Show me the perfect world.... 4
ふと気がつくと、足は月の見えるあの場所へと向かっている。月のいるあの場所へと向かっている。教会は今日も静かに月明かりを受けている。月が欠け始めた今日は以前よりも少し暗い。それでも神父はそこにいた。眼鏡はちゃんと外していたが。
「おや、また来られましたか。また道に迷われましたか?」
「言ったろ。最初から道なんか歩いちゃいねえって。とっくに踏み外してんだよ、そんなもんは」
道を踏み外して、全てを失って、だからオレはここにいる。後悔はないわけではない。しかし、何度オレの人生をやり直したところで、結局オレはここに来るだろう。なぜなら世界もオレも変わらないからだ。
「そんな言い方はいけませんよ。生きている以上誰もが道を歩いているのですよ。道なき道もまた道なのです」
「へえ、面白いこと言うな。さすが神婦」
「いえ、神の家内ではありませんよ。もちろん父でもありません」
「だろーよ。神はオレたちに興味なんか示さないだろうな。地面にいる蟻のうちの一匹だけを愛する人間がいたらただただ気持ち悪いだけだ」
だいたい空から見たってこの街は見えない。だからここに神はいない。この場所だけは違うのかもしれないが。
「それでもあなたは神の存在を信じているのですね?」
「まさか。ただの言葉の綾だ。それに何十億人が信じているものを否定できる材料がないだけだ。結局大多数が黒と言えば白もまた黒だろ?そんでも、全能な神なんていてもいなくても同じだ。無能な人間がそうであるようにな」
あるいは、オレ自身がそうであるように。リコがそうであるように。オレたちはいてもいなくても同じだ。歯車にさえなれなかった半端もの。それゆえ居場所が見つけられず、それゆえ道を歩けない。
「なるほど・・・。確かにあなたであれば適任かもしれない」
「あ?」
何の話だ?
「彼女の話ですよ。本人から聞いています」
オレに背を向けてステンドグラスを見上げる神父。そこに描かれている女。名前は、確か聖母マリアだったか・・・。
「本人から、ね。あいつと会話できるなんてすげえな、あんた」
「できません」
振り返って首を振る。
「彼女の生きている世界は私の世界とは違う。だから彼女の言葉はこちらに届いてもこちらの言葉は彼女には届かない」
トモさんも同じようなことを言っていた。ほんとにこの神父何者だ?
「だが、あなたなら届くかもしれません。わずかでも世界を共有できるあなたなら」
「・・・・・・」
どいつもこいつも勝手に期待するなよ、不愉快だ。オレはオレのやりたいことをするし、それ以上のことはしない。
「無力、だな」
「そうです」
即答だ。そういうことだ。この程度のこと、こいつは何度も自問自答を繰り返したに違いない。そしてそのこいつがオレを推す。オレを押す。オレならできると確信を持って。
「誰も彼も面倒事はオレに押しつけやがる」
「そうではありませんよ。あなたの見えないところで、面倒事は勝手に片付けられています。あなたがやる面倒事は最初からあなたに割り当てられていたものなのですよ」
はっ、わかってんだよ。そんなことは、全部。
「ちっ、わかったよ。やってやるさ。しかしあんたには感心させられるな。だてに陳腐じゃねえってか」
「いえ、別につまらなくはないでしょう。こんなに面白い神父はほかにいないと自負していますよ、私は」
「・・・・・・」
自負してたのか・・・。
扉を閉める。秋になりかけた夜の空気。この場所は悪くない。空気が止まって腐ってはいない。まとわりつく空気はまだかすかだが生きている。そして生きろと駆り立てる。神父がこの場所に教会を建てている理由もわかる気がする。
「ま、どうせ変人すぎてほかのところにいられなかったみたいな理由だろうけどな」
どうでもいいさ。オレはオレに押し付けられた、オレに割り当てられた仕事をするだけだ。
はっきり言って買いかぶりだ。オレにアイツの心はわからねえ。当然だ。あれはもうすでに壊れたもので、オレらが持っているものとは決定的に違う。部品が足りない。心が足りない。それでもオレとアイツが通じ合うと錯覚してしまうのは、オレ自身でさえ錯覚してしまうのは世界の腐敗を知っているということだけ。眼球が黒く染まっているかということ。
「片目だけしか見えないな。そろそろ見ていられなくなったのか?」
半月を見上げてオレは言う。
こいつの家族に雇われたやつらはこいつの命を守り続ける。ぞろぞろと人を連れての闇夜の散歩。こいつの知らない所で死の可能性は全て先回りし、その全てを駆逐する。生かされるために自殺者の臓器を移植されるレシピエント。生かされるために徹底的に死を排除されたコイツ。そこに差はない、などといったらトモさんにキレられてしまうだろうけど。
「―――ねえ、どうして世界は滅びないのかしら?」
振り返ることもなくぼーっと半分の月を見上げたままリコは言う。
「滅ぼす奴がいねえからだ。そんなに嫌ならあんたが滅ぼせばいいだろう」
「無理よ、私はここにはいないもの。ここにいるのは偽りだもの」
オレにはこいつがわからない。だから、こんな口上に意味はない。意味はない問いに意味はない答え。応えることができるのはこいつの思考の道をオレが一度通ったから。だからこそ知っている、この会話に意味はないと。
「偽りよ。ねえ、偽善と偽悪ってどっちが悪いのかしら?」
「偽善は善じゃなく、偽悪は悪じゃねえんだろ。だったら偽善の方が悪いんじゃねえか」
「でも偽善は偽りでも善でしょう?偽悪は偽りでも悪じゃない」
「あんたはどっちが悪いと思うんだ?」
「私は両方嫌い。善でも悪でも・・・神様だろうと悪魔だろうと―――偽物の存在が許せない」
なるほどね、それがこいつの壊れた理由。過去に何があったか知らないが、世界が間違っていると知ったこと。自分の存在は間違っていると気付いてしまったこと。原因などまるで無意味なほどに自分がいかに偽りで、世界がいかに壊れているかに触れてしまったこと。それはあがきというよりは呪いに近くて、もがきというよりは諦めに近い。
「ああ、せっかくの空なのに、雲で隠れてしまったわ」
「なあ、あんたはなんで飛ぶんだ?死に方なんていくらでもあるだろ?」
「あなたは、本当の世界ってどういうものだと思う?」
オレの問いを遮ってリコは尋ねる。そしてオレの答えなど待つこともなく自問自答に答えを出す。
「すべてに無駄がなく全てが整然としている世界。まるで物語みたいにね」
「・・・・・・」
「そこにはきっと運命があるの。全てのものに意味があるの。だから私は飛ぶの。
だって、こんな高い建物。空を飛ぶためにあるに決まってるじゃない」
飛翔―――ではない、ただの落下。だが、そんなものはどちらでも同じことで。結局、今夜もリコは自殺する。空を舞い、死に、また蘇る。それはさながら不死鳥のように。だが、だとしたら、とんだ醜いフェニックスもいたもんだ。