Anyone! Help me! 6
深夜0時―――
暗闇にたたずむ東京湾。人間が重力を克服できない限り、輸送手段に飛行機を使うのは限界がある。というわけで港は今でも大事な輸送の中継地点である。日本の人口の半分に匹敵する人間が生活するここ東京。そりゃ輸送も活性化するわけである。だから深夜といえども船は行きかうし、人はいるが、それでも昼ほどじゃない。十分に自殺はできる暗さと静かさだ。
指定されたのは港の隅のほう。東京湾は広いので隅の方というと家からも相当遠いが、そこはそれ、必殺経費落としを使う。もっとも、支援法が有する膨大な予算の前ではこの程度の雀の涙では何も殺せないが。
果たしてそこに、“ジェノ”はいた。いや、“ジェノ”かどうかわからないが、こんな時間にほかの人が来るような場所じゃないし、なんとなく雰囲気でわかる。
死んでいるのだ。纏う空気が、目が。似ている、と改めて思う。あれは昔のオレだ。力強いベクトルで、しかもそれが後ろ向きであることも。
「フェイスさんですね。お待ちしてました」
恐らく年齢は十代中盤といったところか。高校生だろうか。上下黒の格好はあたりの闇に紛れてしまっている。無意識のうちに自分の存在を消したがっているみたいに見える。
“ジェノ”の足元には首吊り用のロープが2つ。またしてもなんともどこかで見たことのあるような自殺法。じゃあ間違いなく“ジェノ”だろう。
トモさんにはすでに連絡してある。しかし、準備に滞っているらしく、到着までまだかかる。ここは車で入れないところなので、しばらくかかるだろう。だから、オレに任された最後の仕事はその「しばらく」を埋めること。
「よければ、どうして自殺に至ったか教えてくれませんか」
こいつはオレに似ている。しかし違う。その違う点がオレがこいつにつけ込んだ場所。
つまり、他人を撥ね退けたがるか、他人に頼りたがるか。
前者であればそもそも自殺サイトに書き込みなんかしない。一人で勝手に死ぬ。それができないこいつは間違いなく後者だろう。だからこいつは話したがる。自分がいかに不幸で、どれほどかわいそうなのかを。
読みは当たり、砕けたブロックに腰かけるオレの横で訥々とつむがれる呪怨の言葉。
いじめられていた中学生活。心機一転、遠くの高校に通うも変わらない日々。両親の不仲。息もできないような家の中。助けはなく、救いはない。そんな人生。
「僕の肩を叩いて応援する人もいましたよ。むしろ僕はそういうやつにこそむかつきました。人の気も知らないで。何が頑張れだ!頑張ってるんだよ!!何がみんな辛いんだよだ!お前たちに僕の何がわかるんだ!!」
“ジェノ”は肩で息をする。力のこもった呪詛呪怨。呪いしかないこの人生。それはまさしく地獄だろう。
ごめん、トモさん、もう限界。
「馬鹿かおまえは」
「は?」という言葉すら出なかった。何かの幻聴でも聞いたような、“ジェノ”はそんな顔をする。
「誰も理解してくれない、だと?当然だ、そんなもん。お前は一体何年人間やってきてんだ?知ってんだろ?人間っていうのは二種類しかいねえんだよ。強者と弱者?勝者と敗者?ちげえよ。自分か他人か、それだけだ」
それを知ったのは小学生のころだった。実際、いやな子供だったのだろう。そして、今のオレにとってもそれは同じ。なぜならば世界は変わらない。要するにここは嫌な世界なのだ。いつまでも変わらない、腐った箱庭のままだから。
「わかるか?どこまで行っても自分は一人しかいねえんだよ。自分が2人いる奴がいたらオレの前に連れてこい!いねえだろ?だから自分を理解してくれる奴なんていねえし、誰も彼も自分勝手に生きてやがるんだ」
“ジェノ”の顔が真っ白になっていく。だが、そんなものオレの知ったことか。
「理解者?はっ!気持ち悪いだろうが。そんなの理解したふりしてせせら笑ってるに決まってんだろうが。四方八方上下左右、どっからどう見ても偽善者の間違いだろうが。気付けバカ!」
パクパクと餌をねだる鯉のように“ジェノ”は何も言えない。オレはここ3日間ため込んでいた気持ちを全部吐き出したので、超スッキリ。スッキリついでにたちあがって大きく伸びをした。
「・・・どうして」
蚊の鳴くような、辺りが静かじゃなかったら決して聞こえないような声で“ジェノ”はあたりに全く音がない状況でも決して聞きたくない言葉を言う。
「どうして君までそんなことを言うんだ。どうして、どうして・・・。やっとなんだ。何人も何人も何人も何人も違ったんだ。やっとなんだ。やっと見つけた。僕を理解してくれる人を。それなのに、どうして」
何かに祈るような、何かに嘆くような言葉。それすらもオレにとっては小説の中のどうでもいいセリフで。
「助けて、誰か。助けて、神様。なぜだ。どうして、世界で一番不幸な僕をどうしてだれも助けない!」
「自惚れんなよ。そして手前勝手にオレにも神にも幻想を抱くな。人は誰も救わない。自分自身が一番大事だからだ。神は誰も救わない。自分が一番かわいいからだ。オレはお前を救わない」
オレは言う。ずっと言いたかったことを、胸一杯に息を吸って言い放つ。
「―――お前なんかに、興味はないからだ」
似てると思った。昔のオレと“ジェノ”が。だが違う。決定的に違う。オレは戦った。戦って、戦って、戦って、戦った。ただ、オレにとっても周囲にとっても最悪なことに、そのベクトルが破滅の方向を向いていた。それが似ているという錯覚。勘違い。
「取り返しのつかなくなる前に誰かに頼ればよかったな、なんて言わねえさ。誰かに頼ったところで何も変わらなかっただろうし、お前も変わらなかっただろうよ。そうだな、あえて言うなら―――」
ほかに言うことはないだろう。古今東西死者に言えることなど限られている。
「―――ご愁傷様」
「うわああああああ!!」
18人。18人を自殺に追い込んだ「殺人鬼」は壊れ、叫ぶ。心が砕ける音はしない。そんなものはどこにもないから。あるとしたら脳の中。だからこの叫び声こそが、脳が壊れた音だろう。
“ジェノ”は陽炎のようにゆらゆらと、自分かオレか、どちらかを吊る予定だったロープを手に取り、オレに歩み寄る。要するにあれだ、吊らない代わりにオレの首を絞めてやろうという魂胆。別に結果は変わらない。過程がほんの少し違うだけ。数学みたいなもんだ。
しかし、残念ながらその光景におののいたりしない。あー、マジ昔のサスペンスドラマで見た光景、とか思うだけだ。自殺方法といい、お前マジで古臭い方法好きだな。じじいかっての。
だいたいいつも思ってたんだ。ニタニタ笑いながら襲いかかってくる犯人になんで被害者は抵抗しねえんだよ。わかんねえ。それこそ自殺志望かっての。
こぶしを握りしめ、体を沈める。ロープは両手で持っている。要するにボディががら空き。こぶしは吸い込まれるように決まった。
「がっ、ごほっ・・・!」
うずくまって倒れる“ジェノ”。腹筋があれば少しはましだったかもしれないが、病的なまでにやせ形のこいつではその望みも薄い。ダメージはダイレクトに体を駆け巡り、痛みは瞬間に脳まで達する。
「確保!」
神経伝達速度よりは遅いが言葉が相手に伝わるよりも十分に早い速度で黒ずくめたちが“ジェノ”を取り囲む。終わりを告げる手錠の音が静かな闇の中に響いた。
「よくやった、ホーク。お前が殺されて殺人罪に問えれば言うことなしだったんだが、まあいい。殺人未遂でも十分余罪の追及はできる。まだセンターに送られるかはわからんがな」
などと、血も涙も、もちろん心もない言葉とともにトモさん登場。
「これからお前は警察でみっちりと取調べを受けることになる、覚悟しておけ」
追い打ちをかけるトモさん。もっとも、すでに“ジェノ”の脳に言葉が届いているか怪しいが。
「自殺した18人の中にはまだ戻れたやつがいたかもしれない。勝手に死んだのは奴らであっても、殺したのはお前だ。だから肝に銘じておけ。死すらもお前を救わない」
「・・・・・・・・・っ!!」
それは、言葉にならない悲鳴。世界に愛されなかったものの末路。2か月もの間、世間を騒がせ続けた“ジェノ”の最後の叫びだった。
地下鉄に乗って、家に戻る。そのまま寝ようかと思ったが、最近寝すぎていることに気づく。本当はパーっと何かを食いたいが、金は明日中に振り込まれるそうだ。さすがに現金でポンっと渡すほどトモさんは世間知らずではない。というわけでやることがない。気まぐれに、眠くなるまで何かを考えてみることにした。
人は誰も救わない。
この言葉をどれほど本気で言ったかといえば、実はそれほど本気じゃない。広い世界の中にはちゃんと人を救っているやつがいて、その努力を切り捨てるほどオレはひねた性格をしてはいないつもりだ。
だが、神はオレたちを救わない。これについては本気だ。どんな宗教家に聞いても神は万能だという。万能であるということ。全ての能力を持っているということ。つまり、一人で十分事足りるということだ。自分だけで生きていける奴がどうして他人を助けようという発想を持つ?助けられた経験も喜びも知らないやつがどうして人を助けようと思い立つ?今も昔も、国が滅びようが地球が破滅しようが変わらない。絶対は弱者を救わない。きっとオレたちがこうして地面を這いつくばっていること自体気付いていないだろう。
この広い世界の中で、オレは数多くいる敗者の一人ではない。ただ一人しかいない自分だ。だからこそ、自己中心であってもいいと思うし、自分を守る義務がある。“ジェノ”はそれを放棄したのだ。そして、その放棄を周囲のせいにした。自分は間違っていないと信じた。それなのに自分が一番不幸だと論じた。
くだらない
考えるだけ時間の無駄だ。もうすでに終わった物語で、それもごくごくありふれた、二度目なのか初めてなのかもわからない、そんな単純な物語。
今日はもう寝ることにしよう。ごちゃごちゃと考えるのももう飽きた。