そして、お見合い同棲は終わった。
白洲さんは言葉にしない。でも、伝わる。
夜の廊下での長すぎるハグも、視線をそらしながら見せるあの柔らかい微笑も、全部——。
“好き”って言ってるのと同じじゃん、ばか……。
だから私は今日もちょっぴりときめいて——
「……って時もあったんですけどね?」
「はい」
「ハグと優しい微笑だけじゃ、流石に私にも限界があります!!」
なんてことはない平日の夜。
晩御飯の後、イチゴのタルトと紅茶でほっこりするはずのティータイムで、私は不満をぶつけた。
「私なりに精一杯、頑張ってはいるのですが……」
「でもやっぱり、言葉が欲しいじゃないですか?」
「言葉……ですか。私はまだ、自分のこの気持ちにキチンとした名前を付けられて――」
「少女漫画のヒロインじゃないんだから」
ポエミーなセリフは強制カットしておく。
「……行動で示す、というのも中々難しいですね」
白洲さんが真顔でそんなことを言う。
「行動……?求愛行動ですか?」
「いえ、そうではなく」
「……アリですね、それ」
「とても嫌な予感がしますね」
「ドキドキ!白洲さんの求愛行動ショーの始まりですね!!」
「本気ですか?」
「本気です。……嫌なら、たった一言想いを伝えてくれても良いんですよ?」
白洲さんはふぅ……と息を吐き、そっと立ち上がる。
「そんなに言葉で伝えるのが嫌ですか……」
「違います。嫌ではありません。恥ずかしいだけです」
……求愛行動の方が、恥ずかしくない??
二人でスマホを開き、“好意の示し方”“求愛行動”などを真剣に検索。
そして、おバカな実践ターンが始まった。
「どれから行きましょう?」
「そうですね……あ、白洲さんの大好きなイルカからで良いんじゃないですか?」
「分かりました」
そう言うと白洲さんは真顔で口をパクパクしだした。
「なんですか……それ……」
「イルカの求愛行動の一つです」
「えっ、不気味すぎて逆に面白いんですけど!!」
「ギャグになってしまっては本末転倒ですね」
「え?面白そうだから求愛行動ショーをしてるんですよ?」
「なんですって?」
というか、真剣にしてたんだ、この人。
「でも、白洲さんのそういうトコ……好きですよ?」
そう言うと、白洲さんは静かに微笑み、ポケットから何かを取り出した。
「……石?」
「ペンギンは求愛行動の一つとして綺麗な石を贈るそうです」
「……この石はどこで?」
「なぜかポケットに入っていました」
「……えっ、怖くないです?」
「呪いの石でしょうか……」
「無理無理無理!!怖いーっ!!」
私はその石を庭にぶん投げた。
「私の求愛行動の証が」
「なんか申し訳ないですっ」
白洲さんはふふっと笑って、軽く首をかしげる。
「……それにしても、ポケットに入れた覚えは無いんですけどね」
「余計怖いこと言わないでくださいってば!」
そしてまた笑い合う。
「……私は心愛さんと過ごす、こういう時間が好きですよ」
「私も大好きですよ?白洲さん」
一歩が踏み出せなくてもどかしいけれど。
この空気は……なんていうか、心地よかった。
「……いや、やっぱ私との時間より、私を好きと言って欲しいですね」
「次の求愛行動をしましょうか?」
「そっちじゃなくてっ!」
気持ちは分かってるのに、言葉に出来ないまま。
お見合い同棲は、残り僅かとなった。
* * *
これ最終日におじいちゃんがまた突撃してきて……。
白洲さんが「お付き合いさせていただきます!」とか、そういう流れになるのかな?
いや、白洲さんのことだしもっと淡々と、
『話し合いの結果、結婚を前提に同棲生活を継続させていただくことに——』
とか言いそうなんだよなぁ……。
この同棲生活の締めくくりはどうなるんだろうと、私は朝から頭を悩ませていた。
「朝から難しそうな顔をされていますね」
「白洲さんがハッキリしてくれないので、乙女は色々と大変なんですよ」
「なるほど。それではお詫びをかねて……夕方、少しお出かけしましょうか」
「今日はお仕事お休みですもんね。どこに行くんですか?」
「少しドライブでもして……ちょっといいホテルで、ディナーでもいかがでしょう?」
「そこはビシッと“デートしましょう”の方が良いと思いますけど?」
ジトッとした目で訴えると、白洲さんは一瞬困った顔をして——
「……そうですね。デートを、しましょう」
目を逸らしながら、ぽつりと告げた。
——くっ!!
今の、恥じらい白洲さん……
尊いィッ!!!
ちょっと良い服を着て、私は白洲さんと車に乗って、海沿いの道を滑るように走る。
帰宅を急ぐ車列のヘッドライトは白く、行き先を示す尾灯は赤く、夜の道に細い線を描いていた。
「食事の前に、一つ寄りたいところがあるのですが良いでしょうか?」
「大丈夫ですよ。……どこへ行くんです?」
「水族館に行こうかと」
「え? もうすぐ閉館すると思いますよ?」
「大丈夫です」
対向車の光に照らされた白洲さんの横顔は、どこかぎこちなく影を抱えている。
「……まさか閉館後のイルカを遠目に見たいとかじゃないですよね?」
「その手がありましたか」
もう一度ライトが流れ、同じ顔が穏やかに微笑んだ。
* * *
やがて車は、人影もまばらな水族館へと辿り着いた。
駐車場の入口には『本日終了』の看板が、一日の務めを終えた門番のように夜気の中で静かに立っていた。
「ほら、やっぱり閉まってるじゃないですか……」
「もう閉館時間ですからね」
白洲さんは一切気にする素振りも見せず、そのまま車を敷地内へ進め――やがて、静まり返った入口の前でブレーキを踏んだ。
「水族館にドライブスルーはありませんよ?」
私がそういうと、白洲さんはとたんに関心したような顔をする。
「ユーモアある素敵な例えですね。私に欠けているものはそこかもしれません」
「感心されると逆に恥ずかしいんですけどっ!」
そのやり取りの間、白洲さんの指先は運転席脇のパーキングスイッチに何度もそっと触れていた。
白洲さんにエスコートされながら車を降りると、係員が当たり前のようにチェーンを外し私たちを館内へ迎え入れてくれる。
……えっ、どういうこと???
「まさかここって白洲さんの所有物だったんですかッ!?」
「残念ながら私は富豪ではありませんし、ここは県営ですよ」
――たしかにッ!
恥ずかしさの向こうで、私はツッコミを心の奥底に沈める。
……じゃあこれは、一体なんなの?
不安と興奮が入り混じる奇妙な脳内パーティを繰り広げながら、私は静かに白洲さんの背中を追って歩いていく。
そして。
私達がたどり着いたのは、大水槽の前だった。
そこは、私が白洲さんへの好意を改めて自覚してしまった場所であり――
「ここは私にとって、特別な場所になったんです」
白洲さんの声が静かに滲み、私の思考をゆっくりと遮る。
「思えばあの時から……あなたは私にとって大切な人となっていたのかもしれません」
幻想的に揺れる青い光の中で、白洲さんはゆっくりとこちらへ向き直った。
「恋、という言葉は今も分かりません。でも——あなたを失いたくはありません」
「あ……あぅ」
え!?
何!?
ガチ告白!?
いや、白洲さんに限ってそんな――いやでもこの空気!?
っていうか閉館後の水族館の謎はどこへ!?
私の頭はアウアウと悶え死んで、変な声しか出せなかった。
「だから私に出来るのは、たったこれだけです」
その言葉と共に、白洲さんは胸元から小さな箱を取り出した。
期待と、高揚感と、嬉しさと。私は色んな感情に溺れて息が上手くできない。
落ち着け心愛。ヘルプミーッ!!
箱の蓋が静かに開く。
海の光に染められたような、透明で澄んだ輝きを湛えた――
一つの指輪が姿を現した。
「私と――結婚してください」
白洲さんの視線は、真っすぐ私に向けられている。
私が愛してやまない彼の穏やかな目は、とても真剣で。
時間を止めて、その顔をずっと見ていたいのに……何故なのか。
ぼやけちゃって、見えないのだ。
「はい、喜んで……ッ!」
声にしたころには、頬を伝うものが止まらなかった。
私達の関係はたぶん……いや、かなり歪なのかもしれない。
言うなれば結婚以上、恋人未満。
けれど――これだけは胸を張って言える。
一生を、添い遂げられると。
……でも、もう一つだけ、証が欲しくなった。
私は白洲さんの首にそっと腕を回し、背伸びして顔を寄せる。
白洲さんの唇まで、あと数センチ。
「あ、いえ。その……そういうのは、まだ……ちょっと」
寸前になって、白洲さんは小さく身を引いた。
「え!? なんでですか!? 結婚するんですよ!?!??」
「流石に刺激が強すぎます……職員の皆さまも遠巻きに見ておられますし……」
「今更ぁぁーーッ!!」
その後も必死に距離を詰めようとしてみたけれど。
152cm+7cm(ヒール分♡)に177cmの唇は――どうにも遠かった。
「逃げないでくださいッ!」
「すみませんッ!」
……でも顔真っ赤だから、許しちゃう。
* * *
それから長く――はないけれど。
お見合い同棲なる奇妙な生活はとっくに終わりを迎えた、そんな頃。
「白洲! おはよー!!」
大学の昼休み。友人たちはいつも通り、私をニヤニヤしながら囲んでくる。
「まだ月城だもん。婚約しただけだもん」
もう毎日のようにやっているこの下り。……あーっ♡ もう駄目ッ♡ 顔がニヤけちゃう!!
「しかし。まさか心愛が学生結婚するとは……」
「ふっ。先に行って待ってるぜ」
私は腕を組み、軽くて固いカフェテラスの椅子に踏ん反り返る。
「で、進展は?流石にもうキスくらいは……してるよね?」
「うぐっ……」
痛い所を突いてきよる……。空気読んで1週間に一回しか突かれないけど、もう1年に1回ペースにしておくれよぅ……。
しかしその……うん。
真剣に様々な現状を解析した結果、誠に不本意ながら一つの可能性が浮上してきている。
それは……。
「たぶん……結婚式がファーストキスになるかも」
「誓いのキス重すぎ!!」
一斉に悲鳴と爆笑が巻き起こる。
「そーなった場合さ、そのあとすぐ初夜じゃん? どうすんの?」
「白洲さん、40歳だから……急がないとダメだとは思うけど……」
私は、むーにむにと自分の頬を揉み解す。
もう誓いの初夜とか、そういう風習誰か作ってくれないかなぁ?
「ま、妊娠して休学とか避けられて、逆に良いんじゃない?」
「そうだけど!! いやそうなんだけど!! 初夜イコール子作りじゃないからね!」
「うんうん。お互いを思いやる気持ちが大切だよ」
「そうじゃなくって! 私、もう20超えた大人なんだよ!? 既婚者になるんだよ!? 快楽を求めあうだけでも良いんじゃない!?」
「生々しい言い方。やめてくんない?」
婚約した私達の道のりは、まだまだ長い。
それはもう笑っちゃうくらい高くて、険しくて長ーい道のりだ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
私たちはこの先、数えきれないほどの挨拶を交わして。
――暮らしを重ねていく。




