Dead Line 4
走って、走って、いつの間にか外にいた。恐らくは深夜。満月がオレを探すスポットライトのように照っている。車の全く通っていないハイウェイ。それは時刻のせいではないだろう。あんな地獄がそばにあるから近づけないに決まってる。
オレは止まらない。センターを出たからといって安心なことなど何一つない。追手が来るという確信がある。自殺者の臓器の保管。冷凍保存くらいならだれでも考えうることだ。それくらいならば公表すればいい。眉をひそめる者はいても、そこまでの拒絶はない。だが、あの魔の森では話が別だ。センターの場所や運営、職員までもが隠匿されている理由。くそっ、どうしてオレは何も考えなかった。それが倫理に、道徳にもとるものだとわかっているからに決まっているじゃないか。ならば、たった今すべてを知ってしまった、センターの存在を根底から覆す可能性のあるオレを野放しにしておくはずがない。
東京を出なければならない。都内では権力でどうにかなっても、地方の連中にはそれが通じない。そういう種類の特権がある。だからどこでもいい、地方の農家の保護を申し出る。生きていれば、生きてさえいればどうにかなる。
死線だ。じわりじわりとオレに近付く追手のライン。これに触れればオレは死ぬ。そして触れるまでに東京から出られればオレの勝ち。はっ、どっち道オレの人生はもう破滅じゃねえか。まあいいか。破綻していたというのなら、この世界がそもそも最初から破綻していたのだから。
とにかく今は下へ行こう。この無人は目立ちすぎる。
どうやらセンターは東京の中心近くにあったらしい。とにかく下へ行く階段を探すまでに一時間。階段を必死に駆け下りるのに30分。ああ、なるほど、ここの上にあったのかと考える間もなく、オレは人ごみに紛れた。センターの連中にはとっくに顔がばれているし、プロフィールもすべて公開されている。家はすぐに押さえられることになるし、場合によっては指名手配もあり得る。ごみ箱をあさり、臭い深手の帽子をかぶった。
人込みを避けることはしない。路地裏を通った方がもちろん見つかりにくいが、見つかったときは逃げられない。深夜とはいえ繁華街ならば人通りがまだある。これを利用しない手はない。
西だ。西へ急ごう。関東市、旧山梨県ならば東京寄りの場所にも農場があると聞く。
ぞくりと、背筋に寒気が走った。オレはゆっくりと振り返る。警官の格好をした二人組が走っている。その目はオレを見ていない。つまり、オレに気付いていない。まだ何とかなる。ごくごく自然に路地裏に入って隠れた。警官はそのまままっすぐ走って行った。ちらりと見えたのは手に顔写真を持っていること。それがオレのじゃないという可能性ももちろんある。だが、そんな確率は砂粒程度のものだろう。ただの思いこみかもしれないが、奇妙な確信がオレにはある。
くそっ、これじゃあもう繁華街は歩けねえ。
警官まで動員できるということは、最悪東京都民全員が敵になるということだ。敵の周りに身をひそめる、という手もありっちゃありだが、見つかったらそれで終わり。死線がオレに絡みつく。
オレは―――オレは、死にたくない。
逃げて、隠れてを繰り返す。相手が警官のように外見から判断しやすい相手ならばいいが、なかには明らかに何かを探す目的で路地に入るスーツ姿の男もいた。それはオレとは全く関係ないかもしれないが、警戒せずにはいられない。
満月が眩しくなくなった頃、つまり、東側の空が白くなり始めたころ、オレは下の街を出ることにした。入り組みすぎていてまっすぐ進めないのだ。明るくなれば隠れることも難しくなる。とにかく早くここを出なければならない。
階段を上る時間ももったいない。しかし、今のうちに上に行かないと取り返しのつかないことになる。もう5時間近く逃げ続けているから体力ももう限界といっていい。だからと言って休むことなどできない。この街にオレの休まるところなどないのだから。
空はどんどん明るくなっていく。あれが死線だろう。太陽が完全に上れば、ここはあまりにもよく目立つ。砂漠の中をクジャクが走っているようなものだ。だが、なんとかなる。東京を出るまであと少し。オレのエンドは確かに先に見えている。
その時、上空から聞きなれない音が聞こえた。ひゅんひゅんと何かを振り回すような音。オレはとっさに高速の隅に並んでいる植え込みの中に身を隠した。
音の正体はヘリコプター。そういえばさっきから車は走っていない。ちくしょう、どうして気付かなかった。すでに死線はオレを越えてしまっていたことに。
「このあたりにいたのか!?」
縁から降りてきたのは3人。2人は真っ黒な格好に覆面までしているが、一人だけは覚えがある。格好こそ白衣ではなかったが、さっきの検査医。確か名前は井上友、だったか。
「飛び降りたか、それともどこかに隠れているか・・・。できれば後者であってほしいものだ。珍しい血液型だ。ぜひとも完品で回収したい。
背筋にぞくりと寒気が走る。あの女は最初からオレを人として見ちゃいない。生物としても見ちゃいない.あの女にとっては何も変わらないのだ。生きて、自殺を志願しているオレとガラス管の中で生きているあれら。どちらも等しく冷臓庫。正義を執行するための道具にすぎない。
「うわあああああ!!」
タイミングをはかって植え込みを飛び出した。黒ずくめの一人に体当たりして腰につけられている銃を奪った。
「動くなっ!!」
反撃しようとした黒づくめの動きが止まる。オレは距離を取る。格好から言って、間違いなく相手はその道のプロだろう。肉弾戦でも相当できる。拳銃を持っているからといって油断して接近を許すほどオレは馬鹿じゃない。
「バカが」
井上友はオレを見る。切れ長のその目は、見ているだけで焼けてしまいそうなほど強い。そしてその言葉は決してオレに向けたものではない。部下に対する叱責だった。この女はオレを足元の蟻程度にも思っていないのだから、怒りを持つことなどない。
くそっ、もう少しなんだ。もう少しでゴールなのに。
「来るなっ!」
一歩、こちらに足を進めた井上友に標準を切り替える。鏨鉄を上げた。初めて使う拳銃は案外あっさりとオレの手になじんでいる。
「下らない。撃てるものならば撃ってみるがいい」
井上友の目が変わる。物を見る目でも、虫を見る目でもなく、敵を見る目つきに切り替わる。正義の敵の悪としてオレを見る。
「あああああああっ!!!」
腕の中に重く残る反動。耳をつんざく発砲音。力の抜けたオレの前の前に―――井上友は毅然と立っていた。
瞬間、世界が一回転した。いや、そんなはずがない。世界は変わらない。狂ったまま、腐ったまま変わらない。だから回転したのはオレのほう。いや、それも正しくない。正しくは、回転させられたのはオレのほう、だ。
鼻が一気に熱くなる。それが鼻の奥から出る血の熱だと気付いた時にはすでにオレの顔面はコンクリートに叩きつけられていた。後頭部には女の力とは思えないほどのGがかかっている。
「どけっ、どけっ・・・くそっ」
身動きを取ることなんてできるはずもない。そういう組伏せられたかをしている。頭の上の方から声が聞こえた。
「何が不満だ?このままじっとしていればちゃんとセンターに送り返して死ねるぞ。死にたかったのだろう?」
・・・そうだ。オレは死にたかった。何もかもがめんどくさい。現代人にありがちな無気力。ありがちな逃避。ありがちな死。そんなものに甘んじるつもりでいた。生きるよりはましだろうと。
「死にたくない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない・・・」
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
首に受ける強烈な衝撃。ショックを受けたパソコンのように脳は強制終了へと移行する。
死にたくない死にたくないシニタクナイシニタクナ・・・イ・・・。