第1章月花煌々 ―And when fate―
――思えばあの日。
あの場所に立ち寄ったことが、全ての始まりだった。
彼らにとって私は光で、花のように甘美な存在。
彼ら以外のナニカにとっても、とても手に入れたい存在。
――満月の夜。
人ではないナニカと遭遇してから、全てが変わった。
彼らは自分を吸血鬼と名乗り、私と同じだと言った。
訳がわからないまま、私は目の前の出来事を理解するのに精一杯だった。
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最近、巷で物騒な事件が騒がれている。血を抜かれた遺体や、食い荒らされた遺体が、春に入ってから増えてきている、と言う怪事件だ。時折、綺麗な遺体も見つかるから、臓器が抜かれているのでは?なんて噂が広がっていた。
普段この手の噂には疎い私がそんなことを知っているのは、私が病院に通っているから。幼い頃から持病があって、入退院を繰り返している。そのおかげで、高校最後の年だというのに四月から通えなくて、病院からのスタートになってしまった。そしてようやくまともに通えたのが、七月の今に至る。
「――やっと帰れそう」
点滴が終わったのを眺め、ほっと胸をなでおろした。
今日は一週間ごとにおこなっている定期健診。ここのところ調子がいいから、今年の夏はいつもより楽に過ごせるかもしれない。
私が患っているのは、血液不足と、日に照らされると肌が赤くなること。血液不足は造血剤を。肌が赤くなるのは、夏でも長袖を着て、日焼け止めや日傘をさすことで今のところ大事に至ってはいない。小さい頃はみんなと同じがよくて、半袖を着て肌を火傷しかけたりしていたんだけどね。
「順調そうですね、日向さん。これなら次は二週間後で大丈夫でしょう」
先生からのお墨付きをもらい、私は気分良く病室をあとにした。
黒のカーディガンを羽織り、黒い日傘をさす。
病院の敷地内を出ると、住宅地に向けて歩き出した。もしかしたら――。調子がいい今なら、少しは傘を差さなくてもいいかと思い、傘を閉じてしばらく普通に歩いてみた。
日が落ち始めているから、日差しもやわらかい。顔も熱くならないし、これなら今日は家まで行けそうだと、一層気分がよくなっていた。
坂道を上ると、休憩スペースにさしかかる。そこで私は、いつものように奥へと進んで行った。調子がいい時でも、だいたいここに立ち寄って休むことが多い。それは体を気にしてってのもあるんだけど、ここは私のお気に入り。ここから眺める夕日は、この辺りで一番綺麗に見える場所なんだよね。
「――――?」
いつも座るベンチに向かうと――人が、横になっているのが見えた。
残念。あそこ、一番眺めがいいのに。ここにはあまり人が来ないから、こうして誰かに先を越されたなんて初めてだった。
仕方ない、か。隣にあるベンチで休んでいこう。
移動して腰かけると、目の前で、ゆっくりと沈んでいく夕日を眺めた。日差しが顔に照らされても、熱を持つことはない。やっぱり調子はいいみたいだ――?
ふと、妙な音が聞こえた。意識を集中してみれば、それは隣のベンチからで。けだるそうに腰かけ、息を荒くしている少年の姿が見えた。よくみれば、片手で胸を押さえていて。
「あ、あのう」
呼びかけに、少年は視線だけをこちらに向ける。
思わず――ため息がもれるほど。澄んだ青い色をした瞳は、あまりにも大人びて綺麗だった。髪も、瞳と同じぐらい綺麗で。少しウェーブがかった艶やかな黒髪は、少年が呼吸をするたびに、小さく揺れていた。
「――ぐ、具合が悪いなら、救急車を」
ようやく言葉を発したのは、しばらく経ってからで。
その瞳に魅了されたのか、目をそらせないまま、私は少年を見つめていた。
「…………」
「…………」
少年も目をそらすことなく、私を見つめ続ける。まだ言葉を発しないのは、それだけ体調が優れなのか。もう随分と長い時間、お互い黙ったまま見続けているように感じた。
さすがに、ずっとこのままってわけには……。どうしようかと心配していれば、
「……必要、無い」
そう呟き、姿勢を正した。
「でも…苦しいんですよね?」
「血が足りないだけだ。…休めば、どうにかなる」
「血が足りないって…貧血ですか?それとも…」
私と同じ、造血剤が必要なんじゃないかって、頭をよぎった。
「俺にかまうこと…っ!」
ぐぐっと、前かがみになる少年。具合が悪いのは明らかで、私は急いで少年に駆け寄った。
「ほら!やっぱり具合が悪いじゃないですか!」
「……だいじょう、ぶ。俺にかまうこと」
「ダメです!やっぱり今すぐっ!?」
スマホを手にしようとした途端、体が倒れる。何が起きたのかと思えば、
「頼むから…騒がないでくれ」
頭の上から、そんな言葉がふってきた。
「ただの発作だから…」
暖かいと思えば、それは少年の体温で。私は真正面から少年に抱き寄せられていた。
「も、もう呼ぼうとしない、のでっ。そのっ」
放してほしいと、なんとか言葉を振り絞った。でも、少年はその手を緩めることなくて。
「――くすりの、匂い」
ぐぐっと、更に私を引き寄せた。
ヤバいヤバいヤバい――!こ、こんな至近距離に異性がいるなんてことっ!知り合いでも恥ずかしいのに、それが今出逢ったばかりの人とくっつくなんて!
頭の中はもうパンク寸前で。あうあうと、言葉にならない声がもれるだけだった。
「落ち着く…もうすぐだから、騒がないでくれ」
お、落ち着くとか言われても!逃げようにもがっつり掴まれているから逃げようがなくて。こんなの、体調が悪い人の腕力じゃない気がするんですけど!?
「君も――何かの病気か?」
どれぐらいそうされていたのか。急にそんな質問をされた。
「……ぞ、造血剤を」
「それだけか?」
「……日に、照らされるとっ。火傷を」
「――そうか」
ため息交じりにそう呟くと、少し腕の力が緩められ。
「君は――同じかもしれないな」
と、そんな言葉を耳にした。
「お、同じ、とは――?」
「俺にも、似たような症状がある」
思わず顔を上げた。今まで、自分と似た人に会ったことがない。目の前に居る人が私と同じと言うのなら。
「――あなたも、同じ薬を?」
視線がぶつかる。それに少年は、少し間をおいてから話し始めた。
「薬はいくつか飲んでいる。君からは――同じ匂いを感じるんだ」
「そ、それって…薬臭いってだけなんじゃ」
視線を下げながら呟くと、頭に優しく手の平が置かれた。
「悪い意味じゃない。俺は単に、匂いに敏感なだけだから」
頭を撫でながら、少年は続ける。
「俺も、女性で同じような人は一人しか知らない。だからかなぁ。少し――嬉しい気がする」
それまで淡々とした喋りだったのが、少し、熱を帯びた気がする。
本当に私と同じなら、私も少なからず嬉しい。未だに心臓はバクバク言ってるけど、それでも嬉しい気持ちのほうが勝っていた。
「――おかげで落ち着いた」
途端、緩められる腕。改めて視線が交わった時、今更のように私は離れていた。
「悪かった。だからそう怯えないでほしい」
そう言って立ち上がる少年。背は私の頭一つ分高くて、改めて目の前にすると、その容姿に見惚れそうになった。
「ほ、本当にもう」
大丈夫なのかと聞けば、あぁ、と頷いてくれた。
確かによく見れば、顔色もそう悪くはなさそう、かな?
「不快な思いをさせたなら謝る。――人に、慣れてないんだ」
少しばつが悪そうに答えたその顔は、ようやく年相応の顔に見えた。
「ふ、不快とかはないのでっ。あ、あのう!」
もう少し、話してみたいと思った。今まで理解してくれる人が少なかったし、本当に同じなら、関わってみたいと思ったから。男子とは元々積極的に話す方ではないけど、同じと言われた言葉が、私の背中を押していた。
「女性でもう一人、似たような人を知ってるんですよね?その人に会うこととかって」
「悪いが…会うことは出来ない。俺もどこに居るか知らないから」
「そう、なんですね」
なんとなく、女性についてこれ以上聞いてはいけない気がした。それは少年の表情が、少し悲しげにえてしまったから。話題を変えようと、私は少年について話を聞いてみることにした。
「見たところ…あなた、日傘はさしてないですよね?大丈夫なんですか?」
「問題ない。まぁ、あまり出歩かないのがいいことはいいが。君は違うんだろう?」
「は、はい。さっきも言ったように、火傷してしまうので」
「女性にとっては苦労だろうな」
「そうですね。今も長袖がかかせませんから」
病院の人以外と、こんなに話すのはいつぶりだろう。
最初は急に抱き着かれて驚いたけど、今ではもっと知りたいと思うようになっているんだから。
「私、似たような人に会ったのは初めてで…正直、嬉しいんですよね。病気なのに不謹慎かもですけど」
「それはよかった。でも――」
何か呟いたと思えば、少年は目の前に来ていて。
「夜には気をつけろ」
と、警告ともとれる言葉を発した。
夜って…事件があるから?だからそんなことを言うのかと思案していると、わかったか?と念を押すように聞かれた。
「……どうして、出たらダメなんですか?」
少年の目を見ながら、理由を訊ねる。すると少年は。
「――利かない、のか?」
と、なぜか意外そうな表情を浮かべていた。私は私で不思議そうにしていると、それを感じたのか、少年は改めて話を始めた。
「悪い、理由が知りたいんだよな? 理由は――君が気に入ったから、だな」
なにを言うのかと思えば、少年はそんなことを言ってのけた。
思わずドキッ! と大きく跳ね上がる心臓。でも、驚いたっていうより、恥ずかしいって気持ちの方が強い。
「り、理由になっていません……。ちゃんと、説明して下さい」
「俺としては、ちゃんとした理由のつもりだったんだがな。――簡単に言うと、ここらを今夜、怖いやつらがうろつく予定になっている。変に因縁つけられて、絡まれたくないだろう?」
今度はちゃんと、理由らしい理由を答えてくれた。怖い人たちだなんて……不良とか、そういうこと?というより、なんでそんなこと知ってるんだろう?もしかしたら、そういう人たちの仲間なのかと思ったら……少し、体が強張り始めていた。
「――俺は、違うから」
「違う、って……」
「多分、君が今考えてること。知ってるけど、俺は違うから」
「そう、なんですか?」
「あぁ。だから、出来れば怖がらないでほしいかな」
苦笑いを浮かべる少年。どうやら、私が怖がってしまっているのをわかったらしい。
「とにかく、今夜は家でじっとしててくれ。――いいな?」
ぐいっと、距離を詰める少年。思わず後退した私は、恥ずかしさのあまりまともに返事を返せなくて。何度も頷くことで、少年の言葉に答えた。その反応が面白いのか、少年はくすっと笑いをこぼす。
「本当に分かったなら安心だ。――じゃあな」
最後にやわらかな笑みを見せると、少年は軽く手を振りながら帰って行く。
それに私も、その場で小さく、手を振りながら見送った。