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9月2日、甲信越グルメフェアの知らせ

 テーブルの端に置かれた「甲信越グルメフェア」のチラシが、秋の陽ざしを浴びてピカピカ光っている。向かいの子育て広場からは「鬼ごっこだー!」という子どもたちの歓声が飛び込んでくる。私は智子が差し出してくれた「秋の味覚マフィン」をひと口頬張りながら、ふと窓の外を見やった。


「ねぇ、今朝の新聞で見たんだけどさ」


 智子がスマホをパタリと閉じた瞬間、いつもの調子で切り出してきた。アプリで開いていたのは、どうやら地方ニュースのページらしい。


「藤崎凪子さん、知ってる? あの有名な写真家さん。昨日、市の観光誘致ポスターの撮影で来てたみたいよ」


「あー、あのシンママの写真家さんね」美咲がティッシュでうちの次男の鼻をぐしゅっと拭きながら、ぼんやりとした声で相づちを打つ。「ほんと優しい表情の写真ばっかりで、見てるこっちが癒されるのよね」


「えっ、シンママ?」私は思わず声を上げた。「またまた~、智子さん。どこの情報よ?」


「今朝の地方紙に載ってたじゃない。『休日の凪子さん、地元の子どもたちと触れ合う』って見出しでさ。スーパーのチラシの裏にも小さく写真が載ってたわよ」


 智子は得意げにスマホの画面を私たちに見せてくれる。確かに、スウェット姿の凪子さんが公園のブランコに腰掛け、周りの子どもたちに笑いかけている写真があった。


「でもさぁ」佳代がマフィンの端をボソリと齧りながら、いつもの毒舌モード全開。「あんな有名人がわざわざうちらみたいな片田舎に来るわけないじゃん。きっと市の職員が『地元の子どもたち』って書いたけど、実際はモデルの子たちでしょ?」


「まぁ、佳代さんったら」美咲が困ったような顔で笑う。「せっかくの夢を壊さないでよ」


 その時、私のスマホがブルブルと震えた。LINEのグループに新しいメッセージが届いている。智子が「あ、私も同じの来た」と呟いた。


「『甲信越グルメフェア』、今週末から市民センターで開催!」


 智子が大声で読み上げた。美咲が「甲信越って…どこだっけ?」と首を傾げる。


「北陸・甲信越よ!」智子が即座に訂正してくれる。「新潟、富山、石川、長野、山梨、岐阜のこと。えっと…長野は甲信越だけど、山梨は甲信越じゃないのかな?」


「違う違う」私もつられてスマホで調べ始める。「長野と山梨は甲信越、富山石川新潟は北陸。って、これって甲信越グルメフェアなのに北陸も含まれてるじゃん」


「まぁ、細かいことはいいじゃない」美咲がふわふわと手を振る。「で、どんなグルメが出るの?」


 智子がチラシを広げる。その瞬間、美咲が「あの…ほうとうってお団子の一種?」と真剣な顔で尋ねてきて、私は思わず噴き出した。


「ちょっと美咲さん!」佳代が呆れたようにため息をつく。「山梨の郷土料理でしょ。もっちり皮とシャキシャキ野沢菜が特徴の、うどんみたいなもんよ」


「えっ、でもチラシに『かぼちゃの甘みが優しいほうとう』って書いてあるけど」美咲が首を傾げる。「お団子にカボチャ入れるの?」


「違うわよ~」私も笑いながら説明する。「山梨名物のほうとうは、手打ちうどんにカボチャと味噌を絡めた料理。美咲さん、またまた勘違いしてる」


 智子が「でも面白いよね」とクスクス笑う。「横須賀の秋の味覚収穫祭も、今度の日曜日にあるみたい。三浦野菜の直売とか、海軍カレーの試食とか」


「横須賀?」佳代が眉を上げる。「うちの近所は台風で干し柿が全部飛んだわよ。それで秋の収穫祭?」


「え、収穫祭って台風の後なの?」美咲がまた脱線する。「干し柿って飛ぶの?」


「台風の風で、柿の木に吊るしてあった干し柿が全部落ちちゃったのよ」佳代が肩をすくめる。「代わりに横須賀のお菓子でも買いに行く?」


 私たちは顔を見合わせて笑った。公民館の子育て広場からは「お母さんたちー! おやつまだー?」と、うちの子たちの声が響いてくる。


「もうこんな時間」智子が時計を見て立ち上がる。「子どもたち、昼寝から起きたみたい」


「ほんと、くだらない話で笑った時間が一番ほっこりするね」美咲がコーヒーカップを口に運びながら呟いた。


 私たちは急いでマフィンの残りを箱に詰めながら、公民館の出口へ向かった。子どもたちが駆け寄ってきて、私たちのスカートを引っ張る。


「おやつ! おやつ!」


 秋の陽だまりの中、公民館の外に出ると、子どもたちの笑い声が風に乗って広がっていった。私たちは顔を見合わせて、また笑った。


「まぁ、また明日ね」


 智子が手を振りながら言う。美咲と佳代も「明日は違う話題でしょ」と笑いながら、それぞれの子どもたちの手を引いて帰っていく。


 私は残ったマフィンを見ながら、明日はきっとまた、どこかのニュースで盛り上がるんだろうな、と思った。地方都市のちょっとしたニュースが、私たちの日常をこんなに楽しくしてくれるなんて。


 子どもたちが「ママ、早く!」とせがむ声に、私も小走りで家路についた。

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