練習と製作
6月4日。
学校の時間が終わり放課後。
美樹と一平は、学校が終わるなりいち早く美樹の家へと向かっていた。
一平は、アコースティックギターをいれたケースを持って歩いていた。
その道中。
「美樹ちゃん、昨日は帰ってから、歌とか、曲とかなんか思いついた? 衣装とかもなんか考えた?」
一平が聞く。
「全然。考えたけど全くなにも思いつかなかった」
「そっか。僕は、漠然にだけど、こういうのがいいんじゃないかなぁとかっていう歌のジャンルとかは少し考えてた。まだ具体的なものは全然見えてこないけど……」
「そうなんだ」
「まぁ二人で頑張ろう!」
言って、歩いていると、美樹の住むアパートに着いた。
美樹のアパートもごくごく平凡そうなアパート。
玄関口の前まで、二人が来て、美樹がカギを開ける。扉を開ける。
玄関で靴を脱いで、リビングへ向かう。
一平がそのリビングを見て、
「お……綺麗な部屋? というか、物が全然ない……」
美樹のリビングは、綺麗な部屋というよりは、空家に近い最低限の生活用品しか置いていない感じの部屋だった。
「座るのどこでもいいから、適当に座ってて……」
「うん」
「なんか飲む?」
「なんでもいいよ」
「わかったじゃあ、コーヒーね」
言って、美樹はお湯を沸かし、手なれた手つきでコーヒーを作って持ってくる。
「ありがと」
リビングの真ん中には、小さなテーブル。そのテーブルにコーヒーを置き、一平は床の座布団に座る。美樹も置いてあった座布団に座る。
「じゃあ、歌のジャンルというかイメージはどうしようか?」
「出来れば歌いやすい曲がいいかな……」
その後二人は、話し合いを進めた。
話し合いの結果、バラード系統の歌にすることが決まった。アコースティックギターで弾くのでそっちの方が、味わい深い歌になると思ったし、美樹のイメージにあうと思ったからだ。
「歌詞からじゃあ考えてみるか……どういう風にする? バラードだし、なんか切ない感じにする?」
一平が言い、話をにつめる。
「自分の経験や、こうしたい、こうしていきたい、こう感じている、こう思ってる、何でもいいからあげてみよう!」
一平が美樹に言うと、少し考えてから美樹が言う。
「この前も末永くんには、ある程度話したけど、私は、生まれたときから、いつも一人ぼっちだった。物心ついたときから、お母さんはもういなかったし、お父さんは仕事でほとんど家にいなかった。だから家でいつもひとりぼっち。お父さんが夜遅くに帰ってきたとき、ただただ普通の話がしたかった。今日こんなことあったよ。今日こんなことしたよって。でもお父さんは興味もなにもなく、ほとんどわたしの声は届かなかった。それはそう。わたしの本当の親ではないんだから。血のつながりなんてないんだって。わたしのことどうでもいいんだって。そもそも人との繋がりってなんだって。それをすごく感じた。お母さんがもし生きてたら、わたしを愛してくれたのか。きっと愛してくれないだろう。わたしを作って、わたしとお母さんを捨てて逃げて行った、本当のお父さんも、わたしを愛してくれないだろうって。だから、わたしは……」
と言ったところで、美樹が言葉をとめる。数秒黙って再び自分のことを吐露する。
「わたしは……もっと愛されたい。もっともっと愛されたい。それが成就するのであれば……もしかしたら、消えたっていいって少し最近思えるようになってきたかもしれない。私以外の誰かがわたしを深く愛してほしい……絶対にわたしのことを裏切らない人が、いつまでもわたしのことを見ていて欲しいって。愛に飢えてるのかな? わたし……」
ここまで自分のことを、美樹が話してくれたことに、一平は驚いた。
一平も話を聞いて、自分の事語りだした。
「愛に飢えてる……か……僕は、幼少時代に親が離婚しただけだから、子供の頃に親から、ひとしきり愛情は注いでもらったと思う。お母さんもお父さんも。だから、美樹ちゃんの気持ちに共感はすることはできないし、安易な慰めもできないけど、きっと誰かが、美樹ちゃんを愛してくれると思う。それが、僕ではないのが凄く残念だけど……」
「でも私は怖い気持ちもある……誰かに愛され誰かを愛することが……お母さんみたいに突然わたしのもとから消えていってしまったら、わたしはきっと耐えられない……でも、わたしはいま、それを末永くんにしようとしているかもしれない、当初の気持ちと少しだけ、なんか矛盾がでてきてしまっているような……」
そんな美樹の言葉に、一平が言う。
「その気持ちなら僕もわかるよ。お母さんが離婚していなくなり、とてもお互い仲がよかった妹も突然いなくなった。苦しかったし、辛かったし、言葉に言いあらわせないくらいの喪失感を感じた。失うことの怖さは、失った人間にしかわからない。僕も美樹ちゃんも失う怖さを知ってる。だからもう失いたくないんだって。でも、美樹ちゃんの言う通り、今の僕らの行動って、その思いに結局反したことばかりしてるね……」
「うん……」
美樹が頷くと一平が、
「今の話をしてて、少し歌詞のフレーズを思いついたから、ちょっと書いてみるね、美樹ちゃんも何か、思いついたら、どんどん遠慮せず、言ってみて! 詩とかをいっぱい書きだして作る感覚で!」
その後二人は、自分達の経験や思いの丈を歌詞に綴った。
そして。
「よし! 歌詞はできた! けっこういい仕上がりだと思う! あとは、口ずさんでみながら、音程とって、ギターで曲つければ完成だ!」
ギターか手にとり、弾き始める一平。
だけど一平はあまりギターが上手くない。
たどたどしく、少しずつだが、曲はなんとか決まっていく。
そして、2時間近くかけなんとか曲が完成した。
「よし! できたー!」
完成した喜びに思わず、一平は大きく叫んだ。
「結構僕本位に作っちゃったけど、ちょっと最初はアカペラで歌ってみるね!」
そう言い一平は、自作の曲を歌いだした。
傷ついたハートを癒すのは
あいた心を塞ぐ君の愛
素直になれなくて
遠ざかる思いの距離
都合のいい光だけに
私は目を向けた
自分を変えるキッカケは
待つんじゃなくて
かすかな勇気だよ
愛をください、愛をください
わたしに愛をください
知りたいのは愛だけでなく、あなた
閉ざされた心が今
開いたねありがとう!
「どうかな?」
「いいと思う」
美樹が答えた。
「わたしの境遇や、願いが込められてる、いい曲だと思う……」
「二人で考えて、作った甲斐があったね!」
一平が言うと、美樹が頷く。
「うん!」
その頷いた表情が、微かにだが、嬉しそうに微笑んでいるように見えた一平は、
「え……!? そんな顔もできるんだね……ちょっと驚いた」
「そんな顔って?」
わからないという表情に変わる美樹。元々美樹の表情は、ほとんど普段変わることがないし、その表情からはどんなことを考えているか読みとれない。でも今は、表情から喜んでいるのが、少しだがわかった。
「美樹ちゃんって、普段喜怒哀楽をあんまり出さないからさ、今その一つが少し見えたから、僕はちょっと嬉しかったよ」
「ふーん……わたしの感情が見えたら、末永くん嬉しいんだ」
「嬉しいよ……」
美樹の目を見て、言う一平。
その見つめてくる瞳に、美樹も見つめ返す。
そとは夕陽が出ている時間帯ではあったが、その夕陽は窓のカーテンに遮られていた。 カーテンの隙間からさす微かな日の光が、二人の間を赤くさした。
「なんか、今日楽しいね……」
そんなことを言う美樹。
「確かに、普段、人の家行って歌とか作らないからね」
「末永くんと一緒に作ったから、楽しかったんだよ」
「そう? ありがとう」
もう幻怪病のことや第二の手紙のことは、一旦頭になかった。ただただこの楽しいひと時を二人は楽しんでいた。
「歌は課題曲、自由曲はあとで練習するとして、次は、自己PRの衣装だね! 衣装は……ちょっとどうやって決めたらいいか……絵とか描いてまずイメージをつくっちゃう?」
「わたし、絵は描けるよ……」
そう言って、美樹がペンを走らせた。実に軽やかに、手なれた手つきで、服の絵を描いた。ものの数分だった。
「こういうのはどう?」
絵を見せてくる美樹。
「え!? うまい!」
驚きの声をあげる一平。
「美樹ちゃんこんな才能があったの?」
「絵は暇な時どこでも一人で描けるからね。歌は場所を選ばないと歌えないけど、絵は授業中に良く描いてた」
「そうなんだ……」
美樹の知られざる才能に、一平は、言う。
「凄い上手だよ! ってかもうこの絵の服を作ろうよ! 僕はこの絵が、すごくいいと思う!」
「じゃあ、この絵で決まりね」
その絵は大人をイメージさせる、首元にリボンがついた、黒のワンピースのパーティドレスのような服の絵だった。
「じゃあ、僕は曲のレコーディングの練習を頑張るから、美樹ちゃんは時折歌を練習しながら、服を作ろう! 今日はここまでかな」
「うん。わたしもちょっと服の素材生地を買ってくる」
そして、その後、一平は家に帰り、遅い時間になるまで家で練習。美樹は素材の生地を店で購入し、家に戻った。
そして、6月4日は終わった。
6月5日。
学校の終わったあとの放課後。
とあるカラオケボックスで。
城ヶ崎翼は一人でカラオケを歌っていた。
カラオケに来ていた、目的は、今度のミスコンの課題曲である『恋愛探査機』というJ-POPの歌の練習をするためだった。恋愛探査機という曲は、明るいノリとテンポのいい曲でいかに、リズムを上手くとり、難しい高音の部分を上手に歌えるかというところがポイントであった。
何度も何度も課題曲をかけ、歌の練習をする。その都度機械での得点が表示され、
「うん、これなら大丈夫! 絶対潔癖ちゃんに勝てる!」
そんなことを呟く。
その後もカラオケのスクリーンに映し出されるCM画面を見て、一人呟く。
「わたしが、この学園のナンバーワンになるんだから! まぁ何でも、聞く噂によると、自由曲は自分らが勝手に作った曲で、自己PRは自作の服を着るとかってきいたけど。でも、無駄なことね……そんな努力も……」
不敵な笑みを浮かべる翼。何か大きな秘策があるのか、勝算があるといった表情になる。そこで、翼がテーブルの上のジュースを飲んでから、部屋を出て、トイレへと向かう。翼が通路を歩く、通路の角を曲がろうとしたとき、
「!」
何かにぶつかった。男性だ。ぶつかった男性は、ぶつかった拍子で、バランスを崩し、その男性が、翼の豊満な胸に顔をうずめる。
「いやんっ!」
翼が顔を赤らめ、いやらしい声をあげる。男性は、態勢を立て直し、翼の方を見て、言ってくる。
「大丈夫ですか!? って!? え!? 城ヶ崎さん!?」
男性は、翼の事を知っていた。
ぎざぎざ頭の黒髪に、少し長めのモミアゲがトレードマーク。
「末永くんっ!」
ぶつかった相手は、一平だった。
「ごめんなさい、ぶつかっちゃって」
「末永くん翼のこの豊満なおっぱいに顔を埋めてくるなんて……ス・ケ・べ!」
「本当ごめんなさい!」
必死に謝る一平。
「まぁいいわ、ところで、一人で来たの?」
「いや、美樹ちゃんと来た。課題曲練習しに」
「そうなんだ。どう? 潔癖ちゃんの調子は?」
翼は聞いてくるが、一平が渋い表情になって、
「うーん、ちょっと厳しいかな……」
「わたしは、絶好調よ! 末永くん、翼がナンバーワンに絶対なるから、そのときは、あの約束覚えてるわよね!?」
「それ、承諾した覚えはないんだけどなぁ……」
一平が頭をかきながら、小声で言う。
「まぁ、とにかく、そっちはそっちでせいぜい頑張るのね」
言って、翼はトイレへと向かって行った。
一平は部屋へ戻り、部屋には美樹が椅子に座っていた。美樹が言う。
「おかえり」
「ただいま。さっき城ヶ崎さんがいた、あっちは課題曲絶好調だって」
「そう……」
「じゃ! 練習再開しよっか!」
一平が言って、恋愛探査機の曲をかける。美樹がマイクを手に取る。やはり手にはゴム手袋を着用していて、歌い始める。
「~~~~♪~~~~♪」
伴奏が流れ始める。
美樹は、歌う。
「恋に~恋♪ しちゃ~あ~ったよ♪」
やはり、苦い顔になる一平。正直言いづらい表現だが、一平が感じていた美樹の歌声は、世間一般的に、『音痴』というやつのようだ。機械が音程を正確に測定し、点数をつけるので、この美樹のはずれた音程では、高い点数は出ないと一平はわかっていた。
「君の~♪ 瞳を~♪ ずっと見ていたい~♪」
歌が終わる。
点数がスクリーン画面に表示される。
『45点』
「末永くん。これって、点数的にどうなの?」
きかれ、困惑するが、
「うーん高い点数ではないかもしれないけど、赤点ではないから、そんなに低くもないと思うっ!」
気を使って、そんなことを言うが、もっと厳しく練習しないと、この点数では、おそらく勝負にならない、と一平は思った。
(どうしたらいいんだ……)
「!」
とそこで、一平があらたな戦略を思いつく。
この曲は正直、美樹の声質にとっては、歌いずらい。機械得点では高い点数を目指すのは困難である。でも、課題曲は機械得点と会場得点がある。
(だったら……)
「美樹ちゃん! 悪いけど、もっと音痴に、わざと下手な感じで歌っていいよ! 音程とか機械の点数とか全然気にしなくていいから」
「え!? どうして!?」
「いいから、やってみて!」
言われ、その後も一平と美樹の特訓は続いた。
2020年6月7日日曜日。
ミスコンの前日。
今日は、日曜の休日。
昨日の土曜日も休日で、一平はレコーディングの練習、美樹は歌の練習と服の製作を一日中取り組んでいた。
一平のレコーディングは難航を極めていた。
ギターも元々それほど上手ではなかったし、中学1年生の頃にギターを買い、それから三年間暇な時少し手にとって、ギターを嗜む程度だった。
本来ならもう、土曜日までにレコーディングをすませ、本番さながらで、自由曲を練習させたかったのだが、前日の今日になっても、いまだにレコーディングが済んでいない。レコーディングを開始しても、最後までミスなく、弾ききることが出来なかったのである。
そして、今日も、
「くっそっ! また失敗だ……」
一平が言う。悔しい表情で、録音を止める。
「あーあ、上手くいかねぇ……っていうか、左指痛ぇ……」
ギターの弦を抑える左の指が、やはり痛いようだ。ギターの演奏になれていない初心者の一平はやはり、こうしてすぐ指を痛めてしまう。
裁縫で服を作製していた、美樹が手を止め、言う。こちらの服はもう完成目前のようだ。今日中には完成しそうな様子だった。
「少し、休んだら?」
美樹が一平を気遣って言うが、
「いや……もう時間がないし、今日中に終わらなかったら、もう間に合わない。美樹ちゃんには、今日まで、自由曲はずっとアカペラで練習させちゃってるの、本当に申し訳ない……」
「べつに、本番アカペラでも大丈夫だよ」
「それは、だめだよ……しっかりCD音源流さないと……だから、もうちょっと頑張ってみる……」
「そっか……」
言って、一平はレコーディングを再開する。途中のまで、上手くいったり、出だしですぐ躓いたり、それをずっと繰り返し。
「だめだ……もう今日中には間に合わないかも……」
午後8時。外はもうすっかり暗くなっていた。
一平はそろそろ帰らないと、まずいと思っていたが、
「レコーディング上手くいくまで、やってていいよ。別に泊まっていってもいいし……それに、少し失敗してもかまわないし……」
美樹のその言葉に、一平は悩みながら、
「うーん……本当に今日中に出来るか分かんないしなぁ……本当の本当の本当に申し訳ないけど、今日中に出来なかったら、ちょっと日付跨いじゃうかもしれない……でも、上手く行って完成したらすぐ帰るから……」
一平が、言うが、
「わかった。日付跨ぐぐらいになっちゃったら、ここで寝てってもいいからね」
美樹が言う。
「いや、それは悪いよ。寝るわけにはいかないよ、まぁ、とりあえず、日付跨ぐ前に頑張る!」
言って、再びレコーディングを開始する。
ギターを弾く、上手くいかない。
指が痛い。
やり直し。
出だしで躓く。
やり直し。
中盤で失敗し躓く。
やり直し。
何度も、何度も、繰り返し演奏するが、なかなか最後まで、うまくいかない。
一時間。
二時間。
三時間。
刻一刻と時間は過ぎていく。
時計の針は23時。
「やっぱり駄目だ……こころ折れそう……」
何度も引こうとするが、指が上手く動かない。どこかでミスをしてしまう。美樹のためにと思って頑張って弾こうとするが、全然上手くいかない。
「やっぱり……おれ……駄目なのかな……このままだと、美樹ちゃんに迷惑かけちゃう……自由曲は……やっぱり……」
今から、曲を変えるという選択肢もあった。
それが頭をよぎった。
すると美樹が、
「今からでも、音源ある他の自由曲にする?」
美樹が一平のことを気遣って、聞いてくるが、一平はこれではだめだと、首を横に振りながら、
「せっかく美樹ちゃんと二人で作った曲なんだ。なんとか頑張る……その前に、ちょっと、外の空気吸ってくる……」
「うん……わかった……」
言って、一平は玄関で靴を履き、外へと出る。
外の空気を吸った。
外は、もう真っ暗で、月がくっきりと見えた。
「くっそぉ……どうして、うまくいかないんだ……どうしてなんだよ……」
一平は自分を責めた。一生懸命自分はやっている。でも、指がうまく動かない。痛みもあるし、弾けば弾くほど、逆に下手になっているんではないかとも思う。じっと自分の手を見る。その左手の指を。弦を抑える指だ。その指は少し赤くなっていて、堅くなりはじめていた。自分のやってきた努力の痛み。
「結局どれだけ頑張っても、上手くいかない……もう……でも……」
そう言って、折れそうになった気持ちをなんとか、持ちこたえようとする。
ミスコンで翼の優勝を阻まないととか。もし翼が優勝したら、付き合わないといけないとか。そんなことがかかっていることなどは、今は頭になかった。手紙の事も。とにかく、自分が戦っている演奏。それを頑張って、決着をつけないといけない。
「だれか……俺に……」
そう言いかけたところで、急に耳鳴りがした。
幻怪病のとき聞こえる耳鳴りだ。
その耳鳴りが、どんどん大きくなっていく
「痛!」
苦悶の表情になる。
すると、すっと耳鳴りがやみ今度は、声が聞こえる。
しかし、それはこの前聞いた甲高い子供の声ではなく。
女の子の声。
その声が一平に話しかけてくる。
「大丈夫?」
その声は、聞き覚えある声だった。
可愛い聞き覚えある声。
これは、懐かしいあの声だ。
「え……沙織?」
「お兄ちゃん……」
5年前行方不明になった、沙織の声だった。その声が聞こえる方に目をやると、そこにはうっすらとだが、沙織の姿が見えた。しかし、足元がよく見えない。人間としての実体がそこにあるようには見えないし、やはり虚像なのか、幻覚なのか、一平はその姿を半信半疑で凝視した。
「沙織……沙織なのか? どこにいたんだ? なにしてたんだ?」
「お兄ちゃん……ずっと見てたよ……頑張ってるんだね。あの子のために……」
「それは……」
そのことも重要だったが、一平は五年ぶりに目にした、沙織の姿に、驚きと震えが止まらなかった。
「お兄ちゃん……いつも優しいね。なんだかんだ、言ってあの子のために、頑張ってるんだから……わたしはもう、お兄ちゃんには会えないけど……お兄ちゃんこっちの世界で、諦めないで頑張ってね……」
沙織が悲しい表情で言う。
「沙織もう会えないってどういうことだよ。今どこにいるんだ。今どこでなにしてるんだ」
「わたしのことは、もういいの、お兄ちゃん。今は、自分のことを一生懸命頑張って。あと、力いれすぎるのもよくないよ。確かに、もう時間残りわずかだけど、もうちょっと、肩の力抜いて、やってみたら?」
沙織がそんなアドバイスをしてくる。
「あ……ああ……」
そう一平が、困惑気味に返事をすると、
「じゃ、お兄ちゃん。また、いつ会えるかわからないけど、わたし……待ってるね! 頑張って!」
そう笑顔で言いながら、沙織は、すぅーっとその場から姿を消した。
一平は、部屋に戻った。
美樹が一生懸命に服作りの作業をしている。
「よし、もういっちょ頑張ってみます!」
さきほどの沙織の幻覚のことは言わず、美樹に言う。
ギターを手に取る。
ふーっと、息を吸い深呼吸。
録音のボタンを押した。
さっきのまでの演奏とは違い、今度は気負いしすぎることなく、演奏を始めた。
肩の力を抜いて、軽やかに動く指さき。
音と音との旋律を危なげなく、指さきで紡いでいく。
その演奏に、美樹は圧倒される。
さっきとまでとは違う。
曲そのものを自分で感じながら、それを上手くギターで体現している。
演奏が中盤を終え、終盤に。
最後の終盤も、ミスなくこなし。
ノーミスで、演奏終了。
その場で、喜びの声をあげそうになるが、それはぐっとこらえ、録音停止ボタンを押す。
そして、無事レコーディングが完了する。
「やったああああああああああああ、出来た!!!!!」
思わず、喜びの声をあげる一平。
それに、美樹も、
「わたしも出来た!」
嬉しそうな声色で、それもちょっと嬉しそうな表情が見える美樹。
服もどうやら完成したようだ。
「けっこう時間かかったけど、頑張ったね! 僕達」
時計の針は、もう24時を回っていた。
「ちょっと、今、試しに着てみてよ」
「うん」
一平が言うと、美樹がその場でいきなり、服を脱ごうとし始める。
「ちょっちょっと、どこか、見えないところで着替えるとかしなよ」
「あ……」
「まぁ、俺が、あっち向いてるわ」
言って、一平が美樹の方を向かないで、目をつぶる。
何秒かたって。
「着替えたよ」
美樹がいい、振り返る。
「お……可愛い……」
一平は、驚きの声以上に、その可愛らしさになかなか言葉でない。
絵に描いていたイメージ通り、可愛らしいそれでいて、大人の雰囲気を感じさせる黒のワンピース姿。
「いいね……似合ってるよ」
一平の言葉に美樹が、
「ありがとう」
少し、明るめの声色で答える。
「本当美樹ちゃん雰囲気変わったよね。服装だけじゃなく、なんか表情もそうだし、前よりすごく明るくなったというか……うん、いい方向に進んでると思う」
一平が会った当初の美樹は、もっと、暗かったし、まず表情がほとんどなかった。今は、少し顔にも表情の変化が見える。嬉しい顔。楽しい顔。その一つ一つの表情を見るのが一平にとって、新鮮で嬉しい気持ちにさせた。
「末永くんのおかげだと、思う」
「そうでも、ないよ。美樹ちゃん自身が美樹ちゃん自身で、変わろうとしたからだよ」
言って、日付が跨いだので、美樹がカレンダーを捲り破り、そのカレンダー6月8日を見て、一平が言う。
「いよいよ、今日だね。あと数時間後、結果はどうなるかわからないけど、頑張ってね!」
とそこで、一平は時計の針を見る。
「もう、こんな時間になっちゃった……今日は、もう遅いから、帰るね!」
「ちょっと、休んでから帰りなよ、そこに座って、疲れてるでしょ」
「まぁ、ちょっとだけ休んだら帰るわ」
言って、一平が座布団に座る。
美樹も、その場の座布団に座る。
「美樹ちゃん、このままいくと、僕達、どうなっちゃうんだろうね……」
一平がきりだす。
「手紙の事?」
「うん……全然最近そういうことも考えずに、行動してたけど、このミスコンが終わったら、美樹ちゃんに距離置かないといけないと思う。さすがに近づきすぎというか、このままじゃあ、やっぱり良くないと思う」
その言葉に、少し悲しげな表情で美樹が返す。
「わたしの思いは……」
といいかけたところで、言葉を止める。
言いかけたところで、一平が、
「思いは……?」
興味があり気な顔で一平が聞いてくる。
「末永くんの事好きになって、末永くんに死んでもらうって、確かに言ったけど、今の正直な自分の気持ち……末永くんが好きかどうかまでは、わからないけど、なんだか、末永くんには死んでもらいたくない……ってやっぱり思うかな」
美樹がそんなことを言う。
当初の気持ちとは、違うこころの変化である。
「美樹ちゃんは、死んだら駄目だよ」
「末永くんも、死んでほしくない」
お互いそんなことを言う。
目を見つめあって、自分達の気持ちを言う。
すると、突然一平がそうだとおもいついた表情で、
「そういえば、美樹ちゃん。自己PRって何するの?」
「それは……」
と言いかけたところで、言葉を止め、
「内緒!」
ここもやはり、少し微笑みかげんで言う美樹。
「そっか……内緒か……楽しみにしてるね!」
「うん」
美樹が返事をすると、そこで、会話はとまった。
沈黙が流れる。
もう夜の1時前の時間。
体力はけっこう疲れており、一平は気がつくと、眠りについてしまっていた。
さきに寝てしまった、一平を美樹がその寝顔をじーっと眺めて、
「かわいい寝顔してるね……」
そんなことを、小さな声で呟く。
そして、ついついその可愛い寝顔を、部屋にあった白い紙に、描き写しだす。
鉛筆を走らせる美樹。
美樹はやはり、絵は上手い。
歌は、下手かもしれないが、絵はすごく上手である。
「出来た……可愛い」
なんてことを言いながら、仕上がった紙を見て、嬉しい表情になる美樹。
「あ、そうだ……」
言って、美樹は、台所までむかった。
その後、美樹がなにやら、台所で作業し、作業が終わるなり、再びリビングへ戻り、なにやらメモ書きを残し、美樹も眠りについた。
時間が流れる。
朝。
外の小鳥の鳴き声や、カーテンの隙間から差し込む光。
そんななか、一平が目を覚ました。
「げ……! 寝てた! やっば! 美樹ちゃんの家で寝ちゃった……ってかいま何時?」
言いながら、時計の針を見る。
午前6時30分。
「遅刻する時間では、ないか……ん!?」
一平は、目の前のテーブルの上にあった、メモ書きと、絵に気づいた。
絵には、自分の寝顔が描かれていて、それを見て一平は、
「これ、いつ描いたんだろう……美樹ちゃんやっぱ絵うまいなぁ……僕こんな表情で寝てたんだ……ん!?」
言って、メモ書きを手に取る。
メモ書きはこう書かれていた。
「昨日は、いろいろ頑張ってくれてありがとう。朝ごはん作ってあるから、台所に置いてある。温めて食べて」
それを、読んで台所へ向かった。
台所のテーブルの上には、ラップがかけられた、お皿があった。
そのお皿の中を覗くと、
「カレーライス! 美味しそう!」
テンションが上がる一平。
その後、カレーライスを温め、食べてみると……
「美味しい! ありがとね……美樹ちゃん……」
言って、リビングの方で寝ている美樹に視線をやり、その寝顔に、
「美樹ちゃんの寝顔可愛いなぁ……今日は、頑張れ!」
そんなことを小さく呟いた。