百合のお酒はシュワシュワと
黄金色のシュワシュワがグラスの内を駆け上っていく。
騒がしい談笑の中で、絶え間なく生まれては消えていく。
そんな様子が、僕にはとても安心できた。
慣れない飲み会という場で、物言わずパチパチと弾けていく気泡。
このジンジャーエールだけが、僕をただの臆病な大学生から、間の抜けた天然へと仕立て上げてくれる。
「椎葉ちゃんさ、ジンジャーエールなんか見てて楽しいの」
ほら、さっそく一人引っかかった。
どこか呆れたようにこちらを見つめる視線。
僕はわざとらしく目を大きく見開いて、声音だけは優しく響かせる。
「楽しいよ。気泡にも色んな種類があるから。同じものなんて一つもなくて、興味深い」
「へぇ。でも、せっかくの飲み会なんだから話した方が楽しくない? 気泡なんて、いつでも見れるよ」
僕の目の前からグラスが没収される。
縋るように黄金色を追っていくと、ブロンドの髪が目に入った。
お化粧をばっちり決めて、目鼻立ちの整った可愛らしい女の子。
僕みたいな根暗女とは比べ物にならないぐらい陽気な、同級生だ。
「大学生の飲み会と言ったらイッキだよ、イッキ」
爪先でガラスをカンカン鳴らし、液体を回す。
彼女は自らのグラスを弄ぶと、そのまま掲げて見せた。
気泡も無ければ度数もないただの烏龍茶。そんな澄み切った飲み物を、一気に喉へ流し込む。
「烏龍茶なんか一気飲みして美味しいの」
思わず尋ねると、彼女は首を横に振った。
「全然。でも、お酒よりはマシ」
「ふぅん。日向さん、お酒飲んだことあるんだ」
「あはは、どうだろうねぇ。コンビニで買った缶が、たまたまエタノールっぽい味がしたんだよね」
すっとぼけるような笑顔に、間違いなく飲んだのだと確信する。
「椎葉ちゃんは。大学入って飲んだことないの」
空になったグラスをマイク代わりに向けられ、僕は首を振った。
「ないよ。お酒自体、昔正月に舐めたお屠蘇ぐらいでしか」
「そっか。じゃあ一度くらいは飲んだ方がいいよ。社会勉強だと思って」
親戚の叔母さんみたいなこと言う。
「二十歳になったら考えるよ」
「四捨五入したらもう二十歳だよ」
「やだよ。まだ若くいたいし」
「あはは、なにそれ。それ以上若くなったらもう赤ちゃんじゃん」
日向さんがカラカラと楽しそうに笑う。
そうして、すっかり興が乗ったのか、彼女は対面の席から重い腰を上げてすぐ隣まで移動してきた。ついでに没収していたジンジャーエールも返却して、僕の方をじっと見つめてくる。
「椎葉ちゃん、肌ツルッツルだよね。こうして間近で見てみると高校生……いや、中学生にしかみえないかも」
「ふん。どうせ垢抜けてないガキだよ」
「そういうことじゃないってば。大学近くのコンビニなんてさ、もうわざわざ年齢確認なんてしないけど……椎葉ちゃんなら、されるかもね」
日向さんが僕の首に腕を回してくる。
「ねぇ、椎葉ちゃん。椎葉ちゃんって彼氏いるの」
「……どうして」
烏龍茶で喉を潤わせたせいだろうか。
途端に湿度を含んだ絡み方に、僕は身を捩らせる。
「気になっただけだよ。椎葉ちゃんって可愛いし、純粋無垢そうな顔しておいて、実はやり手だったりするのかなって」
「意味が分からない。それに、教えてもあげない」
「どうして?」
くりくりと大きな瞳がこちらを見つめる。
「僕の彼氏、浮気性だから。可愛い女の子に目がないの」
「本当かなぁ。私に嘘ついたら、悲しいよ」
「本当だって。その恋人がどこにいるのか、名前すら知らないけど」
言うと、またしても日向さんはカラカラと笑う。
可愛らしい顔をしている割に、結構豪快な笑い方をする人だ。逆にあざとくて好きかもしれない。
「椎葉ちゃんは、このあとの二次会には参加する?」
「しないよ。飲み会も……多分、もう二度はしない」
日向さんの目が怪しく輝く。
組み付いてきていた腕をさらにギュッと抱き寄せ、頬をぶつけてくる。
「じゃあさ、先に二人で抜け出しちゃおうよ。今日はバイトのシフトがあるから、二人で先に失礼しますって言ってさ」
甘い声。
猫でも相手にしたかのような優しい響きに、僕は背筋を震わせる。
「……いいよ。今日の参加費、半分払ってくれるなら」
「知らないの? さっき先輩が、一年の分は全額奢ってくれるって酔っ払ってたよ」
「へぇ」
日向さんが指さした先を見ると、三年生の幹部連中が顔を真っ赤にしてドンチャン騒いでいた。
確かにあの分なら財布の紐も緩んで数万単位でポンと出してくれそうだ。
「じゃあ、いっか」
僕は日向さんの手を掴み、立ちあがった。
「わぁ、椎葉ちゃん大胆」
暖かくて柔らかな手。
ギュッと握りしめると、向こうも力強く握り返してきた。
――女の子相手なんて、想像もしたことなかったな。
僕はすぐ隣に座っていた同級生に一言だけ伝えて、居酒屋を後にする。
暗い世界に、飲み屋街特有の華々しい明かり。肌を刺すような冷たさに体を震わせながら、僕は雑踏の中を悠然と進む。
どこに行くかも決めていなければ、何をしたいのかも分からないけれど。
人込みの中で手を繋いで歩くだけで、どこか満たされるような感覚がする。
「どこ行く? カラオケ、家……それとも、ホテル?」
「ホテルなんかこの辺にあるの?」
「あるよ。イカでも獲るのかってぐらい、下品で眩しいトコが。日向さんにはちょっと俗っぽいかもしれないけど」
日向さんの風貌ならもっと洒落た、宮殿みたいなトコの方がイメージに合うだろう。
メルヘンチックでありながら、モダンな雰囲気も兼ね備えた、凛としたラブホテル。
きっと探せばこの辺りにも存在するのだろうが、徒歩圏内ではないはずだ。もう八時も過ぎて段々バスを探すのも面倒になってくる時間帯だし、ホテルなら候補は一つしかない。
「私、そんな高尚な人間じゃないよ。お酒だって飲んでるし……煙草も、一回だけ吸ったことある」
「一回だけ?」
「体に匂いが付くし、不味いからすぐやめちゃった。電子もよくわかんなくて怖いから吸ったことないし」
日向さんがカラリと笑う。
「だから、俗っぽいホテルなんかがお似合いだよ。良いよ、そこ行こ」
「……そっか」
ギュッと腕に抱き着いてくる彼女に、僕は思わず目を逸らす。
僕みたいな根暗とは住む世界が違う明るい人だと思っていたけれど、話を聞いてみるとずっと近しい女の子だった。
「どうしたの?」
「ううん。日向さん、僕が思ってたよりずっと可愛いんだって、今気が付いた」
「あはは、なにそれ。椎葉ちゃん、変な人」
鼻をスンと鳴らし、日向さんをホテルまで連れていく。
飲み屋街の大きな通りから一つ二つ外れ、国道へ繋がる道に設置されたラブホテル。
相変わらずビカビカと眩しい誘虫灯みたいな看板につられて、僕たちも中に入っていく。
こぢんまりとしていて、落ち着いたエントランス。
外観の派手さから想像もできない普通な景色に、日向さんは興味深そうにあちこちを見渡していた。
「私、ラブホテルってもっと凄いとこかと思ってた」
「そう言うところもあると思うよ。派手なピンクとか黒が入り混じって、いかにもな雰囲気のラブホは」
とはいえ、僕もホテルはここしか知らないから滅多なことは言えなかった。
無人精算機のパネルを弄って、適当な部屋を探す。
どうせどれも大して変わりはしないが、出来るだけ空き部屋の多いところを選ぶことにした。
声が聞こえても気まずいし、誰かと鉢合わせても気まずい。
なんて、向こうからはただの女子会にしか見えないだろうけど。
それでも、みみっちい誤魔化しに勤しんでいると、隣から日向さんがちょこんと顔をのぞかせた。
「料金はどれくらい? 私もちゃんと払うよ」
「いいよ、気にしないで。初ホテル記念で奢ってあげる」
「いいの? やったぁー」
子犬のように嬉しさを溢れさせる日向さんの頭を撫で押さえて、部屋を選ぶ。
「じゃあ、行こうか」
受付を終え、僕は彼女の手を取って部屋へと向かった。
――少し値段の張るビジネスホテル。
僕が初めてこのラブホを利用した時の感想が、それだった。
清潔感のある白を基調とし、ブラウンのベッドカバーやデスク、暖色のライトで彩られたモダンな空間。
だけど、明らかに普通のビジネスホテルと違うのは、やたら大きなベッドとモニター、そしてユニットバスに空間が割り当てられている点だろうか。
日向さんは持っていたバッグを机に投げ出すと、せわしなく室内を見て回った。
「わー、わー、アメニティが凄い充実してる! 何かよくわかんないものまで!」
普通のホテルにも置いてあるだろうブラシやタオルから、生理用品、果てはアダルトグッズまで。
多種多様なアメニティが、洒落た部屋の中に当然のように置かれていた。
普段は敬遠されて秘められているものが、ここでは当たり前のように曝け出されている。
そんな非現実感が、僕は好きだ。
「ねぇねぇ、みて椎葉ちゃん、これなんかさ――」
小さな引き出しの中に収納されていたゴムを指差し、嬉々として報告しようとする日向さん。
僕はそんな彼女の唇をさっそく奪った。
「……え?」
一瞬、世界が凍り付く。
これまでとめどなく流れていた時間が静止して、口先の暖かな感触だけが彼女を知覚させる。
日向さんが驚いて顔を離すが、僕も同じ分だけ前進した。
細身な肩をがっしりと掴んで、ベッドの上へ押し倒す。
スプリングのよく利いたふかふかのベッドは、軽い日向さんの身体を面白いように跳ねさせた。
「あの、椎葉ちゃん?」
「なぁに?」
「その……あんまりいきなりすぎるから、びっくりしちゃって」
顔の前で指先を突き合わせ、おっかなびっくりと僕を見上げる。
「僕は今すぐにでもシたいけど……ダメ?」
「ダメじゃないよ? でも、居酒屋入った後だし。いくら冬って言っても、汗はかいてると思うからさ」
「いいよ、気にしないから」
また拒絶される前に、日向さんの唇を奪う。
口紅で染められ、ぷりぷりと艶が輝いた紅色は、口先で味わってみると確かに柔らかかった。
張りも潤いもあって、舐めているだけでちょっと楽しい。
「ん……ふふっ」
日向さんは、こう見えても結構初心らしい。
ぎゅっと目を瞑って、口も堅く閉じて。
それでもくすぐったさを隠しきれないのか、こそばゆい息をしきりに漏らしていた。
「どう? まだ、嫌?」
「分かんない。胸がいっぱいで、頭が追い付かないや」
「そっか」
激しい心臓の鼓動が、意識を揺らす。
気を抜いたら気絶してしまいそうなほどの昂ぶりがが、体温を激しく上げた。
やっぱり日向さんは、僕なんかよりずっと真っ白で眩しい人だ。きっと何回生まれ直しても、僕にはこんな可愛らしい顔は出来ないだろう。
だけど、この顔を今だけは一人占めできる。そう考えると、こんな気分も悪いものではなかった。
***
今回の計画に一つだけ誤算があるとしたら、それは僕が日向さんの気力を低く見積もっていたことだ。無邪気で子供っぽい仕草とは裏腹に……いや、その印象そのままに、彼女のバイタリティは僕の体力を遥かに上回っていた。
「ねぇねぇ椎葉ちゃん起きてよ! ここのお風呂、ジャグジーがあるんだよ!」
夜が明けて、チェックアウトを数時間後に控える早朝に、日向さんは楽しそうにはしゃぎ回っていた。まるで、日曜の朝に散歩を待ち詫びて騒ぎ出す飼い犬のように。
「椎葉ちゃんの大好きなシュワシュワだよ! 一緒に入ろう!」
「いいよ、別に……日向さん一人で味わってきて」
「ダメだよ。せっかく高いお金払ってもらったんだから、椎葉ちゃんにも楽しんでもらわないと」
未だに瞼が重い僕を、キラキラと目を輝かせた日向さんが引っ張ってくる。どうやら昨日のジンジャーエールを真に受けて、僕の事を気泡マニアか何かだと勘違いしているみたいだ。
「私、お湯溜めてくるから! それまでにちゃんと起きてね」
彼女はそう言い残すと、一目散に浴室に走り去ってしまった。寝起きだというのに、昨日の夜よりずっと元気なくらいだ。
「……うん?」
と、そこまで考えて、僕はある違和感を覚えた。
どちらかと言えば普段の日向さんからは、今みたいな子供らしい無邪気さを感じる。快活で誰とでも親しく接し、ネガティブな一面を滅多に見せない。
だが、そんな日向さんが、昨晩はやけに湿っぽい絡み方をしてきた。それこそ、お酒にでも酔っているみたいに。
まさか、あの烏龍茶。シュワシュワとしていないだけで、本当はアルコールが入っていたんじゃ。
陽気な酒飲みの気分に中てられて逆上せていたのは、日向さんではなく僕の方だったのでは――
「はぁ」
色んな可能性が頭を過って、僕は思わずため息を吐く。心なしか頭痛もして、口の中の甘ったるいほろ苦さと共に、気分は二日酔いだった。
――まだお酒を飲んだことはないけれど。
黄金色のシュワシュワはきっと、こんな味がするのだろう。




