中編
アブシュパの国 中編
戦をすると決めてからのアブシュール七世の動きは早かった。黒騎士を撃った魔道具を大量に増産し、また他にも新たな魔道具を幾つも作った。それらの時間を稼ぐために、生き残りの使者に偽の文を書かせ帝国へ送った。アブシュパで稼ぎながらも質素倹約を常としていたアブシュパーニャの国庫は、潤沢だった。また東の塔で虐殺された恨みもあり、民衆もよく動いた。
1週間ほどで準備は整い、アブシュール七世は正式に帝国へ宣戦布告した。先日の奇襲を非難し、卑怯で悪辣なるドレギア帝国を滅するまで戦うと、正義は我にありと全世界へ公言したのだ。
「陛下、あれでよかったんでしょうか。きっと皇帝めっちゃ怒ってますよ」
ブランツが心配そうに言った。
「初代様の定めた教えにも背いてるんじゃ……」
「ブランツ、今さらぐじぐじ言うでない。ムカつく使者をぶちのめした時は、あんなに喜んでおったではないか」
「あの時はほら、アイツ最低でしたし。いつもやる気ない陛下が凛々しく見えて嬉しかったですし」
「今も凛々しいじゃろうが」
「いえ、今は新しい魔道具を使いたいだけのように見えます」
「そんなわけあるか!そんなわけ……」
「王様、お薬の時間。飲め飲め早く飲め。死なないようにたっぷり飲め」
「エリナ、無理矢理口に入れるのはやめてくれ」
3人がそんなやり取りをしていると、伝来の兵士がテントに駆け込んできた。ここは、戦の前線、帝国との国境線に急遽作られた陣営本部である。
「報告します。密偵からの情報通り、帝国軍10,000がこちらへ向かっています。騎馬隊2,000歩兵8,000」
「ふむ、来たか」
「い、一万ですよ陛下!こちらは500、えっと、何倍ですか?」
「20倍じゃよ。まぁ想定内じゃな」
「本当ですか?勝てるんですか?」
「まぁ見ておけ。エリナ」
王が手を出すと、音もなく近寄ってきたメイドが望遠鏡を渡した。
「ふむ。前線は歩兵ばかりじゃな。あれでいくか」
アブシュール七世が、側の伝令へ何やら耳打ちする。伝令は手に持った紅白の旗を振り、合図を送った。各所で法螺貝が鳴り響き、旗が振られる。
「陛下、今のは?」
軍事面に疎い執事が問うと、王は悪戯好きな子供のような笑顔で答えた。
「新魔道具その2じゃ」
パヒューン パーン パーン
打ち上げ花火のような音に続いて乾いた炸裂音が鳴り響いた。丘に陣取ったアブシュールの軍勢から何かが発射されたのを、帝国軍は見た。
次の瞬間、天を埋め尽くすほどの勢いで夥しい数の何かが上空から帝国軍に降り注いだ。
最初に浴びたものは、雨だと思った。勢いの強い通り雨のようだと。しかしそれは、肌に触れても弾けることなく貫き突き抜けた。開いた手のひらを突き抜けて足に刺さるそれは、雨粒ほどに細く鋭利な針だった。兵たちの体を突き抜け地面に刺さってから溶けゆく様は、それが氷でできていることを示していた。しかし地面に刺さった後まで見届けられる者などなく、全身を頭の上から無数の針に串刺しにされて皆死んでいった。土砂降りの雨の勢いで、鎧すら貫く氷の針が降り注ぐ、新しい地獄絵図が描かれていた。
「へ、陛下。あれは一体」
「氷雨という魔道具だ」
「あれも、陛下が?」
「うむ、農耕用の雨降らしと氷結を組み合わせてみた」
それこそ新しい農具の出来を試すかの如く飄々とした様子に、ブランツは我が身も凍る気がした。
「やはり範囲は狭いか。2,000というところだな」
望遠鏡を覗きながら敵の被害を見積もる。その望遠鏡だって、ブランツが知るものとは少し作りが異なっている。第一普通の望遠鏡であれば、こんな遠くから全容を測るほど見えるわけがない。仕える王の底が知れず、ブランツは本日何度目かの身震いをした。
「次はあっちでいくか。おい」
また伝令へと耳打ちする。旗が振られ法螺貝が鳴り、今度は派手な音楽が奏でられ始めた。楽器はないから、蓄音機のような魔道具なのだろう。
「よしよし、ブランツも見てみるか。なかなか見ものじゃぞ」
渡された望遠鏡を覗くと、思っていた以上に近く鮮明に敵陣の様子が見てとれた。まるですぐ目の前の出来事で、手を伸ばせば触れられる気さえする。敵兵の息遣いさえ聞こえてくるようだ。
帝国の兵たちは、お互いで戦い殺し合っていた。全員が目を血走らせ、仇をうつ勢いで仲間同士斬り合っている。
「これは、なんとしたことか」
「自分以外が敵に思える魔法よ。正確には認識阻害と生存本能の刺激、凶暴性の増幅とを同時にやっておる」
「音楽は私めにも聞こえておりますが、我が軍の兵は大丈夫なのですか」
「ああ、あの音楽はただの飾りじゃ。気分、気分。ちゃんと指向性を持って敵にだけ影響するよう調整しておるわい」
「気分ですか……」
音楽は段々と盛り上がり、それに合わせて敵の同士討ちも凄惨なものとなっていく。これが、ただの飾りとは。
「そろそろ良いか」
今度は国王陛下自らが、旗を振る。今度は法螺貝は鳴らず、幾人かが走り出し遠くで狼煙が上がった。
それと同時に、伝令がやってきて新たな戦況を伝える。
「報告します。帝国軍は、第二陣が出た模様。その数5,000。重武装騎兵と、魔象も5頭います」
「魔象だと!?帝国はそんなものまで」
伝令が口にしブランツが驚いた魔象とは、読んで字の如く魔物の象である。体は普通の象の倍くらいあり、強靭な皮膚と鋭い牙、凶暴な気性で戦場を蹂躙する恐るべき生物兵器である。特に厄介なのは、火球の魔法を使ってくることだ。長い鼻から魔法を生み出し、炎の球を飛ばしてくる。そのくせ魔法耐性は強く、物理攻撃も通りにくい。一頭で騎士団一つに匹敵するとも言われている。それが5頭。帝国の本気度が窺える。
「王家のアブシュパ、出ます」
新兵だろうか、緊張に声を振わせながら報告する。
「なに!?王家のアブシュパだと!?」
ブランツが声を荒げ、新兵はさらに硬直する。
「これブランツ、そんなに興奮するでない。兵が困っておるではないか。良いぞ、下がれ」
「はっ」
新兵が下がったのを見届けてから、ブランツがアブシュール七世に詰め寄る。
「陛下!王家のアブシュパは、秘宝ですぞ!王宮の外に連れ出すなど、禁忌です」
「ああ、言ってなかったか。我が家には秘密の伝承があってな。国が滅ぶほどの難事には、攻めても良いし王家のアブシュパを連れ出しても良いとなっておる。ほれ、初代様の署名入りの巻物もあるぞ。ほれほれ」
アブシュール七世が懐から巻物を出して開いて見せる。まさしくそこには今言った内容が書かれていた。
「なんと」
執事は絶句して言葉に詰まった。
「し、しかし、王家のアブシュパを戦に連れ出してどうするのです。アブシュパは温厚な生き物。戦えるわけもない」
「それがな、戦えるんじゃよ」
「まことですか」
「まぁ、見ておれ。驚くぞ」
アブシュール七世は、口の中で何やら魔法のような文言をぶつぶつと呟いた。すると、本陣のすぐ側に連れ出されたアブシュパの体が青色に光り、それから黄色赤色と虹色に変化しながら光り続けどんどんと大きくなっていった。やがて光は城ほどの大きさまで広がり、眩しさが収まった後には巨大な怪物の姿があった。顔や手足は正しく伝説の竜。ただ体は甲羅に覆われ、アブシュパと同じ芸術的な色彩に彩られている。アブシュパーニャの城ほどの大きさで、アブシュパの甲羅を纏った竜。甲羅の背中からは羽根も生えている。
「アブシュパーニャの守り神よ、この国を、守りたまえ」
国王アブシュール七世が叫ぶと、竜は咆哮で答えた。そして飛び立ち、帝国軍の方へと向かっていった。
そこからは戦ではなく、蹂躙だった。まず竜が戦場に着いた時点で、魔象は戦意を失い暴れながら逃げ去った。何とか押しとどめようとした魔象使いたちは、あっけなく象に踏まれ息絶えた。果敢にも竜に挑んだ兵たちは、皆竜のブレスで灰燼に帰した。歩兵も騎士も分け隔てなく、一瞬で炭と化した。本陣の旗印があった区域も瞬く間に焼かれ、大将が誰であったかすらわからずじまいであった。
かくしてドレギア帝国は歴史上類を見ないほどの惨敗をして、アブシュパーニャは兵に1人の損失を出すこともなく初戦を終えたのであった。