スーパーへ行く二人
家を出てしばらく、ふたりは並んで商店街を抜けた先にある、スーパーへと向かって歩いていた。
静かな住宅街には、夕焼けの光が斜めから差し込み、足元にはふたつの影が長く延びていた。
すれ違う人もまばらな道を、自然とそろった歩幅で進んでいく。
最初はどこかぎこちない空気が流れていたが、アスファルトを踏む足音に馴染む頃には、自然と会話が弾んでいた。
「なんか……こういうのって、ちょっとデートっぽいですね」
心愛がぽつりと言って、すぐに顔を赤らめる。
「人通りが少ないですから」
白洲はいつもの調子で返すが、どこかやわらかな響きだった。
続けて、ふと独り言のように言葉をこぼす。
「しかし、何だか主役のような気分になりますね。この世界には今、私たち2人だけしかいないのかもしれません。」
らしくない白洲のセリフに、心愛の心は思わず跳ね上がる。
え、なにいまの……!?
ふだんは無表情で、淡々と事実だけを話すような人なのに――こんな言葉、反則じゃないですか……っ。
赤くなった顔を隠すように両脇のツインテールをポフポフと頬に当てていると、やがて商店街へと差し掛かった。
通り道に連なるのは、昔ながらの八百屋や小さなパン屋。早くも吊るされた風鈴の音が涼やかに響いていた。
途中、小さなソフトクリーム屋を見つけた心愛が足を止めた。
「うわ、あれ……ちょっと気になります」
「買いましょうか」
白洲はその歩みの先を変えるが、心愛はためらいがちにそこに立ちすくむ。
むーん。と頭を右に左に揺らしながら考え――口を開いた。
「……でも、夜ごはんはお蕎麦ですし。セーフですよね?」
「蕎麦ですから、セーフです」
「でも1つは少し多いので、半分こしてくれませんか?」
「……いいですよ」
白洲の返事に、心愛はウキウキしながら、バニラと抹茶のミックスを注文する。
ベンチに並んで座ると、ひとつのソフトクリームを手渡される。
「えっと……お先に白洲さんから、どうぞ」
「ではお言葉に甘えて」
――ガバッ。
白洲は躊躇なく、上半分をスプーンで大きくすくって口へ運んだ。
心愛のまばたきが一瞬止まった。
「えっ!? ……そんなに食べちゃうんですか!? いや、“半分こ”ってもっと、こう……一口ずつ的な……!」
彼はソフトを口に入れたまま、静かに天を仰ぎ――こめかみを押さえる。
「……流石に一気に食べると、キーンときますね……」
眉間の皺がぐっと寄り、彼の瞳がにわかに潤む。
「……これはあなたには、させられません」
「へ?」
「半分こはしますが、キーンとするのは私が担当します」
「そんな担当いらないですってば!!」
彼の理性と律儀さが炸裂する中、心愛はぷくっと頬を膨らませた。
(いやでも、ちゃんと半分は残してくれたし……。しかもわたしにキーンさせないようにって……)
(え、え……これは――新しい“キュンの形”、かもしれない)
◇
「……あったかいお茶とか、欲しくなりません?」
心愛がそう言ったのは、ソフトクリームのコーンをぱりっと齧ったあとだった。
「……分かります。甘味のあとには、渋味です。」
「でしょでしょ!?なんか……お口の中、ちょっとリセットしたい感じっていうか」
「冷えた胃にも優しいですしね。……玄米茶あたりが理想ですが」
「あ、いいなぁ。あとで買います?」
「茶葉で淹れますか? それともペットボトルで?」
「えっ、そんな選択肢あります!?」
そんな他愛ない会話を交わしながら、スーパーの入口へ。
白洲が買い物かごを自然に手に取ろうとしたそのとき――
「私が持ちまーすッ!」
ぴょこんと飛び出た心愛がそのかごを取り上げた。
次の瞬間、白洲が無言でかごをすっと奪う。
「あっ……!」
絶妙なタイミングに、反射的に心愛も動いた。
今度は、白洲が肩にかけていたエコバッグをスッと奪い返す。
「……お返しに、私がこっち持ちますね?」
手に汗握る攻防に白洲はふっと表情を緩め――。
「ではお願いします。……帰りは私がそっちを、持ちますからね?」
「お蕎麦だけなら軽いので大丈夫ですよ?」
「……何キロになったら持たせてもらえますかね?」
「えっ、そんな持たせ基準!?」
笑いながら、ふたりはそのまま店内へ。
並んで歩く彼の姿が、いつもよりほんの少しだけ近く感じた。
◇
白洲が足を止めたのは、乾麺とつゆの並ぶ棚の前だった。
「……麺つゆに、こだわりはありますか?」
そう尋ねながら、すっと屈んで、棚の下段に目を走らせた。
その姿に、心愛はつい背後からぐっと身を乗り出す。
「えっ、そんなに見比べます? わたし、“ちょっと高いやつ”で即決派なんですけど」
「価格と味が比例するとは限りませんから。原材料、塩分、添加物……よく見ると差がありますよ」
「わ〜、生活のプロって感じ……」
白洲の肩越しに覗き込んだその瞬間、ふと気づいた。
「……あれ? 今の私たち、目線が逆転してますね?」
「……確かに。今、私が下から見上げる側です」
ふたりの視線が、一度すれ違ったあとで、ふと交差した。
「じゃあ今のうちに、偉そうにしてもいいですか?」
にやっと笑う心愛に、白洲はほんの少しだけ間を置いて、
「……では私は、可愛くしましょうか。あなたのように」
彼女の笑顔を見ていたら、ふと、そんな言葉が浮かんだ。
「…………へっ?」
心愛の思考が、数秒間完全にフリーズする。
「え、ちょ、ま、え!? 今のって、口説き文句!? 事故!? 天然!? どっち!?」
彼女がアウアウと混乱していると、白洲がゆっくり立ち上がり、少しだけ申し訳なさそうに言った。
「……すみません。あなたにつられて、つい思ったことを口にしてしまいました。……この原材料表示、複雑ですね。避けましょう」
何事もなかったように麺つゆを見比べ始める白洲を、心愛はぽかんと見上げたまま、硬直。
口元がわなわな震え、目にじわじわと熱がこみあげてくる。
(ま、待って待って待って!?)
(天然で口説いたあとに、普通に商品チェックに戻るって――)
「……ふ、不意打ちワンツーは、反則なんだよぉおお……!!」
思わず小声で呻いたその一言は、白洲の耳には届かなかった――たぶん。
◇
帰宅後、夕飯の準備は思った以上にスムーズに進んだ。
買ってきた乾麺、天ぷら用の食材、薬味。
ほとんどの作業は白洲が引き受け、心愛は盛りつけを担当する。
「これでどうでしょう?」
味見用の椀を差し出された心愛が、一口すすって――。
「……薄くないですか?」
白洲はほんの少しだけ苦笑いしながら、眉尻を下げた。
「……塩分が、ちょっと気になりまして。すみません。でも、心愛さんの好みに合わせていただいて構いませんよ?」
「いやいや!このままいきましょう! 白洲さんの健康の方が、大事じゃないですか?」
さらりと言われたその一言に、白洲はわずかに視線を落とす。
「……薄めにはしてますが、物足りなければ、あとで足してください。……足しつゆ、ここに」
白洲はそう言って、小皿に分けておいたつゆの器を薬味の隣にそっと置いた。
「しらすブランドの、プレミアム濃縮エディションですね!? これ絶対おいしいやつだーっ」
心愛がぴょこんと身を乗り出し、目をきらきらさせながらテンション高く喜んだ。
「……あ、ラベルないんですね? じゃあ、私が描きましょうか? シラスのマーク♡」
白洲はわずかに息を抜くようにして考えて、口を開いた。
「……漢字ではなく、魚のマークでお願いします」
どうやら本気らしい。
食卓には、丁寧に盛りつけられた蕎麦と薬味。
和風の箸置きと、折り目正しく置かれたナプキン。
「いただきますっ」
心愛が元気よく手を合わせ、白洲もそれに倣う。
「んーっ、おいしいっ……! なんか、これでやっと“住みはじめた”って気がします」
「なら、良かったです」
ふたりの間に、湯気と笑顔が漂う。
「……お代わりしちゃったら、まずいですかね?」
「蕎麦ですから、セーフです」
くすくすと笑い合いながら、食卓は温かく続いていった。