Dead Line 3
「すいません、大っす」
別に理由があったわけではない。ただ、死ぬ前に1つだけ、もう少し人と違うことがしてみたくなった。だからオレはトイレの個室の天井にある扉を開け、そこに入り込んだ。
電線、コード、排気ダクト。さまざまなものを一手に集めたそこはあまりにも狭い。だが、こういう場所は故障時に修理用ロボットが入れるようになっているから細身のオレなら通れないほどでもない。
ただ問題はどこに行くかだ。ここで戻っても精神的に病んでいる志願者が奇怪な行動を取った(実際さっきの爆笑もそう取られたようだ)と考えられるだけだろう。一応目的は果たしたわけだが・・・。
考えながらも体は先に進む。もう初夏だしここは空調もなくて暑いからもういい加減戻ろうかな、と思ってたところ、頭上に扉があった。ラッキー、こっちから開けられる。せっかくだから幻の施設とか言われるセンターの見学でもさせてもらおうか。
扉は押すだけですんなり開いた。
こぽこぽ・・・
泡の浮かぶ音。小さいころ風呂で何度も聞いた音。ここは眩しくない。むしろ薄暗い。
「なんかの倉庫か?じゃあなんか資料でも見つかるかも・・・」
思考が、止まった。
「は・・・・・・・・・・・・」
何だよ、これ。
膝に力がなくなるのがわかる。膝だけじゃない。全身に全く力が入らない。脱力。いや、違う。これは恐怖だ。そうだ、この震え、この感覚。怖い。なんだよ、おい。冗談だろ。
円筒形のガラス管。野球ができるくらいの広い部屋にそれが所狭しと並べられている。まるで森だ。地面から突き出たガラス管は部屋を串刺しにしているように天井に突き刺さっている。中に入っている液体。それは間違いなくただの水ではないだろう。
―――だって、ただの水なら人間を腐らずに保管できるはずがない。
そのうち一つに近付いてみる。全身の毛を剃られている真っ裸の女。普通なら雄として興奮を誘う姿。だが、そんなことはあり得ない。こんな不気味なものに性的興奮を覚えるはずがない。
これは何だ?死体か?死体を保管しているのか?
じゃあどうして口に自動呼吸器をつけている?脈打つ鼓動の音は何だ?死んだとは思えない生き生きとした顔色は何だ?
生きているからじゃないのか?死んでいないからじゃないのか?
森のようにそびえたつガラス管。暗すぎて向こうまでが見渡せない。だから無限に広く見える。実際相当広いのだろう。8年だ。もちろん利用され、補充のために使われたものもあるだろう。しかし、さっきの女が言っていた。血液型によってはすぐに移植されない。つまり、ここにあるのは8年間の蓄積だ。何のかって?聞くまでもないことだろう。
自殺志願者の末路に決まってる。
気になってはいた。毎年数千人もの志願者数。それに対して国内、国外合わせても移植を行える外科医は足りない。医者が足りても時間が足りない。時間は足りてもそのうち患者が足りなくなる。じゃあ臓器はどうなっている?冷凍保存されるのか?それがいつまでもつんだ?
答えは本当に簡単だった。オレが生きてきた20年とちょっと。その間に臓器は腐っていない。それどころかより強く育っている。それはオレが生きていて、代謝を行っているからだ。自殺者の臓器の保存は難しい。じゃあ簡単だ。生きたまま管理すればいい。薬かなんかで脳だけ壊して体だけ24時間機械で管理すればいい。少なくとも紫外線やらジャンクフードやらで汚染されている現代人よりははるかに丈夫で健康的な臓器を維持できるだろう。
これが答えだ。これがエンドだ。これがオレの求めた、あるいはオレの小説の作者が決めたデッドエンドだ。
「は、はは・・・」
笑っちまう。いや、笑うことすらできそうもない。オレは何を期待していた?自殺者の臓器を使って正義を語るやつらがその手段を選ぶとでも思っていたのか?そこまで道を踏み外した正義を掲げる奴らが、いまさらそんなちっぽけな倫理を気にするとでも思っていたのか?オレたちを人間扱いするとでも思ったのか?この非人道的な光景を否定する脳みそを持っていたとでも思うのか・・・!?
「誰だ!そこにいるのは!!」
「・・・・・・っ!!」
声がどこから聞こえてきたのかは分からない。オレが出てきた穴からかもしれないし、この部屋本来の入り口からかもしれなかった。そんなことは関係なく、反射的にオレは駆けだした。穴に潜る暇はない。とにかく走れ。壁があればどこかにドアがある。逃げろ。
ただそれだけ。7年以上、オレが入りたくて入りたくてしょうがなかった場所は、今やオレにとって逃げなければならない場所になっていた。
「だ、誰だっ!?」
細い中年の白衣の男。オレは森の木々に隠れながら、男に当て身をする。子供時代を勉強漬けで過ごした男と地方で跡取りとして畑仕事を強要され続けたオレ。力では負ける気はない。
男は気絶した。首にかかっていたカードを奪う。恐らく何かの認証とセットでしか使えないだろうが、IDを持っていて損はない。
オレは走る。廊下はどこも同じように眩しいくらい真っ白で、シミ1つなく、入り組んでいる。
ここは一体何階だ?もしかしたら地下なのか?まあいい、とにかく出口。とにかく逃げろ。自分の両足に言い聞かせる。ここ最近の怠惰な生活でなまった肺はすぐに音を上げ始めたが、それでも脳は止まることを許さない。こんな地獄みたいなところ、一瞬たりともいたくない。早く逃げなければ食われてしまう。自分の恐怖に食われてしまう。
洞窟のような、と思ったのはあながち間違った比喩ではなかったのだ。窓がなく閉塞感のある建物全体の空気。先もわからぬ道の末にあるのは地獄。
どこをどう走ったのかなんて覚えちゃいない。さっきまでのようにセンターの秘密を暴くなんて真似はもうごめんだ。もうなにも見たくない。あんな恐怖を味わうくらいなら死んだ方がましだ。だからここから逃げなければ。ここにいたら死ねない。冷蔵庫ならぬ冷臓庫となって倉庫が空になるまで生かされ続ける。