私、キスがしたいんです
大学のとある校舎の一階ロビー。
秋の気配が漂い始めた午後、わたしはミルクティーを片手に、周囲を気にせず本の山に埋もれていた。
『男心のトリセツ』
『恋愛は“錯覚”から始まる』
『ベストパートナーになる心理学』
どれも、恋愛指南書とか心理学寄りの本ばっかり。その一説。
“男性は、追う恋に魅力を感じる生き物です”
――どこまでも広がるサバンナ。そこに生息する白州さんの群れ。
近くをウロウロしてる可愛い心愛ウサギを完全スルーし、無言でタンポポを食べている。
……いやいや、なんて失礼な妄想をしているのよ私っ!?
“キスのタイミングは、相手の心拍と呼吸を感じて”
――油断した隙をついて、一気に間合いをつめて・・・?
いやえっと、ジャブを打ってけん制しながらこう間合い図るんだっけ?
インファイトとかいうやつ?うーん?
……っていうかボクシングじゃないし!? これ、恋愛の話だよ!? キスだよ!?!?
ページをめくるたびに、私の思考はホップ・ステップ・ジャンプ。そして大気圏突破していく。
「……課題頑張ってるのかと思ったらこの子は……」
ため息混じりの声に顔を上げると、案の定――
「ある意味、最大の課題じゃん?」
笑いながら言うのは、あかね。
「で? 今は何に悩んでるの?」
対面に座ってきたのぞみが、本をパッと取り上げた。
わたしはちょっとだけ口を尖らせて、ミルクティーを一口すする。
「ちゃんと、正攻法に攻めてみようかと思いまして……」
「え、今更じゃない?」
「今更でも!!」
反射的に言い返したけど、胸の奥がチクリと痛んだ。
のぞみが、なぜか就活面接みたいなトーンで問いかけてきた。
「それでは、心愛さんが白洲さんとしてみたいことを教えてください」
「……白洲さんとして、したいこと?」
「そ。デートしたいとか、ドライブとか。なんかあるじゃん?」
うん、ある。デートもドライブも、旅行も、ぜんぶしたい。
でも、でも一番したいことって……なんだろう?
普通の恋愛……普通の恋愛……。手はもう繋いだし、次は……キス?
……いや、えっと……間にハグとかあるんじゃなかったっけ?
でも、白洲さん相手にハグって……む、無理!緊張で即死しちゃう!
ぽつりと、本音がこぼれた。
「……やっぱキス、かな」
「「「いきなりキス!? いや順番!? そっち先!?!?」」」
三人の視線と声が、容赦なくのしかかってくる。
わたしは、そっとミルクティーの紙カップで口元を隠した。
「えーと……? 一応確認するけど、ハグもまだ……だったよね?」
頭をポリポリかきながら、あかねが不思議そうに首を傾げる。
「うん。だってさ……色んなとこ、あたるし……恥ずかしいんだもん……」
両手で頬を覆いながらモジモジする私に、かすみが呆れたように言った。
「一緒にお風呂に入ってた子が、何言ってんの?」
「だ、だってあれは……自然な流れというか……なんていうか……」
「自然な流れ……だったかなぁ?」
のぞみが苦笑しながら、ミルクティーをちゅっと啜った。
「そもそもさ、“付き合う”ってとこから始めるべきなんじゃない?」
「そうなんだけど!!」
どうしても、我慢できなかった。
「――あの唇を奪いたいんだもん!! キスから始まる恋だって、あるじゃん!!?」
三人が揃って固まる。
そのまま、私は自分の妄想スイッチを入れてしまった。
ソファに深く腰かけた白洲さん。
その前に、ゆっくりと立つ私。
「白洲さん――」
少しだけ緊張しながら、でも堂々と。
私は彼の顎に指を添えて、クイッと持ち上げる。
唇が、重なる。
――ぴと。
白洲さんの目が見開かれ、すぐに薄紅色が頬を染めていく。
「い、いきなりどうしたんですか……」
戸惑いのなかにも、どこか嬉しそうな声色。
「好きに……なってしまったら、どうするんですか?」
そう重ねて問いかける白州さんに、私がゆっくりと目を細めて耳元で囁く。
「そうなったら――恋人に、なればいいんですよ?」
クール、完璧、大人の女。
それが、私。
「――って、感じなんだけど!!」
バンッとテーブルを叩いて宣言する私に、
「いや、無理があるわ」
即・現実のツッコミが入る。
「心愛が“アゴくい”する側なのウケる~~~!」
あかねがひとりでツボに入って、笑い転げる。
「えっ、あたしそんなキャラじゃない!? じゃあどうすればいいのよぉ~~~!!?」
思わず身を乗り出して叫ぶと、三人は顔を見合わせ――にやっと笑った。
「とりあえず……チャレンジしてみたら?」
その声に、背筋がぞわっとした。絶対に、今この人たち、“面白がってる”。
白洲さん相手の“キスチャレンジ”なんて、どう見ても笑い話のネタ。
誰一人、成功するなんて思ってない。
でも。
――でも、だからこそ。
やってやろうじゃん。あの鋼鉄の理性を、唇一発で揺らしてみせる。
「正攻法で……落とすからね、白洲さん!」
私は窓越しに青空を見つめ、そう宣言する。
三人の笑いを堪える声は……聞こえない事にしておいた。
◇
『19時ごろ、駅に着きます』
白洲さんからのLIMEメッセージを見て、私はスマホをエプロンのポケットにしまった。
駅から自宅までは徒歩で10分ほど。そろそろ、玄関のドアが開くはず。
――狙うはただひとつ。不意打ちキッスである。
問題は、高さだ。
白洲さんの身長は178cm。私の身長は152cm……。およそ26cmの差。
普通に向かい合っただけじゃ、唇の位置が遠すぎる。キスするには、絶望的に不利な立ち位置。
けど――彼が玄関で鞄を置く“あの瞬間”だけは、チャンスがある。かがんだ瞬間、彼の顔が私の高さに近づく。
そのタイミングを狙って、私は突撃する!
「……うん、完璧な作戦! たぶん!!」
深呼吸をして、気合いを込めて、集中――。
その時だった。ガチャリ、と鍵の回る音がした。
「ただいま戻りました……?」
玄関のドアが開いて、目が合う。
なのに私は――両足を肩幅に開き、両手を手刀にして、ファイティングポーズ。
「……なにかありましたか?」
白洲さんは明らかに警戒しながら、眉をわずかに下げた。
「い、いえっ! なにも!! ドアが開いたらすぐ『おかえりなさい』って言おうとしたら、こう……!」
「……ちょっとビックリしてしまいそうですね」
苦笑する彼に、私は「てへへ」と笑ってごまかす。でも視線は、逃さない。全神経を集中させて――
白洲さんが、鞄を――置いた!
前かがみになったその瞬間、私は一気に顔を突き出して――
――ゴンッ!!!
白洲さんの額に、私の頭が直撃した。
鈍い音と衝撃。私の目の前に、色とりどりの星が散った。
(……あ、本当に星って見えるんだぁ……)
ふわふわと浮かぶ光の粒を眺めながら、私はそっと、その場にへたりこんだ。
◇
「……大丈夫ですか?」
食事の支度を終えた白洲さんが、ソファで氷嚢を頭にのせている私に声をかける。
「うぅ……すみません。白洲さんだって痛いのに……」
タンコブは、がっつり出来ていた。身長差、恐るべし。
「いえいえ、私は大したことないですよ」
そんなこと言うけど、さっき味噌汁温めながら自分の額にも氷当ててたの、私は見てたんだから。
……もう。優しいけど、そういうとこズルい。
ジンジンと痛む頭を無視しながら、私は思い切って問いかけてみた。
「……白洲さんって、キス……したことあるんですか……?」
ただただ気になって。聞いてしまった。
「ないですね」
白洲さんは、顔色一つ変えずに即答した。
「えっ」
「はい?」
予想してなかったわけじゃないけど、あまりにも即答すぎて、逆に面くらう。
でも……あれ……?
これって……もしかして……??
今なら、いけるのでは……?
そういう雰囲気、きてるのでは……!?
「わ、わたしもないんです……キス、したこと……」
自分で言いながら、どんどん顔が熱くなっていくのが分かる。
(言え……言うんだ心愛……! ここで聞くんだ……!“キスしても、いいですか?”って――!!)
「白洲さん……その、わたしと……」
言いかけた、その瞬間。
雨戸を閉めたリビングの窓に、私と白洲さんの姿が映った。
白洲さんは、良く分からないイルカのイラストがついたエプロンをしていた。
――いや、それはまあ、いい。
問題は私。
頭の上には、でっかい氷嚢。
……これでキスとか言ってるの、なんかもう、完全にギャグじゃん。
次の瞬間、氷嚢がズルリとずれて、白洲さんが咄嗟にキャッチした。
「……新しいのに、変えましょうか?」
「お願いします……」
私はそっと目をそらして、再び頭にのせられた氷嚢を押さえる。
白洲さんがご飯を運ぶ姿を、静かに見つめながら。……今日は、作戦失敗だったなぁ。
……痛いよう。ぴえん。




