Where is her heart? 5
首都小児病院―――
所謂センターの産物。
センターの中で何年も解決法を審議し続けているが、それでも一向に解決しない問題がある。
自殺に至るまでにはそこそこ長い人生経験が必要になる。それがなければ人生に絶望することなどほとんどない。何も知らない子供は絶望すら分からないということだ。つまり、毎年一万人もいる自殺者のうちのほとんどが大人であるということ。そして重要なのは、臓器移植における適合の問題。
血液型、サイズ、部位によっては遺伝子型など、移植が成功するためには様々な障害が存在する。ここで問題になるのはサイズであり、ようするに大人の臓器のほとんどは子供に移植できないということ。
部位によっては大人の臓器が余っているのに子供の臓器は全然足りない。さて、この問題をどうするか。
解決法1、技術を進歩させる。これができれば世話ない。
解決法2、子供のレシピエントを待つ。一般的な脳死や病死した子供のうち、親が承諾した場合は移植可能な臓器を移植できる。
解決法3、患者が大人になるまで待つ。
1はもちろん研究がつづけられているが、2と3はどうしても患者に長生きしてもらう必要がある。
そこで考え出されたのがこの病院。患者を一堂に集めることで医療効率を上昇させ、さらに移植も病院内で行う。この利点は何か。ともに闘病していた仲間が回復する。次は自分の番。頑張ってみようと思うだろう。人によっては根拠のない根性論と批判するが、人間の根性をバカにしてはいけない。本人の頑張り次第で栄養摂取の向上などなど長生きすることは可能だ。批判したければデータを見ることだ。
この病院には15歳以下の子供しかいない。もちろん中には間に合わずに死んでしまう子供もいるが、それでもこの病院の存在が子供たちの命を救っていることに変わりはない。
さて、そんな皮肉るのもいささかはばかれる病院にどうしてオレがいるかというと、そりゃトモさんに呼ばれたからに決まってる。
「藤田の上司の井上といいます。高嶋さんのお話は藤田から聞いております。本日はぜひ見ていただきたいものがございまして、お呼び立てしました」
応対したトモさんは笑顔バージョン。ああ、なるほど、そういう流れね。じゃあオレいらねえじゃん。オレは軽くため息をつき、歩き出したトモさんと高嶋優衣の後を追った。
トモさんが向かうのはA棟。いるのは移植手術が成功し、経過観察も終盤で、退院間近な子供たち。9時の就寝までの間、集合スペースで仲良さそうに話している。オレはここに来るのは初めてだが、ここだけ見るとほかの小児病棟とあまり変わらないように見える。
高嶋優衣は何も言わなかった。何も言わずに支援法に命を救われ、生を喜ぶ子供たちを見ていた。
トモさんのやりたいことはわかる。でもさ、ちょっと卑怯じゃないか?この空気に水を差したがるオレがいる。
「確かに支援法にはまだまだ倫理面に大きな問題があります。1つの命を救うために別の命を奪う。それはあまりにも大きな矛盾です」
しかし、とトモさんは笑顔を浮かべて続ける。視線の先には笑いあう子供たち。
「あの子は先週まで目が見えませんでした。今でも視力は好調とは言えませんが、矯正によって日常生活に不自由がない程度には見えるようになりました。あの子は生まれつきの重度の腎不全で、ずっと透析を受けてきました。しかし、今では自分で用を足すことができます。あの子は先月まで外に出たことはありません。白血球の異常で、免疫があまりに弱く、生まれてすぐに滅菌室での暮らしを余儀なくされていました」
ずいぶん気にかけてるんだな、と思う。まあ、トモさんのパーソナリティを鑑みればわからないことではないか。
「・・・・・・」
高嶋優衣は何も言わず、じっと子供たちを見ている。その視線に一人が気付いて、手を振った。3人のうち振り返したのはトモさんだけだ。
「この笑顔を守るために、私たちは矛盾を抱え続けます。それだけの覚悟が私たちにはあるのです」
トモさんはぶれない。信じるものが変わらない。だから強い。多分これこそが小学校の担任が言っていた“強さ”とやらなんだろう。
高嶋優衣は嗚咽を漏らす。その頬には涙が見て取れる。
「私の友人も・・・エミも、今どこかで誰かの笑顔になっているのでしょうか?」
友人がセンターで殺されたと言っていた。もしかしたらこの中にいるかもしれないし、まだ移植待ちかもしれない。
「ええ、きっと」
トモさんは言った。きっとオレでも同じこと言うだろうな、とかガラにもなくそう思った。
「お疲れ様、タカ君。うまくやってくれたわね」
高嶋優衣を送って、ロビーに座るオレの横にトモさんは座る。その表情はいつもと同じ。笑顔のまま。あっちのトモさんと同様にこちらのトモさんも感情表現にあまりにも大きな制限がある。あっちだろうがこっちだろうが結局変わらない。どちらも等しく欠けている。
「いや、オレが何もしなくてもトモさんがいるだけで問題なかったでしょ」
案内役というのもおこがましい。オレは無駄に場をかき乱しただけだ。
「それに、半分は事実だとしても、半分は詭弁でしょう?」
確かに嘘はついていない。ただ、1つの面だけ見ればああなるというだけ。それだけで納得したあの女も相当馬鹿だ。
「そうかしら?」
泡の音。何かと思ってあたりを見て見る。それが記憶によるものだと気付いたのは数秒後。恐怖を思い出すまでさらに数瞬―――
「・・・・・・」
トモさんにはわからないだろう。決してぶれない信念のあるトモさんには、あの異常がいかに異常かわからない。
「とにかく、おかげで助かったわ。上司からの褒め言葉は素直に受け取っておきなさい」
立ちあがって、オレの肩に手を置いた。それは不愉快とはいかなくても不可解で、オレは何も答えられない。オレは何も応えない。オレの中のどこを探してもこの問いの解は出てこない。
トモさんがいなくなってしばらくしてから、オレは立ち上がって病院を出た。ここは上の、しかも排気ガスとは無縁な場所にある。それでも星はどこにもない。満月が1つ、下のほうに浮かんでいる。
東京の天は薄気味悪い。大気汚染と明かりのせいで星がない空。深いねっとりと絡みつくような闇色はあの日の動悸を思い出させる。
「・・・・・・・・・・・・くそっ」
オレはようやく足を進める。忘れたくても忘れられないあの日の自分。もはや価値のないはずの過去はこの闇のようにオレを絡めて放さない。