今日は、おやすみだけ
さて荷ほどきでもしましょうか――。
白洲がそう言って、心愛と二人、再び部屋へ戻ってきた。
しかし、段ボールの山を前にした途端、白洲がふと何かに気づいたように問いかける。
「ベッドは……使わないのですか?」
心愛は一瞬、目を見開いた。
そして、なぜか顔を赤くしてそわそわと指先をいじる。
「……えっ、だって、一緒に寝るのかと……違うんですか……?」
白洲は無言で瞬きを一度してから、苦笑を浮かべた。
「……違います」
「あっ、はい! やっぱり違いますよね!? 床でも全然いいんですけど……私どこでも寝られるんで!」
「そういう問題ではありませんよ」
心愛の肩が小さく竦む。その様子に白洲はひと息ついてから、淡々と告げる。
「睡眠は、大事ですから」
そこから、唐突に始まった白洲の"睡眠論"は思いのほか熱がこもっていた。
室温、湿度、枕の高さに至るまで、快適な眠りの条件をいくつも挙げる白洲に、心愛は目を丸くする。
(いや、熱いな!? 思ったより睡眠こだわり強いな!?)
「カーテンも見なければなりませんし、ベッドは大切です。出ましょう、家具店へ」
「……了解しましたっ!」
敬礼のポーズをする心愛に、白洲は無言のまま上着を手に取る。
(……返すべきだったか?)
自問しつつも、足は止めずに玄関へ向かった。
◆
家具店の寝具コーナー。
まず真っ先に向かったのはベッドフレームの棚だった。
「えっと……じゃあ、これにします!」
心愛が指差したのは、最も安価なシンプルフレームだった。
が。
「おや、これは……スノコ板が薄いですね。湿気がこもりやすく、軋みも早い」
白洲がすぐに製品タグを見て指摘する。
「構造上、通気性と耐久性の両立には限界があります。もう少し、背板に工夫のあるものを選ばれては」
「え、あ、はいっ……」
説得力のある口調に、心愛は反射的にうなずくしかなかった。
「ご自身の納得のいくものを、是非」
その一言がトドメだった。
心愛はベッドコーナーの中でも中価格帯の中から、少しデザインが可愛いものを選び直した。
次にマットレス。
またしても心愛は一番安いものに手を伸ばそうとする。
しかし――。
「それはやめておきましょう」
静かだが、明確な拒否の言葉。
白洲は、すっと高級ゾーンの棚に歩み寄り、手慣れた様子で一枚のマットレスに手を添える。
「これにしましょう。反発力、通気性、どれも及第点です。何より、体圧分散が優秀ですから」
「お、お高いですよ!?」
「これは良い投資です。疲れは翌日に残りますから」
そこに一切の迷いはなかった。
――衝撃を吸収し、体に合わせてゆっくり沈む“あのハイブランド”だ。
◇
リビング家具のコーナー。
心愛が何か思い出したように、ちらっと白洲を見上げた。
「あの……ワガママ言ってもいいですか? 白洲さんと座れるソファが欲しいです……」
白洲は一瞬だけ目を瞬かせた。
「……今のリビングには、ダイニングテーブルと椅子しかありませんね」
その言葉に、心愛は小さくうなずく。
(……なんか、寂しかったんだよな。あの空間)
ガランとした広いリビング。
それが、一層白洲の生活の“無機質さ”を強調していたのを思い出す。
白洲も同じものを思い浮かべたのか、すぐに同意した。
「では、あなたの好みに合わせて決めましょう」
「……ほんとに、いいんですか?」
「生活の質に関わることです。ご遠慮なく」
その言葉に、心愛は目を輝かせながら、2人掛けの可愛らしいソファを指差す。
「これ、可愛いです! これに……」
だが。
白洲は、ほんのり困った顔をして小声で呟いた。
「……ちょっと、近くないですか?」
「え?」
「3人掛けにして、間に差し込み式のサイドテーブルを置きましょう」
「……ってことは、密着禁止ってことですよね!? ……なるほど、紳士~~っ……!」
白洲は真顔だった。
◇
その後は、カーテンといくつかの生活小物。
心愛が気に入ったレースカーテンと遮光カーテンのセットが、規格サイズにあったことも幸いだった。
そして、いざお会計。
「カードでお願いします」
白洲がスッと差し出したのは、重厚感のあるゴールドカードだった。
「えっ!? ちょっ、私が出します! ちゃんとお小遣いも持ってきたんですからっ!」
心愛が慌てて財布を取り出す。
「お金は、大切に使うものですよ?」
レジ横のモニターには、どえらい金額が表示されていた。
「いやいやいやいや! 言ってることとやってることが全然違いますよ!?」
「……そうですか? 一括払いで」
支払い完了。
カードがスライドされる音と共に、心愛のツッコミがむなしく空を切った。
ベッドとソファの配送について確認したところ、通常は数日後になるとのこと。
が、心愛は明るく笑った。
「大丈夫ですよ! なんなら不用品の中に寝袋もありましたし!!」
その言葉に、白洲は何も言わず、考えるように目を伏せた。
「少し、待っていてくださいね」
そう言ってスマートフォンを手に取ると、どこかに電話をかける。
同時に店員にも何やら確認を取り始めた。
数分後、戻ってきた白洲は淡々と告げた。
「馴染みの運送屋に頼んで、本日中に配送してもらえるよう話をつけました」
「で、出来る社会人……って感じ、溢れてますっ!!」
心愛は、自然体のまま状況を整えてしまうその姿に、思わず見とれていた。
◆
帰宅後、家具の設置が始まった。
ソファはリビングの中央に――いや、壁寄りにするか。心愛と白洲がああでもないこうでもないと微調整を繰り返す。
ベッドも二階の部屋に無事に収まり、搬入は無事完了。
設置が終わったころには、すでに夕方を回っていた。
白洲は時計を確認しながら、少し申し訳なさそうに口を開いた。
「……夕食の準備が間に合いそうにありませんね。外で軽く食べましょうか」
「えっ、いいんですか!? ……え、でも外食って、高級ディナーとかじゃ……」
内心ビクビクする心愛。
だが連れていかれたのは、近所のファミリーレストランだった。
「えっ……あ、ここ……? あ、安心した……」
思わず胸を撫で下ろす姿に、白洲はくすりと微笑んだ。
◇
食事をしながら、ふと白洲が言う。
「……同棲という形をとって、本当に良かったのですか?」
フォークを持ったまま、心愛の動きが止まる。
「え?」
「私のような男といて、会話も合わないでしょう。あなたが無理をしていないか、心配になります」
「そんなの……分からないじゃないですか!」
心愛が少し声を強める。
「私が好きなホロリズムとかは知らないかもですけど、きっと探せば――」
「ホロリズム、ですか。最近新曲が出ましたね。あのMVの演出、少し過剰ですが印象に残ります」
「……えっ」
心愛は固まった。
次いで出してみた話題――人気配信者、ネットドラマの最新作、話題のガジェット。
全部、白洲は知っていた。
「少なくとも、会話に困ることはないと思いますよ?」
「……あなたが退屈しないのでしたら、良かったです」
食後、ふたりで帰宅。
まだ新しさの残る家の中、少しだけ散らかった荷物を片づけながら、ベッドまわりのシーツを整え、リビングのソファの配置を確かめる。なんでもない作業なのに、どこかくすぐったくて――心愛は小さく鼻歌を口ずさんでいた。
そんな彼女の様子を横目に、白洲がふと時計に目をやる。
「そろそろ、お風呂にしましょうか」
「えっ、わ、私? いえ、あの、白洲さんが先にどうぞっ! レディーファーストとかそういうのじゃなくて、えっと、ほらっ」
パタパタと手を振って遠慮を装うが、足元はやや落ち着きがない。
「……私はどちらでも構いませんよ」
淡々と返す白洲の声に、なぜか胸が跳ねる。
どうしよう……白洲さんが先だと気を遣わせちゃうし、私が先でもなんか変だし、同時が一番? いや、それはない!? ……いや、アリなの!?!?
心の中で焦りのスイッチが入る中、ぽろりと――うっかり。
「じゃ、じゃあ……いっそ、一緒に入っちゃいます?」
その場に、時が止まったような静けさが訪れる。
自分の口から出た言葉に、心愛自身が「えっ?」となる。
「心愛さん……もしかして銭湯とかお好きですか?」
静かな声が、ふわりと響いた。
表情は相変わらず穏やかで……え、銭湯!? なんでそうなるの!?
「私の部下にも、お風呂で話すのが好きな子がいまして。ああ、でも異性だと別になりますか」
……えっ、そこ!? いや、そうなんだけど、そうじゃなくて!!
「そ、それもそうですねっ!」
とにかくその場を収めなきゃと、背筋を伸ばし、謎の勢いで頷いた。
そして次の瞬間、勢いのまま――脱衣所に、逃げるように駆け込んでいた。
「お先にいただきますっ!!」
――初日からなに言ってんの私! バカーっ!
内心で頭を抱えつつ、タオルを握りしめてそそくさと脱衣所へ向かうその背中を、白洲は静かに見送った。
◇
お風呂のあと、リビングで少しだけ言葉を交わす。
「明日は片づけですね」なんて、他愛のない話。
時計の針が、もうすぐ今日を終わらせる。
「そろそろ、寝ましょうか」
二階への階段を上がり、廊下に並ぶ。
「おやすみなさい」
「……おやすみなさいっ」
それぞれの部屋へ。ドアの閉まる音が、ほとんど同時に響いた。
◇
――心愛の寝室。
ベッドに身を沈めた心愛は、感触に思わず身震いした。
「なにこれ……やばっ……飛ぶ、空飛んじゃうっ……!!」
噂に聞いた、雲の上みたいな寝心地に、思わず小声で感嘆。
やがて、興奮が少し落ち着いてから、ふぅと長く息を吐いた。
今日の一日を思い返す。
ソファ選び。ファミレスでの会話。白洲の知識量とやさしさ。
(……なんか、あっさりと廊下で別れちゃって寂しいな。ちょっぴり、期待してたのかな……? もー、なに考えてんの私……)
でも、白洲さんはとても紳士だった。
最初だからこそ、この距離感がちょうどいいのかもしれない。
「……おやすみなさい、白洲さん」
静かな吐息と共に、夜は更けていった――。