1 死
あ、これ死んだわ。
広瀬立夏、享年21歳。焦げたアスファルトの上で、猛然と迫りくるトラックを目の前にして、最後に彼女が発した言葉はそれだったという。
―――
「マジで死んだの?」
「死にましたねえ」
「女神」を名乗る女はいたく呑気にそう断言した。
立夏が意識を取り戻して最初に見た光景は、見慣れた交差点でも、自分の部屋の天井でも、はたまた見知らぬ病院の天井でもない。
そこは白い床に、白い天井。白い壁に四方を囲まれ、それ以外の物は何もない、空虚な空間であった。見渡す限りの白の光に目を傷めながらも、身体を起こし空気を手ですくう。すると立夏はすぐに、壁と思わしきものが自分の目の届く範囲には存在していないことに気が付いて暫く歩いてみたが、終わりが見えない。壁がないのだ。――さらに言えば、天井もそうだ。手を伸ばしても当然、何かに触れることもない。目を細めても、木目や繊維などといったものは見えない。どこまでも続く白。それは例えるならば――空だ。太陽と色を失った空。
(夢・・にしては意識がはっきりしてる。明晰夢?死後の世界ってやつか?これが・・なんてな)
立夏がそんなことを考えながら歩いているときに現れたのが、この「女神」を名乗る、裸同然の透けた布を、必要最低限の部分に身に纏った、痴女のような姿をした巨乳女であった。
女神を名乗るだけありそれなりに端正な顔立ちをしたその女は、開口一番「あなたは死にました」などと言い放ったのである。事故の記憶のはっきりと残っていた立夏は突然の言葉に驚きながらも、
(まあ、そうかもしれねえなあ)
などと思いながら―――冒頭の会話に戻る。
「トラックに轢かれて、全身グッチャグチャになって死にましたねえ。そりゃあもう、酷い有様で、近くにいた小学生は返り血を浴び、大きなトラウマを背負ったようです。嗚呼、可哀想に・・」
「知るかボケ。可哀想なのはトラックにミンチにされたアタシの方だろうが」
「まあ、そうですね。この事故は多くの犠牲者を生みました。まずはトラックに跳ね飛ばされ、生前の面影もないまま即死したあなた。その光景を目の当たりにし心に大きな傷を負った小学生を始めとした通行人。身寄りもなく損傷の激しいあなたの遺体を処理した公務員。労働環境の劣悪さから極度の睡眠不足に陥り、不幸にも人を殺めてしまったトラックの運転手―――嗚呼、運命とはなんと残酷な!」
「うるせえ女だな・・」
ここが死後の世界なのか、はたまた自分の妄想なのかは分からないが、妙にこの「女神」とやらは強烈なキャラクターをしている。
「ですが、21歳という若さで死に、家族関係にも恵まれず、友人も恋人もおらず、性格はドブのように濁り捻くれ切った―――」
「それ以上くっちゃべったらブチ殺すぞ」
「・・ゴホン。そんなあなたにこの私が救済を授けましょう。あなたを乙女ゲームの世界に転生させて差し上げます」
「乙女ゲーム?なんだそれ」
「なんと、乙女ゲームを知らない!」
立夏の問いに、女神はわざとらしく大声を上げ、顔に両手を当てて大袈裟にポーズまで取って見せる。小馬鹿にされているようで腹立たしくなってきた立夏は、黙って足を振り上げて女を蹴り飛ばそうとする。女は後退しそれを避けると、にこりと蠱惑的な笑みを浮かべ、話をつづけた。
「簡単に言うとイケメンと恋愛しまくるゲームのことです。あなたは今からその乙女ゲームの主人公になり、イケメンにチヤホヤされまくるイケメンパラダイス生活を送ることができるのです」
「クッソどうでもいい・・全員死ねよ」
「なぜあなたはそこまで捻くれているのか・・・やはり過酷な人生に心が荒んでしまったのですね。ですが大丈夫。それもイケメンとの生活が癒してくれることでしょう」
「分かったようなこと言いやがって、興味ねえよ!」
「本当ですか?金なら腐るほどありますし、衣食住にも困りませんよ?一生遊んで暮らしていけます。おまけにイケメンからチヤホヤされて、セックス三昧ですよ!ああちなみに一番ヨかったのは裏攻略対象の・・」
「イケメンがいらねえ・・あとお前のお手付きかよ。内面も普通に痴女じゃねえか」
「なんですかさっきから不満ばかり。・・・ああ、なるほど。そうですよね、そういう方もいるというのを失念していました。ええ、勿論女性もいますよ。あなたを素直に慕ってくれる美少女・・・」
「女に興味があるって意味じゃねえよ!」
もう一度蹴りをくらわしたが、女はまたしても攻撃をよける。――が、布がはだけでかろうじて隠していた(といっても、透けて見えてはいたが)乳房がぽろりと零れる。女は「イヤ~ン」としなを作りながらそれを両手で隠す。
「キメェし意味わかんねえし・・もういいよ。死んだんならさっさと成仏でもなんでもさせてくれよ」
「そうはいきません。私が困・・・いえ、あなたの魂を救済しなければならないのですから、女神として」
「今私が困るって言いかけなかったか?」
「ともかく、何か困りごとがあれば私もサポートいたしますから。さっさと転生してください。予定も押しているので」
「よく分かんねえけど、それが本音だろ」
女は服を整えながら、ぺろりと舌を出す。
「次に来る転生者、なかなかイケメンの上アレもデカいんですよねえ。ぶっちゃけ早くシケこみたいんです。あなたとの時間が早く終わればその分時間が確保できるでしょう?」
「死ね!」
それが最後の言葉になった。
女の顔が、ぐらりと揺れる。白が、段々と黒に浸食されていく。――立夏は、これを体験したことがあった。それも間近に。そうだ、――これは、トラックに轢かれる寸前の記憶。衝撃と痛みが身体を襲い、意識が崩れ落ちていく感覚。
(目覚めた時、病院のベッドの上だったら―――)
よく分からない夢だった、なんて言えるだろうか。そんな淡い夢を抱きながら、立夏は意識を落とした。