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初デート③

 館内は広く、幻想的な照明に照らされた水槽が並んでいた。


「こっちです! サメゾーン! 今日いちばんの推しエリアっ!!」


 心愛(ここあ)は展示エリアの奥へ進みながら、ひときわテンション高く白洲(しらす)を引っ張る。

 水槽の中では、大小さまざまなサメが悠然と泳いでいた。


「ほら、あそこ! ネムリブカですよ! あの寝てるみたいな子!」


 指をさしながら説明する心愛は、まるで研究者のように饒舌だった。


「ずーっと泳ぎ続けないと死んじゃうから、見た目はのんびりでもちゃんと泳いでるの! 眠ってるわけじゃないんですっ」


「……眠らないのに、ネムリブカ。矛盾ですね」


「それがいいんですよぉ! “名前に反してちゃんと頑張ってる”感じが推せるんですっ」


 心愛は勢いよく頷いた。白洲は真面目に展示パネルを読みながら「なるほど」とひとこと。


「フカヒレにされる種とは、また別なのですね……」


(やっぱそっちの感想なんだ……!)


 心愛はちょっと肩透かしをくらいながらも、そんな白洲の“真面目すぎるところ”が、嫌いじゃないと思った。

 ふと、白洲が腕時計に目を落とす。


「……イルカショー。そろそろ始まる時間のようです」


「え、イルカ? 行ってもいいですけど……あれ、子ども向けじゃないですか?」


「無理にとは言いませんよ」


 それだけ言って、白洲は静かに視線を戻す。でも――ほんの一瞬、その眼差しが寂しげに見えた気がした。


(え……見たかったの?)


 そう気づいた瞬間、心愛はくるっと向き直って、ぱっと手を上げた。


「行きましょうっ! せっかくですしっ!」


 その笑顔に、白洲はわずかに目を見開いたあと、小さく頷いた。


 ◇

 

 観客で賑わうイルカスタジアム。ふたりはやや後方の席に並んで座った。ショーが始まると、イルカたちは見事なジャンプや演技を次々と披露し始める。


 その隣――白洲の表情は相変わらず、真顔だった。


(……あれ、そうでもなかった?)


 心愛は一瞬、不安になる。けれど、次の瞬間――


(あ……)


 イルカがジャンプの助走に入ったその瞬間、白洲の手が、無意識に胸の前で組まれていた。まるで祈るように。


 そして、ジャンプ成功。


 白洲はその手を速やかにほどくと――


 ――小さく、ガッツポーズをした。


(……めっちゃ楽しんでる!?)


 しかも次の演目でも、拍手が他の観客より数テンポ早い。リズムジャンプではウンウンとうなずきながら、しっかりと拍手している。


(顔には出てないのに……すごく楽しんでる!!)


 もはや尊い。心愛はイルカショーそっちのけで白州に向かって無言で手を合わせた。


 ◇

 

 ショーが終わったあと、観客の歓声に混じってふたりは立ち上がる。


「……もしかして、イルカショー、好きなんですか?」


 たまらず問いかけると、白洲は少し目を伏せて考えるような素振りを見せ――


「……初めて見たのですが。正直、好きかもしれません」


 そう言って、どこかすっきりとした表情を見せた。


 一仕事を終えた職人のような、そのさわやかさに――

 心愛は再び、心臓を撃ち抜かれたのだった。


 ◇


 館内のカフェテリアに併設されたランチスペースは、ほどよく開けた空間だった。

 白洲は、シンプルなサンドイッチのランチセットを選び、心愛にもメニューを差し出した。


「……どれにしますか?」


「私も、同じものでお願いしますっ!」


 受け取ったトレイを手にふたりで窓際の席へ向かうと、そこからは巨大なアクリルガラス越しに、大水槽が見下ろせた。

 青の濃淡が何層にも重なり、その中を無数の魚たちが群れになって、音もなく泳いでいる。


「……わぁ……」


 自然と息を呑む。

 ランチに口をつけることも忘れ、心愛は目の前の景色に吸い込まれていった。


(……やっぱり、こういうの、好き)


 カフェのざわめきのなかで、ふと心が静かになる。


 子どもの頃から、深い海が好きだった。

 音が吸い込まれていくような、静けさ。

 どこまでも深くて、何があるのか分からない。

 ちょっと、怖くて、でも……惹かれる。


 だから、水族館のこの大水槽が好き。

 ガラスの向こうに広がる、深い海。

 たくさんの魚たちが、流れるように泳いでいるのに、水槽はずっと、静かなままで……。


 サンドイッチを取るつもりで無意識にパセリを口に運んだ心愛に、白洲の手がわずかに動いた。

 けれど、それに気づかず、彼女はただ夢見心地に、水槽を見つめ続けていた。

 

 ◇


 「ごちそうさまでしたーっ。……あーもう、美味しかったぁ……♡」


 カフェを出てすぐ、心愛は思わず満足そうに伸びをした。


「……ところで、私のサンドイッチだけ、パセリ入ってなかった気がするんですけど?」


「……それは、食べましたよ。ココアさんが」


「えっ……うそっ、私……!? なんで!?」


「気づかずに口に運んでました。……水槽を見ながら」


「うわー……やだやだやだ、オシャレな空間でパセリ食べてる女子って……もう終わってる〜〜!」


 顔を真っ赤にしながらジタバタする心愛の横で、白洲は苦笑にも似た表情を浮かべた――かに見えたが、すぐにまたいつもの無表情に戻る。

 そしてふたりは、並んでゆるやかな階段を下り始めた。


 下へ行けば、さっきまで見下ろしていた大水槽の正面にたどり着ける――

 まるで海の底へ、ゆっくりと潜っていくような造りになっていた。


 心愛は厚底のパンプスを履いていたせいで、階段の一段一段を慎重に降りていた。


(あわわ……こういうとき、変な転び方したら最悪……!)


 すると、不意に。


 隣を歩いていた白洲が、何も言わずに手を差し出した。

 驚いて顔を上げると、その表情にはやはり変化がなかった。けれど、その手は、まっすぐで、優しかった。

 心愛もまた、何も言わずにその手を取る。手のひらは、大きくて、少しだけひんやりしていて――でも、安心する温度だった。


 ふたりは言葉も交わさず、手を繋いだまま、ゆっくりと階段を降りていく。一段、また一段。降りるたびに、心臓がひとつ、跳ねた。

 静かな階段の空間に、心愛の鼓動だけが鳴っているような気がした。


 やがて、一番下の段を踏んだとき。白洲はすっと、手を放した。


(……あ……)


 その一瞬の寂しさに、胸がきゅっと締めつけられる。白洲は言葉もなく、大水槽の方へゆっくりと歩き出していた。


 照明が落ち、周囲の人の気配が薄れていく。


 目の前に広がる、巨大な青の世界。


 水槽の前に立つ白洲の背中だけが、静かにそこにあった。


(……まるで、本当に海の底に来てしまったみたい)


 どこまでも深くて、音がなくて。でも、怖くない。――だって、白洲さんがいるから。

 大きな大きな海のなかで、私がこの人と出会えたことは、たぶん――


 奇跡だったのかもしれない。

 

 ……ああ、私、白洲さんのことが、好きだ。

 

 白洲は、光に照らされた魚たちのゆるやかな動きを、じっと見つめていた。

 それはまるで、彼の内側にも同じような静けさが広がっているかのようで――心愛は、ただ黙ってその背中を見つめていた。


(……白洲さん)


 言葉はない。でも、想いが溢れそうで。胸の奥から、何かがぽたりと、音を立てて落ちていく気がした。

 すると――白洲が、ゆっくりと振り返った。何かに気づいたように、そっと視線をこちらに向けてくる。


 目が合った。


 心愛は、深く息を吸って――すっと、手を差し出した。

 言葉は添えなかった。ただ、気持ちだけを、その手に込めて。


 白洲は、その手をじっと見つめた。次に、心愛の顔を見る。


 そしてまた、手を見て、もう一度、彼女の目を見た。


 ……数秒の静寂。


 それから、白洲は静かに、その手を取った。ゆっくりと、でも、ためらいなく。


 ふたりの手が重なる。


 水族館の静寂の中で、巨大な青の世界を背に、ふたりの影がそっと並んだ。


 ◇


 大水槽をあとにして、ふたりは出口近くのお土産コーナーへと足を運んだ。

 賑やかなポップと可愛らしいぬいぐるみが並ぶ売り場は、さっきまでの静かな深海とはまるで別世界のようだ。

 それでも心愛のテンションは、水族館を出るギリギリまで落ちることがなかった。


「うわ〜っ、見てくださいっ! このサメのぬいぐるみ、めっちゃむにむにしてますよっ!」


 サメの口をむぎゅっと握って、白洲の腕にぬいぐるみの頭を押しつける心愛。


「……柔らかいですね。なぜ噛ませる必要があるのかは分かりませんが」


「ふふふっ、ついやってみたくなっちゃって!」


 ころころ笑いながら、心愛は次々にグッズを手に取り、展示棚を縦横無尽に移動する。白洲はそのあとを少し距離をあけてついていく。

 遠巻きに見守っていると、彼女があるアクリルスタンドを手にした。


「これ……イルカショーのやつですね」


「うん! 白洲さんが祈ってたイルカのシーンっ! もうこれ、今日のベストオブベストですよ!」


「……祈ってましたか?」


 白洲は小さく首をかしげながら、少しだけ目を伏せた。


「めっちゃしてましたってば。こう、両手合わせて、“お願いします”って顔して……!」


 指でポーズを再現され、白洲はやや言葉に詰まりながら目をそらす。心愛はにやにやと笑いながら、レジに並び始めた。

 その背を見ながら、白洲も一歩、棚に近づいた。

 無造作に置かれた“ネムリブカ”のストラップ。目を引く派手さはないが、ふよふよとしたフォルムが、なんとなく、今日の心愛を思い出させる。

 彼は静かにそれを手に取り、何も言わず、心愛の隣に並んだ。


「……それ、買うんですか?」


「ええ。記念に、ひとつ」


 言葉少なにそう答える白洲の横顔に、心愛はそっと目を細めた。


(……なんか、嬉しいな)


 その胸の中の温もりが冷める前に、スマートフォンが静かに震える。

 白洲が画面を確認し、自然な調子で声をかける。


「……そろそろ、ディナーの予約時間です」


「わ、わかりましたっ! あ、ちょっとだけ待っててください、あのぬいぐるみも買って帰りたくて……!」


 ぱたぱたと駆け出していく心愛の背中を見送りながら、白洲はふっと息を吐いた。その表情には微かに、笑みが滲んでいた。


 ◇


 レストランは湾岸沿いの静かなエリアにあり、夜景が滲む窓際の席へと案内された。

 壁際の小さなソファ席で、ふたりは自然と隣同士に腰を下ろす。


「……なんか、恋人っぽいですね、こういう席」


 ぽつりと呟いた心愛の言葉に、白洲は特に反応を見せなかった。けれど、心愛の心臓は妙にドキドキしていた。

 前菜が運ばれ、静かにグラスが置かれる。白洲は迷いなく赤ワインを頼み、グラスに注がれるそれを自然に受け取っていた。

 一方、心愛はというと――


「……ワイン、私も頼もうかなって思ったんですけど……これ、なんか難しそうで……」


 メニューを見ながら、心愛はむぅっと唇を尖らせた。


「甘口のサングリアか、キティなどの軽めのものなら、飲みやすいと思いますよ」


「え、キティ……? 猫のやつですか?」


「赤ワインをジンジャーエールで割ったカクテルです。アルコールも弱めなので」


「あ、それなら……お願いします、それでっ!」


 注文が終わり、しばらくして白洲のグラスと一緒に、小さなコルクがテーブルに置かれる。

 白洲はそれを手に取って、ごく自然な仕草で香りを嗅ぎ、グラスに視線を落とした。


「……それって、ワインのチェックですか? かっこいい……」


「見様見真似でやってみてますが……」


 白洲はそう言って、コルクを軽く見つめた。


「何もわかってません」


「ぷっ……ふふふっ、えへへへへっ」


 心愛は思わず吹き出し、隣で肩を揺らして笑った。その笑い声が、グラスに反射して小さく揺れていた。


 ◇


 デザートが運ばれ、ふたりの間に再び静けさが訪れた頃。ふと、白洲が心愛の手元に目を落とした。

 そのスマホには、ネムリブカのストラップがついていた。


「……今日、楽しかったですか?」


 静かな声で、そう尋ねた。心愛は一瞬だけ驚いた顔をしてから、微笑んだ。


「……はい。すごく、楽しかったです」


 その笑顔は、イルカショーのときとも、大水槽のときとも、少し違っていた。


「……それは、何よりです」


 白洲の返事はいつものように淡々としていたが、その顔を見つめる心愛の表情は、“恋”の旗印を掲げた天下統一目前の姫武将であった(※本人比)

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