触りさえなければ何不自由なく生きていける。もちろん区によって格差はあって、オレが住んでいる所は都内で1,2を争う貧乏地区なので、必然的に商品は安い。硬くて安い肉やほかの店では売れないような粗悪商品が馬鹿みたいに売れていく。もちろんオレもそんなバカな客の一人になることだってある。今月の残りはもうばか丸出しだろう。いや、バカにすら届かないかもしれない。なんせ890円だし・・・。いや、エレベーターに使ったからもっと少ないはずだ。
腹減ったなあ、と目の前の豚肉(生)にかぶりつきたい衝動を必死にこらえながら商品を並べていく。このオレに製菓を並べさせないあたり、店長もなかなか分かっていると思う。まあ、製菓担当の奴にこっそり掛け合って少々分けてもらっているのは内緒だ。人生持つべきは言いなりの・・・じゃなかった、頼りになる友人である。
プルルルルル、とポケットの中のケータイがなんの面白みもない音を奏でる。オレだって普段は別の着信音にしている。つまり、この着信音は普段とは違う異質なものだということだ。
「こら、藤田!ケータイぐらい切っとけ!」
齢50にもなって、こんなところで中間管理職なんぞをやっている店長は血相を変えてオレの方へ駆けてくる。ジャンクフードを食いすぎて蓄えられて腹の周りの宝箱が揺れる揺れる。体に良くないことは見た目にもよくないことになるという教訓だ、これは。
「すいません。急用ができたんで今日はこれで帰ります」
残った肉を並べ、すたすたと歩く。後ろから店長が「またか、お前!もう首だ!」と辺りの客もドン引きなくらい騒いでいたが気にならない。慣れたものだ。ああ、またバイト探すのめんどくせえなぁ、と思うくらいだ。
スーパーを出てケータイを取り出す。サイズはウインナーくらいの大きさ。スイッチを押して、画像を浮かび上がらせる。現代の技術を使えば、コメ粒くらいのサイズにできるらしいが、そうするとどこにしまったかわからなくなる奴が出る。間違えなくオレもそのうちの一人だろう。というわけで一番のサイズがこれくらいだったわけだ。何事も適度が一番。
浮かび上がった画像には40代中盤くらいのはげ始めた中年の顔写真とその男の現在地が出ている。現在地は上の道路の中腹。黄色人種の証であるように地図上に黄色い点で示されていた。
「めんどくせ」
だがやらなきゃいけないのだからしょうがない。こっちだって命がかかってるんだし。現在地まで最短で行けるエレベーターも同時に地図に出ていた。どうせ経費で出る。エレベーター台をけちる必要はない。
「ったく、死にてえ奴は勝手に死なせとけばいいのによ」
もう何度目かもわからないため息をつく。エレベーターは地下鉄と同じくらい速い。下に流れる景色を見ていたら何を思う暇もなく上の道路についてしまった。相変わらず車ばかりであわただしい・・・と思いきや車は全く通っていなかった。この夕方に通ってないはずもないからすでに止めてしまったんだろう。どうせ理由は工事とかなんかだ。恐るべし、国家権力。
はてさて、ケータイの地図の黄色い点が重なるところにさっきの画像のさえない男がいる。表情の死んでいることといい、よれよれのスーツといい、同一人物と思うのには多少無理がいるが、そんなのは明日には忘れてしまうことだ。誰であろうと関係ない。
その中年、どうやら自殺しようとしているらしい。自分の車を脇に寄せて、道路の縁にまたがる形になっている。お馬さんごっこを思わせないでもないポーズ。男は下を見ては青ざめて首を振り、車に戻ろうとするが、やっぱり再び縁にまたがり・・・を繰り返している。滑稽なことこの上ないが、気持ちはわからないでもない。なんせ道路は地上100メートルくらいある。もう暗くなっているから下なんて見えない。今から自分が落ちるのはどう考えても地獄に見えてしまうだろう。共感でき過ぎて笑えてきた。だが、なんで死んだ後のことなんて考えなくちゃいけないんだ?世界に広がる宗教の開祖様どもはみんなこぞってどうかしてると思う。生きてる人間たちをビビらせて何が楽しかったんだろうか。
「おい、おっさん。そこから飛び降りようとしてるんだったらやめた方がいいぜ」
とりあえず声をかけて見る。オレの声をきっかけとして落ちないか少し心配だったが、大丈夫なようだ。おっさんは振り子のような苦悩をやめ、オレを見た。
「き、君は・・・あ、あれか?じ、自殺者支援の、も、ものか?」
日本語ってすげえな。こんなしどろもどろな言葉でも伝わるんだもんな。
「ちげーよ。オレは自殺支援のもんだ。オレが支援するのはあんたじゃなくて自殺の方。オッケー?」
「た、たのむ。か、会社に掛け合って、わ、私の、リ、リストラを、と、取り下げてくれ」
聞いてねーし。漫画だったら今オレの額に怒りマーク。
要するにリストラ。要するに挫折。人が死ぬ理由は今も昔も変わらない。自分ではどうしようもない苦難にぶつかったとき。このおっさんはリストラというわけだ。実にわかりやすい。こいつがリストラされた理由も含めてすっげーわかりやすい。
「それはムリ。そんな力あったらちみちみバイトで細々暮らしてねーよ」
オレが知るか。てめーでなんとかしやがれ。
「そ、そんな・・・。き、君にもわかるだろう?に、20年務めてたんだぞ?わ、私の、じ、人生の、す、全てだったんだぞ!?そ、それをほんの一瞬だ。い、一瞬で、や、奴らはわたしを、ふ、踏みにじった!だから、わ、私は、し、死んでやるんだ!」
「あんた今から自殺?すんの?いっとくけどそこから落ちたら大変なことになるよ。100メートルだぜ?何秒自由落下するか計算してみたか?その計算に空気抵抗は組み込んだか?人生何回後悔すんだっつの」
だいたいこんなおっさんに降ってこられたんじゃ下にいる人間にも迷惑だ。ぶつかったら軽く消滅できる。人間っていうのは結構スカスカだからな。木っ端みじんになるのも簡単だ。
「どうせ自殺すんならセンターに入れよ。そしたら臓器の費用でアンタの奥さん死ぬまで生きてけるぜ」
結婚してるかしらねーけど。ああ、なんかもうイライラしてきた。このおっさんいい年こいてさっきから濡れた子犬のような目でオレのこと見てくんだもんなあ。いや、濡れた子犬とか見たことねぇけど。どんだけ躾けられてるか知らないが、なんでダンボールの中でじっとしてんだよ。
「し、しるか!あんな奴のことなんか!!」
あらら重症。
家庭の不仲にリストラに、陰気な性格でトリプルパンチのトライアタック、と。オーケー。時間も時間だし、そんな恵まれないおっさんにオレが合いの手を差し伸べてやろうじゃねえの。愛の手じゃねえけどな。
「わかった。んじゃオレも一緒に死んでやるよ。踏ん切りがつかなかったんだろ?」
すたすたとおっさんに近付く。おっさんはオレを警戒しない。拾われた子猫のように目を輝かせている。いや、捨て猫も見たことねぇけど。すがりつくようにオレの肩に手を置いた。うざい。くさい。触るな穢れる。
「ほ、本当か。た、助かる・・・」
マジでむかつく。いいからそのくせえ手をどけろ。
静かだが遠くから響くエンジンの音。おっさんはどうやら気付いていないらしい。好都合だ。オレのおっさんの左腕を掴む。
「よっしゃー、さくさく逝くか。さらば、現世。我らは苦しみのない世界に!ほら、おっさんも」
「さらば、現世。我らは苦しみのない世界に!」
「声が小さい!」
「さらば!現世!!我らは!苦しみの!ない世界に!!」
「うるせえ!!」
叫び声とともに掴んでいたおっさんの左腕をぎゅっと締める。そのまま一本背負いに投げつけた。投げる先はハイウェイの縁の向こう側ではない。コンクリートの地面でもない。簡単に死ぬおっさんをわざわざコンクリートに叩きつけて引導渡してやるほどオレは人間やめちゃいない。投げる先は何もない道路。
もっとも、それは一瞬前の話だが。
キィィィィ
オレたちの目の前で黒塗りのバンが急停車する。ドアが開いていて、おっさんは地獄に落ちるようにその中に吸い込まれていく。代わりに別の人影が落ちて、ドアは閉まった。加速のみを追求した大型車は何の挨拶もなしにすぐに行ってしまった。ばいばい、おっさん。これからドナドナのように売られて来い。冗談抜きで。