Disregard
時刻は12時を回った頃だろうか。いろいろ思い出してる間にボロアパートの押し入れの中にいた。
―――くそっ、眠れねえ。
体を起して部屋を出る。足はどこへ向かうでもなく勝手に進む。めんどくせえ。思い悩むのも、過去を考えのも無駄だ。脳の無駄遣い。人間なんてのは今だけ生きてりゃそれでいい。余計なことを考えるからめんどくさくなる。
死にたくなる。
勝手に進む足に道を任せてみると、いつのまにか月明かりに照らされていることに気付いた。下ではなかなか見られない光景だ。街灯の数が著しく少ないのも珍しい。この辺にはだれも住んでいないのか?
・・・ああ、なるほど、この上には道路が通ってないわけか。星は・・・見上げてもわかんねえけど、月が見えるんだからそういうことだろう。太陽の恩恵を受けられる数少ない場所ってか。でも民家も店もほとんどない。どう見てもつぶれた会社や中小工場ばっかりだな。ようは人間ってやつは太陽よりも利便性を求めるという話。傑作だ。
満月が邪魔だ。あんなのがあるせいであの夜を思い出しちまった。
ふと、オレの足が止まる。目の前にあるのは教会。割と大きい。こんなところにあって人なんか来るのか?ていうかそもそも神が来るのか?もちろんオレは神なんか信じちゃいないからキリスト教徒以前の問題だが、なんとなく扉を押してみる。鍵がかかっているかと思ったが、扉はすんなりとオレを受け入れた。
電気は付いていない。ずいぶん豪勢なステンドグラスから差し込む月明かりだけが光源だ。
「どうされました?道にでも迷われたのですか?」
神父は若い。黒い丸眼鏡をかけた顔がこちらを振り返った。
「・・・最初から道なんて歩いちゃいねえよ。ここって愚痴も聞いてくれるわけ?」
神父はゆっくりとオレのほうへ歩いてくる。しかし近づきすぎることはなく、お互いの姿が月のおかげで黙認できる距離で止まった。遠かったので見間違いかと思ったが、やはり若い。その若い神父は薄く笑う。
「いいですよ。今は特にやることもありませんから」
「はっ、暇つぶしかよ。まあ、そういえばそうか。人生ってのは退屈の連続で、生きるってことは暇な時間を殺していくってことだ」
「殺すという表現はよくありませんね」
神父っぽい言葉だな。それにしちゃ肩をすくめるなんてずいぶん神父っぽくない。
「・・・だてに神父をやっちゃいないってか?」
薄く笑う。
「まあ、だてで神父はできないでしょうね。だてが通用するのはこの眼鏡くらいなものです」
内側から眼鏡の枠に指を通す。レンズは入っていなかった。
・・・なんだこいつ。
「おや、気分を悪くされましたか?ほんの冗談ですよ」
ぽいっとレンズの入ってない眼鏡を投げ捨てる。どこまでも神父じゃねえな、こいつ。
「ところであなたは道を歩いていないとおっしゃいましたね?ではどこへ行くつもりなのですか?」
禅問答・・・は坊主の役割じゃなかったか。まあ別にいいのか。無宗教なオレにはどっちも同じにしか見えない。仏だろうが神だろうがそんなものは妄言で、戯言だ。
「別にどこでも同じだろう。今ここにいることに意味がないのと同じように、別の場所に行くことにだって意味はない」
そう、意味などない。この世界にも、他人にも、オレ自身にも。
神父はふむ、と考える。
「そうでしょうか。今あなたがいるここにはあなたがいて、私と話をしています。同じように今からあなたが行く場所には別の誰かがいて・・・。それはつまり、意味のあることではないのでしょうか」
「違うだろ。あんたと話しているのがオレである必要はないし、今からオレがどこへ行こうとそれがオレである必要はない」
それがだれであろうと同じ事だ。ならばその行動に意味はない。
「なるほど・・・。あなたはこの広い世界において、あくまでも個人でいたいのですね」
ああ、なるほど。そういえばそうだ。たしかにそうかもしれないな。
「あなたは誰かの代替となるのが嫌なのでしょう?仮に、です。あなたと別の誰か、そのどちらかしか生きられないのだとしたら、あなたは迷わず自分を選ぶことができる」
「・・・・・・」
「別にそのことを非難するつもりはありませんよ。だってあなたは仮に誰かがあなたのために自身の犠牲を名乗り出ても頑なに拒むのでしょう?」
「なるほどな。さすが、だてに神の父を名乗っちゃいねえってか」
「ですからだてでは・・・・・・って、神の父ではないのですよ」
あくまで私は神の子です。あなたと同じく神の子です。神父は言う。
「なあ、あんた。自殺についてどう思う」
別に興味はないが、なんとなく聞きたくなった。
「自殺は神に与えられた尊い命を無碍にする最低にして最悪の行為です。許されるべきではありません」
その言葉は静かすぎて、見たこともない聖書と話している気分になった。
「それは神父としての意見だろ?あんた個人の意見をきかせてくれよ」
それでこそ、あんたがここにいる意味がある。そうだろう?
「・・・・・・参りましたね。よもや私のほうが回答をし、悩むことになるとは。まったく、神父がいのない人です」
苦笑する神父。神父がいってなんだ?
「そうですね。神は厳しすぎると思いますよ。この世の中で、どうしようもなくなることはあるでしょう。生きるのが苦痛になることもあるでしょう。ゆえに深みにはまってしまった人は死ぬ以外に選択肢がなくなる」
「じゃあなんだ。自殺を肯定すんのか?」
「否定はしませんよ。肯定もしませんが」
それは、どこかで聞いた答えだな。ああ、そうか。オレの答えだ。
オレの、心だ。
「・・・私がこうしているのはせめて救われない人の一部でも救うため。なぜならば私には彼らの苦しみがわかります。私は彼らと同罪・・・いえ、同類なのですから」
神父は天井を見上げる。ガラスの向こうにある月を見る。
「きれいな月でしょう?彼らは自分の内面に注視しすぎるあまり、世界とはいかなるものか、その中で自分とはかくなるものか。その本質を見失ってしまっている。人が死ぬ理由なんて簡単なものなのですよ。ほんの少し道を踏み外す、ほんの少し何かに失敗する、ほんの少し、人生が退屈すぎる・・・」
「・・・・・・」
「彼女を見てるとね、私はそう思うのですよ」
神父は月を見上げたまま言う。
「彼女?」
「話が長くなってしまいましたね。そういえばあなたには行き先がないのでした」
神父は歩き出す。オレの横を通り抜けて教会の扉を開けた。月明かりに照らされている、ある一点を指差す。
「ほら、あそこ。今晩も彼女はあそこにいます。行って、会ってごらんなさい。そこにはあなたが否定した、あなたにしかない意味とやらがあるかもしれない」