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Feel fear of the dead! 3

マリが次に起きたのは翌日俺のバイトが終わった直後のことだった。とんだ眠り姫だなと揶揄してやったら、

「2時間以上まとめて寝るのは1ヵ月ぶり」

と帰ってきた。要するに鬱のハイエンドというわけだ。

・・・・・・いや、違うか。こいつはまだ希望が残っている方だ。俺は知っている。この程度ものともしない程の最果てを知ってしまっている。

「まだ寒いか?」

昨晩は結局押し入れから布団一式を出して床に敷き、マリを寝かせた。服だらけの荷物が代わりに押し入れの中に押し込められ、俺は壁を背にして寝ることになった。

オレの問いかけに対して体を起こしたマリは首を横に振ったが、掛け布団は体に巻きつけたままだった。つまり、まあ、そういうことなのだろう。

「飯でも食え。もっとも大したものはねぇけどな」

このセリフは謙遜でも何でもなく本当だ。机の上にはさっきコンビニで買ってきた2人分の飯があった。

「兄貴・・・」

蚊の鳴くようなかすかな声。もう昨晩のように声を張り上げることはない。そうしないということは、相当無理をしていたということだ。気を張ることに疲れたってところか。

「着替えたい」

勝手にしろよ!そんなんいちいち報告してんじゃねえよ。

「服・・・どこ・・・?」

ちっ。

強く舌打ちをして押し入れから荷物を引っ張り出し、マリに与える。マリはしばらくぼーっとしていたが、緩慢な動作で服を着替えた。

改めてその異常なまでの細さを確認する。たった半年であんな棒切れみたいな体になるらしい。

「お前、飯食ってねえのか?」

「食べてる・・・吐くけど」

「はあん」

拒食症、か。まあ、よく聞く精神病ではあるな。実際にその患者を見るのは初めてだが。

「じゃあどうだ、今は食えそうか?」

「大丈夫・・・」

そうつぶやくとマリは思いのほかあっさり飯を口に運んだ。

「・・・・・・」

その様をじっと見ながら俺も飯を口に運ぶ。どうやらこいつのストレスは脅迫的なものではなく、地方に理由があったらしい。結局半分も食べなかったものの、この分だったら回復するだろう。

ストレスの緩和。精神病の治療。まず最初に行うべきことは原因を除去すること。リコの場合はそこまで至らずマリの場合はそれを自分でやった。この差はでかい。治療という観点で見るならリコはスタート地点にすら立っていない。

そしてマリはようやくスタート地点と言うところか。たとえ今が何とかなっても地方に帰ればまた元の木阿弥。今度こそ一週間もたたないうちにこいつは死ぬ。

「そろそろわけを話せ」

冷たい口調でオレがいうとマリはか細い声で目を伏せ、「うん」と呟いた。

「最初はオレが大学やめたことばれた時だったか?」

「・・・うん。それでお父さんとお母さんが・・・」

目を伏せ、嗚咽をかみ殺すマリ。

「ちょっと待て、話が進まねえ上に言ってることがよくわからねえ」

最初からスムーズに会話できるとは思っちゃいねえが単語だけ喋られて黙られちゃ分かるわけがない。俺はパズルの天才かっての。

「兄貴ってさ、お父さんとお母さんの誇りだったじゃない?」

「はあ?」

知らねえよ、そんなこと。親父もお袋もただ生きることしか能がない人間で、大して向き合っても来なかった。だから奴らが何を考えてるのか、俺は何も知らない。知りたくもないし、知ろうともしなかった。

「そうなんだよ。だって・・・地方を出て大学へ・・・」

ふうん、なるほどね。鳶が鷹を産んだような、ってか。俺は別に名前負けじゃなかったわけだ。

「だから、兄貴が大学やめたの、相当ショックだったみたい・・・」

「あの親父とお袋がねえ」

最後までオレの状況に反対していた。そんなことよりもメロンを生産し続けろと散々言い続けていた。

「で、なんだ。親父がトチ狂っちまったのか?」

はっきり言おう。俺は親父が嫌いだ。世界が狂っていることも知らない箱庭のようなきれいな土地でのうのうとただ生きるだけ。そのくせ自分たちは立派に生きているつもりでいる。親父とお袋はそんな愚かな人間たちの象徴だ。

そんな茶化すようなオレの問いに対してマリはううんと首を横に振った。

「変わらなかった。1つ以外。お父さんとお母さんはね、あの時以来私に畑仕事をさせなくなったんだ」

「はあ?」

意味がわからない。日本語が伝達手段の体をなしていない。なんだ?俺の一家はもともと壊れてるやつらの巣窟だったのか?

「食事の時以外部屋から出ることもできなくて、仲のいい友達と会えなくなったの。目が合うとね、決まっているもこう言うの。『勉強しなさい』」

「・・・・・・」

それからマリはひどく冷めた声と口調、至極死んだ目でこう言った。

「お父さんとお母さんにはね、私はいらないんだ。必要だったのは兄貴ただ一人だけだったんだよ―――」

「・・・・・・」

代償。精神的代償行動。抑圧に対する防衛機制。どうしても行動が起こせないとき、そのストレスを退けるため、人はそれを成し遂げる以外の行動を取ろうとする。精神医学的には以下の7つに分類される。

抑圧、同一視、投影、反動形成、退行、攻撃、そして置き換え―――

本来この防衛機制がある限り、人間の心はなんとかなる。だが、それでも補えないと、壊れていく。

例えば、リコは感情を抑圧し、自らを月と同一視し、子供の様に退行し、自分自身を攻撃し、世界に対して置き換えを望む。それでもあいつは耐えきれず、あいつの心は死んだ。

親父とお袋は置き換えをし、なんとか自分のメンタルを保った。だが、代償として生贄にささげられたマリは耐えきれなかった。

「はっ、はっ、はっ・・・」

突然マリの呼吸が荒くなる額には脂汗が浮かんでいる。やせ細った掌が口元を押さえた。

「お、おい。吐きそうか?」

丸みのうかがえる双眸がオレを見てこくりと頷く。オレはマリの身体を抱え上げ、布団をはいだ。

軽い。こんなにも軽い。だが当然だ。希望は人に充足を与え、絶望は人から充足を奪う。こんなに黒く染まったマリはその分だけ体重を奪われている。

トイレのドアを開け、そこに座らせる。ほんの数分前まで腹の中に借り宿していた飯は全て排出された。消化なんて全くされちゃいない。胃は消火液を分泌することすらしなかった。

「ごめんね、ごめんね・・・」

それは誰に対する謝罪なのだろうか。オレか?親父とお袋か?それとも自分自身だろうか?

「・・・・・・くそっ」

そう漏れ出た悪態は一体誰に向けられたものだろうか。

マリはそのままぐったりと気を失った。また抱え上げて口元をぬぐい、布団に寝かせる。ケータイを取り出し、もう二度と掛けるつもりのなかった番号をプッシュする。

「ああ・・・オレだ。マリ、いねえだろ?気づいてるか?・・・ああ、オレのところにいる。・・・はあ?別にいいけどオレの家知ってるのか?知らねえだろ?・・・こいつしばらくこっちに置くから。・・・うるせえな、関係ねえだろ。・・・それはお互い様だ。・・・あ?感謝?ああ、ある。イママデアリガトウゴザイマシタ。さようなら」

乱暴に通話を切る。そのままケータイを砕こうかと思ったが、やめた。攻撃に出るほどでもない。十分に想定の範囲内だし、我慢できるラインだ。ま、向こうでは電話が消滅してるかもしれないが。

ともかくもこれで引けなくなった。だが、これはオレの宿題だ。ずっと対面することから逃げてきた20年分のツケ。オレの思惑でもオレが何をしたわけでもないが、こいつがオレのとばっちりを食らったことには変わりない。



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