あなたの優しさは海より深く、イルカに向けられる。
カリッと焼かれたトーストに、丁寧にバターを塗る音が静かな朝の空間に響く。その手を止めて、白洲さんがふと私を見た。
「今日は……水族館に行きますか?」
昨日も言ってた、水族館。二日連続って、これはさすがに強めのプッシュ……だよね?私としては、もっと海で遊びたい気分だったけど――
「いや、私、今日も海に――う、うぐっ!!」
言いかけた瞬間、背中から太ももまでピッキーン!って激痛が走った。い、いたたたたっ……これ、昨日の筋肉痛!? え、ヤバい、イスに座ってるだけでプルプルするんですけど……!?
ていうか私の胸、昨日より重くない!? ねぇ駄肉ぅ! 重力に負けないでよぉぉ!!
ふと顔を上げると、白洲さんがメガネを指で押し上げた。……キラーン。今、絶対音がしたよね? 「勝ち申した」的なSEが脳内で鳴った。
「やはり、筋肉痛が酷いようですね」
バターを塗る手を止め、言葉に重みを込める。なんか、慈悲深いようでいて、“既定路線です”って顔してるぅ〜……!!
「無理をして海に出ても、楽しめませんよ。……ゆっくりドライブをして、水族館に行きましょう」
や、やさし〜〜〜!! けど、やさしいのに逃げ道ない……!?ねえこれ、水族館以外の選択肢、そもそも存在してなかったのでは?
白洲さんのその言い方、「水族館に行くことになっております」みたいな雰囲気、すごくない?? コーヒーを口にするその横顔、なんでそんなに涼しいの!?
うぅ、悔しいけどもう……これは、負け戦だよね。
「……気を使っていただいて、嬉しいんですけど……水族館って、どこにでもあるじゃないですか? 私は、白洲さんが行きたい場所にお供しますよ?」
ちょっとカマをかけてみる。白洲さんがどこまで本気か知りたくて。……だけど。
「私は、心愛さんが楽しく過ごせる場所が一番良いと思っています。筋肉痛の中無理をすると思わぬ怪我に繋がる恐れもあります。身体を休める時は休める。これは旅行中でも一緒でしょう」
うぐっ……ぬ、ぬぅ……理屈が強い……! 優しさで固めた鉄壁ロジックに、なにも返せない!
「……水族館でお願いします」
おとなしく白旗を上げると、白洲さんの口元がほんの少し、ほんのすこ〜しだけ緩んだ。
――絶対、楽しみにしてたんじゃん!
昨日もそうだったけど、なんか白洲さん、水族館のときだけ妙にプッシュが強いんですけど!? まさか――水族館マニアになったのでは!?
* * *
車は、海岸沿いの道をゆるやかに北へ走る。窓の外には、真っ白な灯台。切り立った崖の向こうには、どこまでも広がる青い海。いや、青じゃない……碧? なにこの色、フォトショ加工でもこんなに綺麗にできないんだけど!?
助手席で私は、筋肉痛のふくらはぎをさすりながら、半泣きでテンションブチ上げ状態っ! だってこの景色、見てるだけで痛みが和らぐ……! いや、和らがないけど! 気分はめっちゃアガる!!
途中で立ち寄った海沿いのカフェ。木製のテラス席に座って、潮風を浴びながらジュースをひと口。
「くぅ~~、この景色っ!この美味しさっ! ……なんか今、私、CMのヒロインみたいじゃないです? ねぇねぇ、見てました!?」
思わず声が漏れた。酸味と甘みが絶妙なジュースに、ほんのり塩気を感じる風が吹き抜けて――
……ああ、もう。この瞬間、永久保存したい。
* * *
そして、やって来ました美ら海水族館。敷地の広さに、思わず口が開く。
「わぁ……広っ! ちょっと散歩するだけでも楽しそうですね?」
テンション高めに言った私に、隣の白洲さんがふと歩みを止めて、小さく首を傾けた。
「……最初に、行きたい場所があるのですが……よろしいでしょうか?」
えっ……? なんだろ、ちょっと控えめ……? いつも落ち着いてるくせに、なんとなく、今日の白洲さん……そわそわしてる? 視線が泳ぎ気味だし、口調も妙に遠慮がち。……あれ、もしかして急いでる?
「もちろんですっ!」
そう言って私は、ちょっと痛むふくらはぎにギュッと気合を入れて、歩調を速める。白洲さんの“行きたい場所”へ少しでも早く着くように。
でも、私がスピードを上げた瞬間、白洲さんの顔がピクリと動いた。
「……無理はしないでくださいね。……ゆっくりで構いませんから」
足を引きずる私の横で、白洲さんもわざと歩幅を落としてくれる。その動きが、なんだか妙に不器用で……それがまた、胸にきゅってくる。
……うわ、なにこの空気。遠回しなやさしさと、それに応えようとする私――。
傍から見たらこれ、ラブラブカップルに……いや、付き添いの介護士さんとおばあちゃんにしか見えませんね。本当にすみませんでしたっ!
辿り着いたのは――イルカショー会場。 お客さんがすでに座りはじめていて、ステージ前のベンチ席もそこそこ埋まってる。
「これを逃すと、次は一時間半ほど空いてしまうんです」
白洲さんはそう言って、まるで重要な案件でも処理するように席を確保した。
「……イルカかーーーーーいっっ!!」
私、思わずツッコんじゃった。
いやいやいや、あの真顔と遠回しな提案、もっと壮大な理由かと思うじゃないですか!? それが――イルカショー! いや楽しいけど! でもイルカかいっ!!
なんなの白洲さん、その静かな情熱……。まさかとは思うけど――いや、もしかして、やっぱり……
白洲さん、イルカにガチ恋してません!?
そういえば最近、イルカグッズ地味に増えてたし……リビングのマグカップも、枕元のメモ帳も、なんかイルカだったような。
で、極めつけがLIMEの通知音!
“グェーッ”っていう、あのイルカの鳴き声。部屋で突然あれが響くと、マジでビビるんですよ!? シリアスな空気の中でアレは反則ですからね!? 一周回ってホラー!!
……ていうか、なんでそんな音にしたの……イルカは可愛いけど鳴き声は気持ち悪いと思いますけど!?(←失礼)
――白洲昭三(40)趣味:イルカ全般
良かったですね白洲さん。熱くなるものが出来て……。でもなんでイルカなの……?
* * *
青い海を背にしたステージ、勢いよく跳ねるイルカ、しぶきを浴びながら沸き起こる歓声……思ったより濡れました!美ら海は全力で濡らしにきてるんですねっ!
でも、これぞ夏って感じかも!
「イルカの生態や能力についても、きちんと解説が入るのはありがたいですね」
白洲さんはそう言って、少し口元を緩める。めったに見せない、ささやかな“ニヤリ”。ショーの最中はもっと、キラキラした瞳をしていましたよね?私は見ていましたよ?
私は足をさすりながらも、なんとか立ち上がる。
「さてっ、じゃあ本館のほうへ行きましょうか! これからが本番ですよっ!」
気合を入れて言ったそのとき――白洲さんが、なぜかすっと視線を逸らした。
「本館を見ても良いのですが……無理はしないでください。今日はゆっくりとドライブ日和にして休んでも良いですよ?」
「えっ」
あれ、今……“もう目的達成したし終わりでいいでしょ”みたいな空気、出てませんでした!?
「いやいやいやいや! むしろここからが本番ですから!? ここ、水族館ですよ!? イルカだけ見て帰る人、いないですよ!?」
私が若干食い気味に詰め寄ると、白洲さんは真顔で”え?なんで?”みたいな顔をした。
「……他の展示も、見たければもちろん構いませんよ。ただ、あくまで無理のない範囲で」
「もしかして……白洲さん、もう満足してません?」
「……いえ。私はただ、心愛さんの体調を考慮して――」
「うわ〜〜〜〜〜、めっちゃそれっぽいこと言ったぁ〜〜〜!!」
完全に見抜いた。白洲さん、イルカショー以外に興味持ってないな?! 私の筋肉痛を理由に、優しさを装って“帰りたいオーラ”出してる感じだ!!
「……あの、足が辛ければ、ドライブやヴィラでゆっくり過ごすという手も――」
「行きます!! 水族館、行きます!! 歩けますから!!」
私は白州さんの手を引いてズンズンと歩き出した。……筋肉痛?そんなのもう気合でカバーしてやるッ!!
「ジンベエザメが、そんなに見たいんですか……」
「美ら海水族館の危険サメコーナーも熱いんですよっ!!」
サメフェチだけど!水族館全部ちゃんと楽しみます!!
そんな私を見ながら、白洲さんは静かに――でもほんの少しだけ、歩くペースを落としてくれていた。
――私はさらに引っ張った。
* * *
その後は館内をぐるぐる。巨大な水槽の前で、私の「水族館マニア魂」が爆発する。
「ほら見てください、このアクリルの厚み! 普通じゃ考えられませんから!」
「……へぇ、そうなのですか」
「この丸ごと海入れました!って感じの大水槽がここの魅力なんです!」
「なるほど。総工費から考えると値段は……」
「海を感じて? 白洲さん!?」
興味なさそうに見えた白洲さんもなんだかんだで乗ってきた。
楽しみ方は人それぞれだし、それでも良いと、月城心愛は思いましたっ!
「……心愛さんは、本当に水族館が好きですね」
「もちろんですっ! 私、水族館ガチ勢ですから!!」
「さっきは帰ろうとしてしまいました。申し訳ございません」
「やっぱり!」
白洲さんの自白で、水族館は幕を下ろしたのだった。




