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少女は落ちる。中年は走る。

 大学構内に、爆発のような声が響いた。


「よっしゃああああああ!! 提出完了〜っっ!!」


 強い日差しが差し込む中、提出箱の前で両手を突き上げていたのは、大学三年生の月城(つきしろ)心愛だった。

 白のニットにプリーツスカートという清楚系コーデながら、テンションは完全に体育祭モードだった。控えめに言っても、その姿は少々浮いていた。


「いや心愛、キャラ崩壊してるよ。口調どうした」

「知らぬ! 媚びぬ! 気にもせぬ!」


 友人のツッコミに、クワッとした表情で胸を張る。

 この一週間、課題に追われて寝不足続き。メイクでも隠しきれないクマを引き連れて過ごした日々が、ようやく終わったのだ。


 提出ボックスにレポートを叩き込んだその瞬間、心愛のテンションは天井を突き抜け――衛星軌道へと飛び立っていった。


「今日から寝れるーっ! 打ち上げ行こうぜ、打ち上げーっ!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて?」

「ハッピーアワーやってる居酒屋、今の時間から開いてるかな!?」

「え、もう飲む気なの!?」

「ふへへ……あ、プリン買って帰ろ〜♡」


 浮かれた声で笑いながら、心愛は階段を駆け下りる。

 締切に間に合った安堵、昼前のまぶしい陽射し、弾けるテンション。

 あらゆる幸せが、いまの彼女の背中を押していた。


(いける、今なら軽やかに駆け抜けられる……!)

 そんなふうに思った矢先――。


 ――ズルッ!!


 足元が滑った感覚と同時に、視界がぐるりと裏返る。


「えっ――」

「ちょっ、心愛!? 心愛ーっ!!」


 友人たちの悲鳴が上がる。

 その声を背に、心愛は階段の下へと滑り落ちていった。


 白く照らされた構内に、彼女の名前を呼ぶ声だけが響いていた。


 * * *

 

 一方その頃、白洲(しらす)昭三(しょうぞう)は淡々と仕事をこなしていた。空調の効いた会議室、無機質な照明の下で。


 会議室の空調が少し強すぎる。ホワイトボードのペンの色を替えるべきか悩む。

 気になっていたのはそれくらいで、彼の表情はいつも通りの無風だった。


「……次のスライド、図表をもう一段簡略化しましょう。要点が埋もれています」


 無駄がなく、冷静で、どこか精密機械のような指示。部下たちは慣れた様子でうなずき、黙々と資料を直していく。

 午後は大口取引先への重要なプレゼン。資料調整、時間配分、質疑応答の想定。すべては整然と進んでいた。

 そこに現れたのは、まさに“予定外”の存在だった。


「おう、白洲〜。……あれ? 忙しそう?」


 地方支社を訪ねてきたのは、本社・経営企画部長の長谷川。

 直属の上司にして、いつも“なんとなく”社内に現れては現場をかき乱すことで知られている。


「お久しぶりです。……何かご用件で?」

「いや、顔出しただけなんだけど〜。近くまで来たし、せっかくだから?」


 本人は悪びれた様子もなく、ニコニコと会議に合流。会議中もうんうんと首を縦に振り、最終的にはこう言い放った。


「白洲に任せておけば安心だな」


 それは、社交辞令かもしれない。でも白洲にとっては、確かな信頼の言葉として、静かに胸に刻まれていた。


 * * *


 会議が終わって間もなく、白洲のスマートフォンが震えた。


《発信:月城 美紗》


 表示された名前を見た瞬間、白洲の眉がほんのわずかに動く。着信を取り、静かな声で応対する。


「……はい。……はい、ええ。……怪我、ですか?」


 落ち着いた声。変わらない表情。だが、沈黙の間に宿ったわずかな間が、彼の内心を物語っていた。


「申し訳ありません。急用が出来ましたので、早退いたします」


 長谷川に向き直り、白洲はそう告げる。


「長谷川さんが来てくださって、本当に助かりました。この件、引き継がせていただきます」

「え? いやいやいや!? 俺、ただ顔出しただけなんだけど!?」


 焦る長谷川を横目に、白洲は手早く資料をまとめ、進行表に書き込みを入れる。


「こちらが要点です。質疑応答はこのページに……」

「ま、まって!? 聞いてない! 俺こういうの無理だって、知ってるよね!? 俺のこと分かってるよね!?」

「……木村くん」


 白洲が名を呼ぶと、数席先から若手社員の木村がすっと立ち上がった。


「承知しました。お任せください」

「助かります。長谷川さんのサポートをお願いできますか」

「はい。しっかり対応します」

「ちょ、木村くーん!? 俺、ガチでこういうのダメなタイプなんだってば!」

「大丈夫です。僕が前に立ちますから、安心してください」


 木村は冷静なまま、長谷川の肩を軽く叩いて微笑んだ。

 白洲は一礼し、颯爽と身支度を整える。その背は、どこまでも静かで、でも確実に急いでいた。


「ちょ、ま、ほんとマジで!? 白洲くーん!? おいぃぃ〜!? 聞いてねぇ〜〜!!」


 会議室に響き渡る長谷川の悲鳴は、誰にも届かない。


 ――長谷川さんが居てくれて本当に良かった。

 白洲は、心の底からそう思った。

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