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9/13

はじめての平日の朝

 朝は、アラームが鳴るよりも前にふと目を覚ました。


 まだ外はほんのりと薄暗く、窓の隙間から差し込む朝靄のような光が、部屋の空気を静かに照らしていた。


 心愛(ここあ)は布団の中で小さく身体を丸めたまま、しばらく天井を見つめる。


 枕元の時計に手を伸ばすと、表示された時刻は「5:52」。


 あと少しだけ眠れるかもしれない時間。 けれど、なぜだか心が落ち着かなくて、まぶたが閉じられない。


 そのとき、隣の部屋からかすかに足音が聞こえた。


 す、と床板が軋む音。重たすぎず、けれど確かに大人の歩み。


 ――白洲(しらす)さんも、今起きたのかな……?


 そっと髪をひとつにまとめ、目を閉じて深呼吸。


 変に気を遣いすぎてもいけないけれど、無神経にもなりたくない。 そのちょうどいいバランスを探るように、ベッドの上でしばらくもぞもぞと悩む。


 (いきなり開けたらびっくりするよね!? どうしよう、開けまーすとか言う? ……いや、それはそれで変……!)


 (……そうだっ!!)


 ぴん、と何かが弾けたように、心愛はベッドから抜け出した。 ふわふわのスリッパを履いて、そろりそろりと扉の前へ。


 そして、意を決して――こつ、こつ、と小さくノックした。


 すると、間を置かずに「おはようございます」と、白洲の低く落ち着いた声が返ってきた。


「おはようございます!!」


 反射的に元気よく返したものの、「なんでノックしてんの、部屋から出るだけなのに!」と自分で自分にツッコミを入れてしまう。


 顔がかぁっと熱くなるのを感じながら、どたばたと扉を開けた。


 だが白洲は気にも留めていない様子で階段を下りかけ――ふと立ち止まり、振り返った。


「部屋のドアは内開きなので、大丈夫ですよ」


「……あう」


 やっぱり恥ずかしい……。でも、白洲さんのツッコミは……なんかちょっとだけ、優しい。


 ◇


「今日は任せてくださいねっ!」


 張り切る心愛に、白洲はスッとエプロンを取り出し、「お願いします」と手渡す。その笑みには、無言の優しさが滲んでいた。


 野菜を洗う心愛の手元には、水滴がキラキラと光る。


 キャベツの芯を落とし、レタスを一枚ずつ剥がしながら、ちらりと隣を伺う。


 白洲は無駄のない動きで卵を片手で割り、フライパンの上に滑らせるように落とした。続いてベーコンを一枚ずつ丁寧に並べていく様子は、どこか職人のようにすら見えた。


 火加減を絶妙に調整しながら、フライ返しの先でベーコンの端を軽く押さえる。


 じゅう……という音とともに、香ばしい匂いが空間を満たしていく。


(……手際、良すぎじゃない……?)


 料理上手だとは思ってたけど、こうして間近で見ると――なんかもう、プロの料理番組を間近で見学してるみたい……。


 まるで何年も厨房に立ってきたプロみたいに、迷いなく動くその手つき。


 白洲さん、もし本業をやめても喫茶店とかすぐ開けるのでは……と、妙に現実的な想像まで浮かんでしまう。


(常連のおばさまに「今日も素敵ですね」って言われてそう……)


 心愛は洗い終えた野菜をボウルに移しながら、ついつい妄想してしまった。


 会話は少ない。でも、自然と手が合う。


 サラダを盛りつけるタイミングで、白洲が焼いた卵を皿に滑らせる。冷蔵庫の前で迷う心愛に、白洲は無言でドレッシングを手渡す。


(……なんか、カッコ良くない? 今の流れ……)


(ていうか、息ぴったりすぎじゃない!? 何これ!? ペア競技!? シンクロ!?)


(え、ちょっと待って、今の私たち……無言で以心伝心してたよね!? アイコンタクトで調理する、金メダル級の朝ごはんなんですけど!?)


 思わず口元が綻ぶ。


 背中合わせで、心愛はトーストを焼き、白洲はコーヒーを淹れている。


 まるで、朝キッチンで始まるシンフォニー。


 ココアをかき混ぜるスプーンの音がカチャカチャと響き、それがなんだか拍子を取ってるように聞こえる。


(え、これ……私たち、夫婦漫才じゃなくて、夫婦バリスタでは!?背中だけで会話してるし!)


 焼けたパンの香ばしさと、コーヒーの深い香りがゆっくりと混ざり合う。

 その空間はまるで、朝日を浴びた舞台の上。ミュージカルのワンシーンみたいに、すべてがタイミングよく、完璧に輝いてたっ!


(誰かっ! カメラマンさん!! 奇跡の瞬間は今ですっ!!) (このキッチンの奇跡、一生モノの記念フォトになるんですけどっ!?)


 白洲さんもオールバックじゃないし……髪、ふんわりしてるし……! (ちょっと! その優雅さ、朝から反則ですからね!?) (誰か〜! NHKの朝の連ドラ関係者いませんか〜!? 今ここに実在の貴族、いますよ〜!?)


 ああ白洲さん……朝から尊い。


 ◇


 ふたり向かい合わせにダイニングテーブルに座って、静かな朝食が始まった。


(パジャマ姿で向かい合わせって……どう考えても夫婦じゃーん!?)


 心愛は心の中で全力ツッコミを入れながらも、トーストの香りと白洲の落ち着いた所作にうっとりしていた。


「朝の番組見ると、月曜だなぁ……って気がしますね」


 その言葉を口にした瞬間、自分の声が少しだけ沈んでいたことに気づいて、内心ドキッとする。


 週末の時間が終わって、また“現実”に戻る。  別に特別なイベントがあったわけじゃないのに、日曜日の夜って、いつも胸がぎゅうっとなる。


(白洲さんと、もう少しだけゴロゴロしてたいだけなのになぁ……)


 言えるわけないけど、今朝だって本当は布団の中でもう少しだけ……白洲さんの気配を感じていたかった。


「白洲さんは、月曜日は憂鬱な気分になったりしないんですか?」


 聞いてみたのは、ほんのちょっとだけ、同じ気持ちを共有できたら嬉しいなって思ったからだった。


「なりませんねぇ。むしろ、逆に休みの方が苦手です」


 白洲の答えに、心愛はきょとんと首を傾げる。


 その仕草を見て、白洲は少しだけ言葉を探すように視線を宙に滑らせた。


「休みの日というのは、なんというか……調子を崩すことが多くて。リズムが狂って、戻すのに時間がかかるんですよ」


「休みで体調崩す人って、初めて聞きました!!」


「うちの会社にはリフレッシュ休暇というのがありまして。10連休もらったんですが……気が抜けたのか、がっつり体調崩しまして……」


 白洲は一呼吸おいて、コーヒーにそっと口をつけた。  そして、カップを置くタイミングでさらりと続ける。


「10日間、寝込むハメになりました」


「もったいない……!」


「まぁ、やることも特にありませんし」


「今は……リフレッシュ休暇とか、ないんですか?」


「来年……いや再来年ですね。20年目にまた貰えます」


「じゃあ、次は一緒に旅行したいです!」


「ああ……」


 白洲は一瞬、言葉に詰まりそうになる。  本来なら、この生活も“期間限定”のはずだ。


 だが、だからといって今それを口にする必要は――ない。


「考えておきましょう」


「やった!」


 思わず声を弾ませたけれど、その言い方にほんの少しだけ間があった気がして、心愛の心がぴたりと静かになる。


(……今の、“あまり期待されても困る”って意味だったのかも?)


 気のせいかもしれない。だけど、嬉しさと一緒に、少しだけ胸がきゅっとなった。


 それ以上は深く考えないようにして、話題を切り替えることにした。


「砂糖……入れますか? ブラック派……でしたっけ?」


「昨日はブラックでしたね」


「甘いものは嫌いではないのですが……何故でしょう? コーヒーには入れませんね……」


「もしかして、紅茶にはお砂糖入れます?」


「入れますね。……なんででしょう?」


「ふふっ」


(……やっぱり不思議な人だな)なんて思いながら、トーストにジャムを塗る。


「ジャム、好きなんですね」


「はいっ! 甘いの、元気出る気がして……あ、でも、バターの日もあって……あれ? なんででしょう?」


 二人は真顔で目を合わせたあと、ぴったり同時に口を開いた。


「「なんででしょうね?」」


 心愛はふと思い出したようにスマホを取り出した。


「そういえば……連絡先、交換してませんでしたよね?」


「たしかに。」

 

 白洲もスマホを取り出し、すぐにQRコードを表示する。心愛は自然な手つきで読み取り、ぴろんっと通知音が鳴った。


「ありがとうございます。これから、ちょこちょこ連絡しちゃいますね?」


 心愛がふわっと笑うと、白洲は静かに頷いた。


 ◇


 白洲が靴を履いていると、心愛が小走りで靴ベラを手渡す。


「これ、どうぞっ」


「ありがとうございます。では、行ってきます」


「カギ、閉めておきますね」


 ふと視線が重なり、二人は自然に微笑んだ。


(……今日の私は、白洲さんを支える奥さんモード、ですっ!)


 心愛は頬を少し染めながら、玄関の外に出ていく彼の背中を、そっと見送った。

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