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桜花 拓郎が父と住んでいるアパートは、うちのすぐ近くにある。以前はもっとすぐ近所に家があったが、おばさんの都合で離婚して、家は売りに出されている。
もし、僕に祖父の莫大なる遺産が手に入ったら、その家を彼に買い与えてもいいと思っていた。
そう、幸子さんに会うまでは。
だけど、現実的に考えると、そんなことをしても誰も喜ばないことに気づいてしまった。おじさんだって、訳ありの家に戻るつもりはないだろう。
ならば。生涯本を読むだけの自堕落な生活を送りたいという僕の夢もおなじではないだろうか?
結婚も出産も経験しないで本だけを読んで、そこに笑顔があるだろうかと考えたらぞっとした。
時分がおそろしいゾンビのような存在に成り下がっていることに気がつく。
働かないで、世間から隔絶された家の中で誰ともつながりを持たない、ということは、ゾンビになるのとおなじことだ。
僕は自らゾンビ化を望んでいたというのか。
おそろしいな、と思いながら、インターフォンに指をかざす。
切りたての髪で首が寒い。
「きらり。……え? なんで? 髪切ったの?」
「似合わないかな?」
似合うと言って欲しくない。拓郎に嫌われたいんだ。
「似合うけど。可愛いけど、どうした?」
明け放たれたドアをくぐると、肩の長さまでバッサリと切った髪のことを思った。
「ハニガ、辞めようかと思ってるんだ」
「へ? なんで?」
「いつまでも子供じゃあるまいし。変に人気が出る前に現実と戦うよ。おじい様の遺産目当てに自分を物みたいに売り込むのは辞めにするんだ」
「まじで? せっかくビリからひとつ、あがれたのに?」
「それだって、バニラんが辞めたことで結局ビリになったし。髪とか肌とかずっと気を使っている生活をするより、現実的に大学受験のことを考えなくちゃ」
拓郎は大学一年生。法医学部だ。
ならば僕はどこを受けよう。
「いいけど。もったいないな。ああ、八ツ橋好きなだけ食べてくれよ。もう体重の心配しなくていいんだろう?」
「うん。でも、もうこういう風に拓郎から呼び出されるのもこれで終わりにしたいんだ」
ほんの少しの間が空いて、それから拓郎からなんで? と声がした。
「僕だって普通の女の子だよ? おじさんがいない時は拓郎と二人っきりになるなんて、変だよ。拓郎に幸子さんがいるように、僕も素敵な恋人を見つけなくちゃいけないしね」
「無理だろう? 普通のことなんて。望んだことすらなかったろう?」
「そんなことないよ」
にが甘な玉露をちょびっとなめた。
「普通が一番だもん。もう、男の子みたいに自分のことを僕って言うのも辞めなくちゃね」
それに関しては、拓郎はなにも言わなかった。
つづく




