Feel fear of the dead! 2
「でさ、兄貴、折り入ってお願いがあるんだけど」
「却下」
「・・・・・・」
なんで他人のお願い聞かなきゃいけねえんだよ。
「内容ぐらい聞いてくれたっていいじゃん」
「そんな時間はないそんな暇はないそんなやる気はないお前にそこまでする理由がない」
いいから早く出てけ。
「親父とお袋が心配するだろうが。さっさと帰れ」
オレの最後の優しさ。本当は今本気で怒鳴りたい。
「心配なんか・・・しないよ・・・あの人たちは」
「あ?」
「あの人たちが心配なのは・・・ううっ」
泣きだしやがった!!
「ひっく・・・ぅ・・・」
どういう意味だ?ちゃんと向き合った覚えはないが、オレの両親はそれなりに壊れてない人間だったはずだ。一人娘の家出に対して心配しないわけもないだろう。
「金なら何とかしてやる」
最大限の譲歩だ。もっとも、地方に行く分にはそんなにかからないからなんとかなるだろう。
「ちがうよ・・・・・・そうじゃない。だって、あそこは、私の・・・私の居場所じゃない」
「・・・・・・」
よくわからない、ていうか全く分からないが、冗談で言っているわけじゃないらしい。
「どういう意味だ?」
ため息とともに聞いてみる。マリは顔を上げた。薄暗いオレの部屋の照明でまつ毛が輝いている。
「聞いてくれるの・・・?」
「我慢の範囲内でな」
やれやれ、随分とオレも丸くなったもんだ。トモさんに叩かれすぎて角が取れたか?
「ここにしばらく居させて・・・」
「よし、いいぞ。あんまり物はねえけど、あるもんは勝手に使えばいい。水道と電気は自動じゃねえから毎月振込に行けよ。家賃は月初めに大家が勝手に取りに来る。金がねえっていえば値切れるから頑張れよ。よし、それじゃあお前はここで達者に暮らせ。あばよ」
立ち上がり、右手の人差し指と中指を立て、額の横で振った。久しぶりに満面の笑みを浮かべながらドアノブに手をかける。
「待ってよぉ!!」
マリは即行で立ち上がり、オレの袖を掴んだ。涙で目を潤ませながらオレを見上げる妹に対してオレは容赦なく冷たい視線を投げかけた。
「何が不満だ。お前が勝手に家を出てきてお前が勝手にここに来たんだ。お前はお前の意思に従って勝手に、自由にここに来た。それについては別にとがめはしねえし悪いとは言わねえ。だが、それはお前のわがままであってオレのわがままじゃねえんだ。オレにはお前のわがままに付き合う義理はねえしその気もさらさらねぇ」
ここにくれば優しいオレがいるとでも思ってんのか?どう思われようが知ったことか。オレはオレの好きなように生きさせてもらう。
「そう・・・わかった」
すっとマリの目から光が消え、掴んでいた裾を話した。素早く立ち上がると台所の方へ走って行った。
「じゃあ・・・死んでやる」
冷たい声。だが、どこかで聞いたことのある声。誰だ・・・こいつは・・・。ああ、そうか、こいつはオレの妹だ。
そんでもって今まで何度も相手をしてきた自殺志願者だ。
「この包丁で・・・って、あれ?」
目に光が戻った。
「兄貴・・・包丁は・・・?」
どうやら台所へ向かったのは包丁を手に取る予定だったかららしい。焦りつつ棚を探っている。
「ねえよ、そんなもん」
オレ、料理とかしねえもん。冷蔵庫もない家に包丁があるわけがない。
「そ・・・んな・・・・・・」
膝から崩れ落ちたマリ。
やれやれ・・・。とんだ軽い自殺志願者もいたもんだ。しかし、自由はないが不自由もない地方から自殺志願者とはな。だが、まあ、珍しくもねえのか。俺だってほっといたらそうなっていただろうから。
「死にたいならセンターへ行け。ここで死ぬな、迷惑だ」
「うううううううっ」
「?」
唸るようにして涙を押し殺そうとしている。だが、どうやらそれは無理だったようで、代わりに頭を強く抱えて、感情を抑え込もうとしていた。
「・・・けて、助けて、助けて助けて助けて助けて―――」
「はあ?」
助ける?何を言っているんだこいつは・・・。お前は自由も不自由もないあの生殺しの地獄に住んでいたはずだろう。あんなところに助けを求めるほど脅かす何かがあるはずがない。
カチカチカチカチ
ガチガチガチガチ
歯が鳴る音。寒くて全身が震えるときになるアレ。だが知っての通り今は10月。寒さなんて皆無だ。裸で街を歩いてもなんとかなる(なんとかなるのは寒さだけだが)くらいの気温だ。だが、人間が寒さを感じるのは体温と気温の差だけではない。この場合、寒気を感じるのは、というべきか。
人は恐怖でも、確かに寒気を感じるのだ。
「お前・・・」
左腕を掴んでみる。石膏像を触ったみたいに冷たい。こいつの格好もそう考えればおかしい。ヒートテック、だと?地方にいる頃ならまあいい。決して快適というわけでもないが、せいぜい汗ばむ程度だろう。こいつの荷物にしてもそうだ。厚手の服ばかり・・・ほかには大した荷物はない。
「あっ・・・」
頭を抱えていた左手を強引に引っ張った。厚着をしていたので気付かなかったが、相当細い。そして、その細腕には見覚えのありすぎる縞模様があった。
「これは・・・」
無数というほどでもない。だが、問題は数じゃない。数ばかり多いリストカットは大したことはない。自傷というのはストレス解消という意味合いが強い。強いストレスを感じた時、自分を傷つけることにより、それをどうにかしようとするのだ。だが、こいつの傷はそんなもんじゃない。
解放されるためじゃない。死ぬための傷だ。ほっとけば出血多量で簡単に死ねるレベルの深い傷―――縫合の跡が残る傷だ。
「いつからだ?」
左手を掴んだまま低い声を出すと、腕がびくっと震えた。
「答えろ、いつからだ?」
歯の音は止まない。BGMかなにかのように狭い部屋に響き続ける。
「8月の・・・終わり。・・・兄貴が・・・学校行ってないって・・・知った後・・・から」
「・・・・・・」
たかだか一ヵ月半。だが、このレベルのリスカをしといて一ヵ月半もよくもったというべきだろう。最初の一回で死んでいてもおかしくない。縫合痕があるということは誰かが発見したということなんだろうが。
「怖い、怖いよ・・・。逃げられないよ・・・」
ガチガチガチガチ
手遅れ・・・か?既に精神だけじゃない、体にまで異常をきたしている。このレベルにまで至っちまえば元に戻るのは相当難しい。少なくとも普通なら迷わずセンターにぶち込む。
だが・・・本当にそれでいいのか・・・?
俺は左手を放した。
「マリ。逃げたいんだったら簡単だ。センターに行けばいい。そうすれば恐怖からも解放される。どうだ?」
俺は聞く。何よりも残酷な一言を。それが残酷なことだと知りながら。
「お前は死にたいか?」
マリの左手が俺の腕を掴み返してきた。歯の音が止む。涙で真っ赤にはれた醜い顔がオレを見て、真剣な目でオレを見て、そして言った。
「死にたくない・・・死にたくないよ」
「・・・・・・」
死にたくない、か。
押し入れから掛け布団を引っ張り出して頭の上からかぶせた。あいにくこれ以上の暖房設備はこの家にはない。
「もういい、寝てろ。わけは明日話せ」
くそっ、めんどくせえ。だがどうやら俺が原因の一端ではあるようだし、貸しでも借りでも他人と関係を築くのは御免だ。さっさと解消しちまわねえと。
「兄貴、ここにいてよ」
布団の中から右手がぬっと現われて、再びオレの裾を掴んだ。
「わかったよ。だからさっさと寝ろ」
ああ、めんどくせえ。
奇しくもリコとマリ。二人の少女を同時にカウンセリングしなくちゃならなくなったわけだ。
ああ、くそ・・・・・・めんどくせえなあ。