2 アルベルト
「攻略対象について教えておきましょうか」
――それは、女神が自分の元へと現れた日のことだ。
「ここは現世にあるゲームの世界観をそのまま反映させた世界。あなたがこの世界の主人公になる前までにも、『リツカ』という少女が生き、構築してきた世界がある。それを知るのに一番手っ取り早いのが、攻略対象について知ることです」
「そういうもんなのか?よく分かんねえが」
「これは恋愛ゲームですよ?主人公と攻略対象以外の要素はオマケ、些末な要素なんです。どういう世界かというのは正直あの二人から聞いた知識で事足りると思いますし、今後も使うことはないでしょう」
「それにしちゃ妙に凝ってた気もするが。マムがどうとか・・」
「あんなの、どっかの漫画やらゲームやらの設定をどっかから引っ張ってきた、ただの二番煎じですよ。その大本すらも二番煎じかもしれないですけど」
女神は鼻で笑いながらそう断言する。――この女が純粋に色事にしか興味のない色情魔でしかないような気もするが、そう思いつつ、黙って女の話に耳を傾けることにした。
「ともかく・・・全員の特徴と名前をこれから紹介していきますから、ちゃんと頭に叩き込んでおいてください。・・といってもその身体ならば、大体のことは苦労なく覚えられると思いますがね」
「ああ・・・やっぱり頭が妙に冴えるのは勘違いじゃなかったんだな」
ここに来てからというものの、妙に頭がクリアになったような――今迄自分の脳を縛り付けていた何かが外されたかのような感覚があった。どうやら、それは錯覚ではなかったらしいが――そう考えるとぞっとするものもある。肉体だけではなく、自分の精神的な部分まで変貌してしまったならば――果たして今の自分は、広瀬立夏と呼べるのだろうか?
「・・・なにやら妙な事を考えているようですが・・・考えても無駄なことですよ。賢いあなたにはすぐわかるでしょうが」
「・・・賢いなんて、生まれてはじめて言われたよ」
肩をすくめて笑って見せるが、女神は笑いを返さなかった。
「さて、まずパッケージの攻略対象ですが・・・」
―――
制服を着ているという事は必然的に彼はこの学校の生徒だ。そして常人離れした美貌。この世界は美形揃いだが、その中でも女神がわざわざ「美形」と称した人物が一人だけ存在した。
『攻略対象』として紹介された男性は全部で5名だが、そのうちの1名がイヴァン。とすれば候補者となる残りは4名だが、以下の特徴と、髪と目の色に着目すれば自ずと候補はひとつに絞れる。
(こいつが、アルベルト・・・)
それが女神が「パッケージ」と称したキーマンらしき攻略対象であるアルベルトだ。確か肩書はロウワード王国第一王子で、「リツカ」の婚約者。年齢は16歳、同学年。成績優秀眉目秀麗の、オレサマケイ――要するに高圧的な性格をしているらしい。
立夏は乙女ゲームには疎いが、少女漫画は少しだけ嗜んだことがある。何故だか高圧的な男は妙に女性人気が高いというのは漠然とした知識として存在した。つまりこの男もそういうことなんだろう。
(まあ・・主導権を握られたい奴ってのは多いからな。男も女も・・)
経験不足か自己肯定感の低さか、なんにせよ自分に自信のない人間というのは、総じて受け身だ。そういう人間にとっては、このぐらい強引であった方が何かと都合がよいのだろう。
「リツカ・・こんな場所で一人で昼食とは何事だ?いつもの取り巻きは何処へ消えた?」
「あ?」
睨みつけてやるが、アルベルトは眉一つ動かさない。――きっと「リツカ」はそんな言動は取らなかったのだろう。だが、それでも驚く顔すら見せないのだから――王子という肩書と、優秀であるという話は伊達ではないのやもしれない。
「あのうるせえ女どもなら蹴散らしてやったよ、どいつもこいつも上っ面で媚び諂いやがって反吐が出る」
「それに関しては同意だが・・・珍しい態度だな。そういった見え透いた打算にも素直に騙されているのがお前という人間だっただろう」
「死んだよ、そいつは。今のアタシは新しいアタシだ。サイコーに頭が冴えててね、なーんでも見通せちまうんだ。それこそ神になった気分だね。いや、神なんていねえか。いるのは神を名乗るキチガイの痴女だけだ。まあともかく、アタシは生まれ変わったのさ」
「そうか・・頭を強く打ったという話はどうやら本当だったらしい」
アルベルトは黙ってこちらを見下ろす。イヴァン辺りから話を聞いていたのだろうか。
「まあ、俺にとってはどちらでもいいことだ。昔のお前は見ていて吐き気がするような頭に花の咲いた平和ボケ女だったが、今のお前は吐き気がするほど清潔感も品もないアバズレだ。方向性は真逆だが、辿り着く先は同じだな」
何が面白いのか、アルベルトは始めてくつくつと笑う。性根の悪さが滲み出る意地の悪い笑みだったが、顔がいいばかりに妙に様になっているのが腹立たしい。
「うるせえ、勝手にゲロ吐いて死んでろクソ王子。アタシの飯の邪魔すんじゃねえよ」
「婚約者にその口の利き方はどうなんだ?」
「先に婚約者に喧嘩売ったのはテメェだろ。責任転嫁はお手の物ってか?王子様。こりゃあアンタが国王になった時の政治ぶりが楽しみだな」
「ふむ・・・」
アルベルトは顎に手を当て、考え込む素振りをし――暫くしてフン、と鼻で笑って見せる。
「同じだと言ったのは訂正しよう。なかなか、悪くない。正妻にするには余りにも品がないが・・第二夫人にでもこういうのがいたら面白そうだ」
「はあ?何ほざいてんだテメェ。この一瞬でヤクでもキメたか?」
「強気な女は嫌いじゃない。屈服させ甲斐があるからな」
「性癖終わってんじゃねえかよクソ王子。大丈夫か?お前の国」
「下品な第四王女のいる其方の国も心配だがね」
そう言って、アルベルトは何の断りもなく隣に座ってくる。文句を言ってやろうと思ったが、ふわりと、嫌味のない花の匂いが広がって、思わず閉口してしまう。
真横で見ると、いっそう美しい男だった。少女のように長い睫毛、陶器のように滑らかな肌。性格は悪いが見た目は良い。なるほど、これは確かに人気も出そうだ。
「見惚れたか?」
アルベルトは視線に気が付いたのか、妖しく笑って見せる。高校生とは思えない色香に一瞬目を奪われそうになったのを何とか堪え、(生意気に)と立夏は毒づきながら、黙って中指を突き立てた。
「ツラだけのガキには興味ねえよ」
「ほう、ならばどのような男が?」
「あ?男なんて全部同じだろ。性欲に脳を支配された動物風情が」
「何か悪い本にでも影響されたか?あの清純な王女様とは思えない発言だ」
アルベルトは愉快そうにからからと笑う。
「清純ねえ・・アタシには一番似合わない言葉だな」
自分の人生は余りにも濁り、腐っていた。身も心も清らかだった時代など、それこそこの世に生を受けた時ぐらいだろう。――もっとも今は『身』だけならば清純と呼べるのかもしれないが。
「それで?お前は人が飯を食うのを邪魔しに来たのか?」
「ああ・・・そのことなんだがな」
アルベルトは足を組み直し、こちらを見てくる。
「次の『遠征』―――俺と共に行って欲しいんだ」