序章:理性崩壊☆お背中流し大作戦(成功率0%)
お風呂の前で、私はそっと息をのんだ。
あ、そうそう。自己紹介、まだでした。
月城 心愛。20歳、女子大生です。
見た目はそこそこ、家事スキルは壊滅。あと最近、ちょっと恋に悩んでます。
バスタオル一枚。メイクは薄め。髪はゆるく下ろしたまま。
――完璧。たぶん、今日の私は、人生でいちばん“勝負”してる。
この作戦に名前をつけるなら、
「理性崩壊☆お背中流し大作戦(成功率0%)」である。
相手は、白洲 昭三さん。
20歳年上のお見合い相手。
スーツ姿がやたら様になる、完璧な中年紳士。
髪を下ろすと、なんかこう……昔の洋楽ロックスターっぽいんですよ!? えっと、デビッド・ボウイ?……ぽいです!たぶん!!
でも中身は……性欲ゼロ。恋愛感情もたぶんバグってる。
どれだけ誘惑しても、びくともしないんですけどぉ!? ハタチの私って対象外なんですか!?それとも、そもそも女の子に興味がない系!? Gカップだよ!?涙袋だよ!?美容系YouTubeで研究して、上目遣いの角度だって完璧にしてるんだよ!? ……なのに、ちょっとでも恥ずかしいこと言ったら――
『……冷静になりましょう』
はい終了〜〜〜!即☆鎮火!!(泣)
そんな鉄壁おじさんと、突然の“お見合い同棲”が始まって、もう数ヶ月。
最初はちょっと良いかも?だったけど、 今じゃ私、白洲さんのことがしゅきしゅきすぎて愛おしくてたまんない。
そして今日――私は、決めたのだ。
この扉を開けたら、もう後戻りはできない。
「お背中〜〜、流しまっすよ〜〜っ♡」
声、裏返った!というか自分でも何言ってるか半分分かんない!
湯気で少し曇った浴室のガラスを、そっと開けると――
背中。
濡れた髪に沿って、シャワーが静かに流れ落ちていく。
肩甲骨のあたりに、うっすらと浮かぶ筋肉の影。
お湯に混じる石鹸の香り。――それだけじゃない、“男の人の匂い”がした。
ちょ、見とれてる場合じゃないってば私……!
……でもこれなら、さすがに……ちょっとは動揺してくれる、はず……!
「……突然どうされました?」
うわっ、反応が素なんだけど!? 怪訝な顔。あ、もしかして眼鏡してないから見えてない!? むしろ逆に冷静度上がってませんか!?
「……ぁ……え、っと……お背中、流そうかと……?」
「……。」
返事はない。けど、拒否されてもない。
それだけで、心臓がバグる。
泡立てたボディタオルを手に、そろりと近づき、しゃがんで背中に触れる。
ひやっ……とした私の指先とは対照的に、白洲さんの背は、あたたかかった。
「わっ、すごっ……!!」 思わず声が出た。え、なにこの肌、めっちゃ綺麗。何者?彫刻?(混乱)
でもなによりすごいのは――
動じなさ。
私、バスタオル一枚ですけど!? 女の子が、無言で背中に密着してますけど!?
なのにこの人、呼吸ひとつ乱さない。
まるで高級旅館のアメニティの一部かのように、存在を受け入れてる。
「……せめて、ちょっとくらい……赤くなるとか、ないんですかぁ……」
わざと、耳元で囁くように言ってみる。 声も、仕草も、甘めに、ゆっくりと。
「してほしいこと、あったら……なんでも言ってくださいね?」
ギャンブルだった。たぶん、顔は真っ赤。
でも、これで何かしらの反応があれば……
「――強いて言うなら、もう少し強めに擦っていただけると、助かりますね。垢が取れない気がしまして……すみません」
……その瞬間。
心の中で、何かが砕け散った音がした。
(…………え、うそ、今のスルー!?)
「……はい(しゅん)」
そのまま無言で、背中をこすり続けた。
泡を流し、タオルを絞って、そっと立ち上がる。
バスタオルの端をぎゅっと握りしめて、静かに浴室を出る――そのとき。
「……よろしければ、このままお風呂、入られますか?」
えっ。
え? え???
な、なにこの展開!?!?!? え、ちょっと待って、もしかして――
「い、いいんですかっ!?!? 私、今……バスタオル一枚ですけど!?(落ちたー!?)」
「ええ。私は後で入りますから」
それだけ言って、タオルを持って、すっと浴室を出ていく白洲さん。
え……えええ……。
あの……?
いや、違うの。ちがうの違うの。
私、白洲さんを追い出したかったわけじゃないの!!!
――その夜、私は一人で「白洲さんごめんなさいっ」って、心の中で泣きながらシャンプーしました。
泡が目に沁みて、よけいに涙が止まらなくなったのは、たぶん偶然じゃないと思います……。
……でも、あのときお風呂でひとり凹んでた私には、まだ気づけてなかったんです。
そもそも、あの人に初めて会ったあの日から――もう、私の負けは決まってたんだってことに。