Where is her heart? 1
オレの生活は順風に回っていた。多分東京に出てきて初めてのことなんじゃないだろうか、通帳の中にまとまった金があるというのは。ただ、目の前の定食を見てると、ああ、この金もそのうちなくなるな、とか思わないでもない。節約すべきだとわかっていてもできない男、それがオレである。
というわけで、ソッコーでバイトを探し、すぐに見つかる。こちとら半年以上バイトを転々としている身だ。ルートは完全に確保してある。ただ、これ以上バイトを辞めると信用をなくしかねない。命には代えられないとはいえバイトができなくなるのは非常に困る。
こちとら監視されている身なので(しかも監察官がトモさん、逃げることなど決してできない)、あまり遠くに行くことはできない。条件もおのずと家の近くになる。いろんな条件を照らし合わせた結果、今現在卸売業者の倉庫番をやっている。倉庫番といってもただただ商品を見ていればいいというものではない。倉庫に送られてきた商品を整理して入れ、売りに出す商品をトラックに積む。結構肉体労働だ。その分割がいいので、気に入ってはいるが、それだけにケータイのあの着信音が怖い。
常時三人態勢で臨み、仕事がないときは休憩。休憩が30分までならちゃんと1時間分の給料が出るというから驚きだ。要するにオレのほかにも何人か、というか何人も働いているのだが、みな現代人とは思えないほどの肉体を持った中年である。なんでこんな細いオレが採用されたかというと、鍛え方に起因するのだが、そこはそれ、トモさんのおかげ、あるいはトモさんのせいである。
今日も今日とて朝から3台のトラックが来て、商品を落としていく。このあたりは安いスーパーが多く、その商品を一手に引き受けているというのだから忙しいのもうなずける。オレ以外の二人は無駄にくっちゃべっているが、オレは一人で黙々と働いていた。いずれ心証がよくないことになるのは目に見えているので、とりあえず点数稼ぎ。
「いた~~~~~~!!」
突然倉庫の外で声が上がった。馬鹿な女子高生が殴られでもしたのだろう。つまり、「痛!」と言っているということだ。果たしてこの辺に高校はあったのかということと、そうだとして、どうして女子高生が殴られているのかということは考えない。そこに現実があるのならば、それが起こる可能性はどれほど小さくても結果起こったことなのだ。
「やっと見つけた!すいません、ちょっといいですか!」
うるせえなぁ、保護者は何やってんだ。しかし、どうやら「居た」ということらしい。そりゃそうだろう。このあたりに高校はないし、こんな白昼から女子高生が殴られるほど悪い治安じゃない。貧相な地域だけど。
「ちょっと、無視しないでください!」
はっ、無視されてるし。そりゃそうだろ。突然叫びだす女子高生となんて誰も係わり合いになりたくねえな。さてと、このダンボールは・・・食品か。じゃああっちだな。
「あの、すいません!」
肩をグイっと掴まれ、後ろから引っ張られた。それほど強い力ではなかったので、ダンボールを落とすことはない。
ていうかなんだよ。呼ばれてたのオレかよ。!
振り返ったオレの目の前には眼鏡に首ひも付きのデジカメ、しゃれた格好をした、二十歳を越えている女が立っていた。
「誰?」
いやマジで。オレは人間関係は最低限でいいと思っている人種なので、知り合いの顔は忘れない。いや、待てよ。今までのバイトの同僚かもしれない。それならほとんどが忘却の彼方だ。だからそうに違いない。
「若いっていうのはいいねえ」などとからかうおっさんたち。ガン無視。
で、目の前の女は一つ咳払いをして、かっこうに不似合いな黒い大きなカバンから名刺を取り出し、オレに渡した。いまどき名刺とか・・・。
「情報誌ルポのものです。支援法のことに関してお話を伺いたいのですが」
あ?今なんつった、この女。
「支援法?ああ、途上国支援法の話っすか?いいんじゃないですか。もう少し予算つぎ込んでも問題ないでしょ」
さ、仕事仕事。
「違います!自殺支援法のことです!私見たんです。先週の夜、あなたが・・・もご」
オレの右手が女の口をふさぎ、オレの右足が女の足を払い、オレの左肩が女を担ぐ。うわ、着てる服がオレが触れたことのないような感触だ。いい服着てやがるな、とか思いながら、「すいません、急用っす」とか言って、背中におっさんどもの笑い声を浴びせられながら、走った。
必然、走っている間は口をふさいでいるわけにはいかないので、オレの左耳は「ちょ、ちょっと、何をいきなり、突然・・・えっと、あの、下ろしてください!」とか聞かされ、じたばたされることになる。めんどくさくなったので、人気のない所で落とした。下ろしたわけではないというところが肝要である。
「えっと、タカシマさん?何の用?」
名刺の名前を見て、足元に落ちている女に声をかけてみる。ああ、やべ。オレの額に今怒りマークがふんだんにあるわ。
目の前の女―――高嶋優衣というらしい。は若干の涙目で立ち上がり、汚れてしまった(汚したのはオレだが)スカートを払った。
「で、ですから、自殺支援法のことでお話を伺いたいのです」
オレは情報誌ルポという雑誌のことは知らないし、名詞に書かれている会社も知らない。どうやら下にあるような小さな会社らしい。
「それで?」
「私、私見たんです!先週あなたが誰かと話しこんでいて、それも自殺の話をしてて、襲われたのに返り討ちにして、その後現れた人がセンターの話をしてて・・・」
あっちゃあ、最悪。何が最悪ってオレがここまでこの人を拉致って来ちゃったこと。あの時点で人違いと言い張ればよかったのだ。これじゃあすでに認めてしまっているようなものだ。
「あなたはいったい何者なんですか?支援法と一体どんなかかわりがあるんですか!?」
はあ、そもそもあれ見られてたのかよ。トモさんですら気配に気づかなかったってことだよな。忍者か、こいつは。
「人違いだろ。たまたまオレと背恰好が似てるやつでもいたんじゃねえの」
あくまでもはぐらかしてみる。無駄かもしれないが、いい張れる所まで言い張ってみようか。
「そんなことはありません。私、あの後あなたを尾行して、ちゃんと顔も覚えましたから」
「・・・・・・」
犯罪者か、こいつは!おかしいな。そんなオレ気を抜いてたか?
「支援法についてはどれほど調べても途中で止まってしまうんです。まだ細かいところが整備中だとか言って。おかしいですよね!法自体はすでに適用されていて。ちゃんと職員もいて、それなのにまだ確定していないなんて!」
助けて、トモさん。とかガラにもなくトモ頼みしてみるオレ。人のこと言えねえかも。他人が誰かを助けることなどないというのに。
「やっと見つけた手掛かりなんです。お願いします。支援法について話してください!」
90度直角の礼をされる。うわっ、人が来た。すっげえ怪訝な目でオレのこと見てるよ。
「いや、だから知らねえって。じゃ、オレバイトあるから。そろそろ休憩時間も終わるしな」
まだ5分しかたっていないが。
「どうして職員の人数や名前が公表されてないんですか!?どうしてセンターの場所を誰も知らないんですか!?何かあるからじゃないんですか!?」
背中に高嶋優衣の声を浴びる。それを聞いて口元がわずかにほころぶ。
ああ、その通りだよ。あそこには世間に公表できない理由がある。知ればすべてが覆るようなものがある。あそこはどう考えても地獄だよ。天にあってもあれは地獄だ。だが、それがどうした。それでも世界が回るなら、そんなことオレにもあんたにも関係ないだろ。