長い序章の終わり
月曜日の朝。大学のキャンパスは、どこか浮ついた空気をまとっていた。
昨日の水族館デートの余韻が、まだ胸の奥で温かく残っている心愛にとって、そのざわめきは心地よくもあり、少しだけ現実に引き戻されるようでもあった。
「でさ〜! その社会人くんがさぁ、わざわざ電車乗り継いで会いに来たんだよ!? なんかちょっと本気っぽくない?」
村井あかねが、手振り身振りを交えて先週の合コン話を披露している。
「へー。それで、付き合うの?」
冷静にストローをくわえるのは中谷のぞみ。ソイラテの氷がカランと音を立てた。
「いやいや、付き合うわけないって。まだインスタしか交換してないんだし!」
「じゃあただのネタ要員やな」
小野寺かすみがくすっと笑い、三人の女子トークは軽快に続いていく。
心愛はというと――その輪に混ざりながらも、どこか上の空だった。
(白洲さん……もうお仕事始まってるんだろうな……)
胸の奥がふわっと温かくなる。けれど同時に、不安とも焦りともつかない気持ちがじんわりと忍び寄る。
(このまま“好き”って思ってるだけじゃ、進まない気がする……)
友達の話がひと区切りついたところで、心愛は小さな声を落とした。
「ねぇ……恋って、どうやって進めばいいのかな」
その一言に、三人の視線が一斉にこちらへ向かう。
「え、急にどうしたん」
「進めるって……まさか、例の初デートの?」
「ちょ、ついに話す気になった!?」
予想外の反応に、心愛は慌てて両手をぶんぶん振る。
「ち、違っ……いや、違わないけど! あの、水族館で……その……」
顔を赤らめながら、デートの内容をざっくりと語りはじめる。クラゲを見て感動したこと、ペンギンを見ながら笑い合ったこと――どれも甘酸っぱい思い出だ。
三人は身を乗り出し、にやにやと聞き入っていた。
「で、つまり……?」
のぞみが、わざと焦らすように問いかける。
心愛は真剣な顔で、胸に手を当てると――
「つまり……これは“恋”だったのです」
重々しく、無駄に格調高く言い切った。
一瞬の静寂。
――そして次の瞬間、三人の爆笑が弾ける。
「なにそのナレーション調!」
「やば、腹痛い」
「恋だったのです、て! 真顔で言うなよ〜!」
「な、なんで笑うの〜〜!? 本気なんだよぉ!」
机に突っ伏してジタバタする心愛。
けれどその頬は、どうしようもなく赤く染まっていた。
◇
一方そのころ、白洲は支社にいた。
「部長、先週のデート、どうでした?」
自席でお茶を飲みながら一息ついていた白洲に、若手の木村が軽い調子で声をかけてきた。
白洲はゆっくりと紙コップをデスクに戻し、淡々と答える。
「そうですね……イルカが可愛かったです」
「……イルカ……?」
あまりにも予想外の返答に、木村は思わず視線を落とす。
そこにあったのは――イルカのキャラクターボールペン。
さらに胸元のタイピンも、よく見れば小さなイルカのモチーフだった。
(え、待って。イルカに寄せすぎじゃない?)
嫌な予感を覚えた木村は、さらにPCの画面へ視線を移す。
壁紙いっぱいに広がっていたのは、海中を泳ぐイルカの群れ。
……これはもう確定である。
「部長、イルカにハマりすぎですよ……!」
思わずツッコむと、白洲は小さく咳払いし、自分のPCの壁紙に目をやった。
「……目が、愛らしいんですよね」
「……たしかに」
木村はつい同意しかけて、慌てて首を振る。
「いや、それはそれとして……その、デートそのものの話ですよ」
言葉を選び直しながら、改めて切り込む。
「お相手の女の子とか……今後のお付き合いとか……その辺、どうなんですか?」
木村が速やかに会話の軌道修正を試みる。だが白洲は少し考えてから――
「それは……」
言葉を途切れさせ、淡々と視線を落とした。続きが出てこない。
この関係の終着点はどうなるのか。――白洲自身にも分からなかった。
会話が途切れ、木村が怪訝そうに眉をひそめた、その時だった。
――きゅいきゅい!!
イルカの鳴き声が、オフィスに突如響き渡る。
白洲のスマホから鳴り響いたのは、新着LIMEの通知音だった。
「……っぷ! 部長、それ通知音までイルカなんですか!?」
木村は堪えきれず爆笑する。
「……つい」
白洲はわずかに目を泳がせ、言い訳のように小さく答えた。
なんだか白洲さんが、いつもより新鮮に見える――木村はふと思った。
「じゃあ今度、一緒にラッセン展にでも行きましょうか!」
「……ありかもしれません」
冗談を真に受けたように、白洲は至って真顔で答える。
そして何事もなかったかのように資料へ視線を戻した。
その背中は相変わらず凛としているのに、ほんの少しだけ――柔らかく見えた。
仕事人間だった白洲に、確かに小さな変化が芽生えていた。
◇
――その夜。
私、月城心愛は、鏡の前に立っていた。
初デートの余韻も、大学での友達のからかいも、白洲さんが何を思ってるのかも――ぜんぶ胸の奥でぐるぐるしてる。
でもひとつだけ分かった。
「このままじゃ、足りない!」
私はこの初めての恋を、ぜったい成就させたいのだ!!
鏡の中の自分をガン見する。
……私は可愛い。たぶん。いや、絶対可愛い!
ちょっと背が低いのは……まぁ、うん、それは個性!!
でも、肌は白いし! スキンケアは毎日やってるし!
髪だって! サラッサラ!! 美容室のトリートメントは絶対欠かさないし、黒髪は生まれてから一度も染めてないんだよ!?
これ、もう私のアイデンティティ!最強装備!!
それに……その……。
――「まさか……神の領域に……!? GODの……Gの領域に達したというのか!?」
友達の声がリフレインする。
ああもう、やっぱりコレに頼るしかないって思われるのは癪だけど!
でも事実……私はこれを武器にできる。
胸を両手でがしっと掴んで、ぐっと力を込めた。
難攻不落の要塞・白洲昭三。
かつてその城を落とそうとした挑戦者は、ことごとく返り討ちにされ――その自尊心は消し炭ほども残らなかったという。
……知らないけど!! 過去の白洲さんとか知らないけど!!!
てかそもそも恋とかしてたの!? してないの!? もしかして初恋が私!? え、やばっ。現代戦は情報戦なのに、偵察データが全然足りてないよ!?
「こちら偵察班! 司令部からの指示はひとつ!――とりあえず色仕掛け試してみろ!!」
頭の中で勝手に軍無線が鳴り響く。
偵察班!? 司令部!? 私の脳内、何部隊あるの!?
私はカッと目を見開き、片目を覆うように手を当て、その隙間から悪そうな目をチラリ。
「白洲さん……覚悟してくださいね……!!」
鏡の中の私は、とっても悪そうな顔をしていた。
……可愛すぎない? きゃっ♡
こうして私の要塞攻略大作戦――作戦名「その恋、供給過多につき」は、いよいよ始まりを告げたのであった……!!!




