4 新生活
「おはようございます」
「・・・・ああ、久しぶりだな・・クソッタレ痴女」
この「世界」に訪れてから一週間が経過した。
立夏は知識も教養もない、明け透けに言ってしまえば中卒で21歳の元風俗嬢だ。この手の乙女ゲームが題材にしやすい中世ヨーロッパに関する知識はその辺の小学生の方がまだ知っているレベルで、乙女ゲームに至っては名前すら知らない始末。よって立夏が何のサポートもなくこの世界について知るのは困難であったが、女神の発言を思い出し、周囲の人間に聞き込みをし、ようやくその輪郭を掴みつつあった。
「お陰で随分苦労したよ」
「本当はもっと早くに行くつもりだったんですけど・・盛り上がっちゃいまして。なんなら、まだ身体の火照りが収まりません。あと10年はシたかった・・」
「クソビッチが」
立夏が吐き捨てるが、女神は意にも介していないようで、いけしゃあしゃあと言い訳をしてくる。
「私も私で孤独なんですよ。あらゆる娯楽は一億を超える年数で味わい尽くしてしまったので、現世の転生者以外に目新しい娯楽というものがないんです。その中でも、特に自分好みの若い男との束の間の蜜月というのは私にとって至上の喜び。むしろ一週間という短い時間で終わらせたことを褒めて頂きたいぐらいです」
「ふざけてろ。てか相手の男もよく一週間も付き合ったモンだな・・・」
「あの空間では疲れませんからね。ただ普通の人間が長居しすぎると魂が浄化されてしまうのが困り者ですが。それはともかくとして・・この世界について少しは分かったのでは?」
「・・・まあ、大体はな」
この世界での立夏は、この国――ニュートラリア王国の「王女」ということになっているらしい。
正確に言えば第四王女、名前はリツカ・レオノール――立夏の本名と同じであるのは、偶然なのか意図的なものなのかは分からないが――齢は16。金色の髪に白い肌、ぱっちりとした青い瞳を持った美少女である。
上に兄が5人と姉が3人いるらしいが、この城の中で出会ったことはない。というのもこの城はニュートラリア王国第四王女であるリツカに与えられたものであるからだそうだ。城を娘一人のためにまるまる明け渡すとは、国王のやることは規模がでかい。
よって、きょうだいはおろかこの世界の両親である国王と王妃とすら、立夏は顔を合わせたことがない。――もとい、立夏がこの世界で顔を合わせた人間は、二人しかいない。なんでもこの世界の「リツカ」も階段から転落したことで怪我をし、学校を休学中らしかったのだ。
ひとりは「リツカ」と同い年で同学校に通うという少女、メイドのモニカ・フレンベルクと、「リツカ」の幼馴染であり執事でもあるという青年、イヴァン・モーリス。彼らは「リツカ」に対し友好的であり、情報を得るのに非常に役に立った。
「まあ、頭を打ったってことだったからな。記憶が混濁していると思われて都合が良かったよ」
「そういう設定ですから」
「・・・ま、そうだろうな。それで・・・」
この世界は三大王国と呼ばれる国家で三分割されており、それぞれが牽制し合うことでバランスを保っているらしい。ひとつは立夏のいいるニュートラリア王国。そしてあとの二つが、ロウワード王国とイカオスタ王国。そしてリツカの通うアワールドイ学園というのが、三国の有力者の子供たちを集め教育したエリート中のエリート学園だという。話によると、リツカにはそこ以外のコミュニティには属していないようだ。
「要するにこれは、恋愛漫画のゲーム版ってことなんだろう。ってことは、その学園ってのが舞台なんじゃねえのか?」
「ご明察。そこに出てくるイケメンたち、無論、あのイヴァンも含めですが――彼らと恋愛を楽しむというのが、このゲームの醍醐味となるのです」
「てか、高校生て。ガキじゃねえかよ」
「あなた21でしょう、まだ。大してかわりゃしないと思いますけどね」
「変わるんだよ、20超えたら高校生なんて全員ガキに見えるモンなの」
「・・・なんだかちょっとガッカリしていますね。もしや期待なんかしてました?」
「死ね!」
枕を投げつけるが、女神はそれすらもあっさりと避けてしまう。
「ですがご安心を。ちゃんと年上の攻略対象もいますよ。学校の先生なのですがね、御年27歳。どうです?あなた的にはちょうどいいのでは?」
「ガキに手ェ出す大人とか最低だろ。一番嫌いだわ」
「ああ、・・・あなたにとって、一番よくない存在でしたね。失礼しました」
女神はぺこりと頭を下げ、話を続ける。
「まあ、イヴァン君を含め、眉目秀麗でかっこいいキャラクターが多数現れますから、そこであなたは人生の伴侶を見つけ、悠々自適に暮らしていくとよいでしょう。それが不幸な人生を歩み非業な死を遂げた、あなたの魂を救済することになるのですから」
「アタシはそんなん望んでねえ。男なんて嫌いだし、ガキやガキに手ェ出すようなクズならもってのほかだ」
「女性もいますよ。あのメイドの少女・・モニカを含めね。可愛いでしょう、彼女は」
「男が嫌いだからって女好きってワケもねえ。アタシは男女平等主義でね、ちゃんと女も嫌いなんだ」
立夏がそう吐き捨てると、女神は小さくため息をつく。
「まあ、もうすぐ休学期間も明けますし、新たな出会いもあります。恋愛に積極的にならずとも、学園での生活はあなたの心をきっと癒すことでしょう。私だったらうまいことしてハーレム作って酒池肉林を謳歌しますがね」
「ああ、そうかよ。・・・・・ああ、それから」
「なんですか?」
「本当に、・・・・死んだのか?アタシは」
それは、立夏にとって、一番に問い質したいものだった。最初ならともかく、この異常な状況が一週間も続けば、流石にこれが現実か、それに近いものであるのだろうという自覚も出てくるのだ。だがそれでも、胸の奥には小さな希望とも絶望ともつかない感情が渦巻いている。
「死にましたよ」
女神はあっさりとそう答える。顔を上げ、思わず女神の顔を立夏は見た。端正な顔立ちだ。目も大きく、鼻筋も通っていて、唇はぷっくりとしていて肉感的。腰のくびれも、細い手足とそれに似合わぬ豊満なバストも、全てが計算し尽くされたかのような、自然的ではない、だからこそ超常的な美を醸し出している。
だからこそ――その無感情ゆえの無機質な声と、立夏の細やかな機敏を気にも留めない無頓着さに、少しだけ背筋が冷える。
「ですから、この世界で新しい生活を。現世のようなつまらないことは忘れて、あなたに楽しんでいただきたいのです」
彼女は、花の咲くような笑顔に戻り、そう言った。その言葉には、悪意や侮蔑といったものは、一ミリも見受けられない。
「・・・・・ああ、そうかよ。そうかもな・・・。アタシの人生なんて、ゴミみたいなモンだったんだから」
その言葉に女神は答えない。その事実に少しだけ苛立ちを感じ――そう感じたことに、立夏は苛立った。
なぜならば、自分の人生が碌でもないものだったというのも、ここで王女様としてチヤホヤされる生活の方がよっぽど最高だろうということも、歴然とした事実であるからだ。