前編
その国は大陸の西の端にあった。吹けば飛ぶような小さい国で、体が弱く小柄な王がいた。唯一の特産品である希少種のモンスターの肉や卵を輸出することで財政は成り立っていた。それは世界中でその国の中央にあるダンジョンの跡地にしか発生しないモンスターで、足が8本ある陸亀のような姿をしていた。丸く膨らんだ甲羅には色とりどりの美しい紋様があり、自然が生んだ至高の芸術品と呼ばれ加工されたり、もしくはそのままの形で高値で取引されていた。脂身の多い肉はとろけるほどに甘く、高級レストランでメインディッシュになった。ピンポン玉ほどの卵は生で食されることが多く、味も良いが栄養満点で食べれば寿命が伸びるとさえ言われていた。
過去に何人もの商人や畜産家が他の地で養殖することに挑戦したが、生息地から離すと1時間ともたずに死に、また生息地の外で死んだ個体はとてつもない腐臭がして売り物にならなかった。生息地はその国の領土とピッタリ一緒だった。というよりも、そのモンスターを中心に国が生まれ、その生存できる範囲に国境線ができたという方が正しい。国境線が、モンスターの生死を分つラインでもあった。そのラインを超えた地で死んだら何故腐臭がするのかという謎は、何かの呪いではないかという説が濃厚であるが、今に至るまで解明されてはいない。
国が管理し販売するこのモンスターの名は、アブシュパといった。アブシュパが唯一の特産品で財源だった為、その国の名はアブシュパーニャといった。そして温厚だがあまり人に懐かないアブシュパに気に入られた一族、それが王となり現在まで続く王族となった。現王の名はアブシュール七世。この国の王は代々アブシュパと心通わせながらその名と地位を継いでいる。
「嫌じゃ!わしはモンスターは好かぬ!」
「そう仰いまするな陛下。これはお勤め、さだめにて。やってもらわねば困ります」
「嫌なものは嫌じゃ。何故わしがあのような亀の世話をせねばならぬ。世話係がおるではないか!」
「世話係には、アブシュパの心はわかりませぬ。偉大なる初代様の血を引く陛下にしか、できぬことでございます」
「わしだって心などわからぬわい!亀じゃぞ。足が8本もあるのじゃぞ。化け物ではないか」
「化け物ではなく、モンスターですな」
「一緒じゃわい」
「モンスターです。そして我が国の、宝です」
「あんな滑稽な宝などあるか」
「陛下が今お召しになっている服も、朝昼晩召し上がる食物も、はたまた陛下の大好きな魔道具だってアブシュパを育て売った金で買うておるのです。陛下が化け物と呼びたければ呼ぶが良いですが、アブシュパがおらねばこの国は滅びますぞ」
老齢の執事の言葉に、小柄な王は黙り込んでしまった。このやりとりも、すでに数えきれないほど2人の間で繰り返されてきた。嫌がる王と、なだめる執事。いつも決まって王が黙り込んで終わる。
だがこの時は、今までと様子が違った。
「要はアブシュパがいなくても金が稼げれば良いのじゃろう」
思惑ありげな様子に、執事は驚いていた。この軟弱な王が、こんな意地の悪い笑みを浮かべたところを見るのは初めてだったからだ。
「わしに考えがあるのじゃ。これを見よ、ブランツ」
ブランツと呼ばれた老いた執事は、アブシュール七世が机の上に広げた紙を見ても全く何事かわからなかった。
「陛下、申し訳ございませぬ。これは一体?」
「わからぬか。まぁ無理もない。これはのブランツ、魔道具の図面じゃ」
「魔道具?で、ござりますか」
「そうじゃ。わしが魔道具を収集しておるのは知っておるじゃろう。機構を調べ、新たに考案したのじゃ」
ブランツはまたまた驚いた。アブシュール七世は幼い頃より魔道具が好きで、誕生日も成人の儀でも王位戴冠の時でさえ、ねだるのは魔道具ばかりであった。しかし集めて遊ぶのが好きだろうくらいに思っていたブランツは気にするでもなく、ましてや新しい魔道具を開発しているなど思いもよらなかった。
「へ、陛下が設計されたのでございますか?」
「そうじゃ。ここが魔力中枢で、こちらに魔法陣を描く。作用点と力点の間にもう一つ支点となる魔石を埋め込むことで、威力は数倍に跳ね上がるはずじゃ」
アブシュール七世はさも当たり前のように話しているが、ブランツには何のことだかさっぱりわからない。急に国王陛下が遠い異国の人間のように思えてきた。
「そ、それで、これは一体何に使う魔道具なのですか」
「ん?見ればわかるじゃろう。これがお菓子作りの道具に見えるのか。兵器じゃよ。戦に使うものじゃ」
簡単にそう言う国王陛下に、ブランツは恐怖を感じた。5年前、アブシュール七世がまだ即位する前のこと。アブシュパと心を繋ぐ秘密を暴こうと王室に侵入した賊と先代国王アブシュール六世が互いに腹を刀で串刺しにし合って絶命しているのを見た時、15歳のアブシュール七世は笑いながら失禁していた。父王の死と自分も死んでいたかもしれないという恐れのためだと思われたが、天を突き抜けるような笑い声にブランツはアブシュール七世の狂気を感じていた。そして今また、人を殺す兵器を開発し嬉しそうにする姿に、あの時の自分の直感は間違っていなかったのだと確信していた。このお人は、人として大切な何かのパーツが欠けているのかもしれない、そう考えていた。
「ブランツ、わしはこれを売るぞ」
アブシュール七世の言葉に、ブランツは我に返った。
「陛下!恐れながら、兵器を売るのは我がアブシュパーニャの国義に反しまする。初代が定め歴代の王が守ってこられた、決して攻めるなかれの主義に背くものでございます」
「ブランツ何を言う。誰が攻めると言うた。わしは売るだけじゃ。それをどう使うかなど知らぬ」
「陛下、それは方便にございまする。我が国が売った兵器で他国が戦争を始め人を殺めれば、それは我が国が殺めたも同じにございまする」
「はっはっは。呆けたかブランツ。それは全く別物ぞ。ナイフ一つで人は殺せるが、ナイフ売りが罪に問われたことはなかろうが」
「それは、目的が違いますゆえ」
「説明が足りなんだかの。わしが作って売るのは、お菓子を作る道具じゃ。決して人殺しの道具などではないぞよ」
どこからどう見ても人殺しの道具なのだが、アブシュール七世はお菓子を作る道具だと言い張った。
「先程何に使う魔道具かと尋ねたら、陛下自身が兵器と仰って……」
何かのネジが飛んできて頭に当たった。
「痛っ。陛下ひどい」
「わしは知らぬぞ。この辺は天気がよく乱れるらしい。気をつけよ」
「いやいや、曇り時々ネジ、なんて天気はないですよ」
その時、メイドが謁見の間に入ってきた。
「王様、薬の時間です。早く飲んでください。っていうか早く飲んでください」
「またエリナか。そう急かすな。飲む飲む。飲めばいいんじゃろ」
「馬鹿ですか王様は。飲めばいいってもんじゃないです。飲んで治すんです」
「わしは病気などないぞ。何を治すんじゃ」
「顔?」
「え?」
「医師によれば内臓に負担がかかっていて危険な状態。何もしなければ王さまは死ぬ。医師曰く、余命3ヶ月」
現王アブシュール七世は生まれつき身体が弱く、生後半年で風邪を引き死にかけた。この時は聖母である王妃とメイドが朝方まで交代で看病し、回復魔法が使えた乳母が魔力尽きるまでかけ続けて何とか命を長らえたのだった。その王妃様は、昨年山へ薬草採取に赴き、熊型のモンスターに襲われて亡くなった。供の者の中には護衛騎士も2名いたが、皆一撃で屠られた。戦をしたことのないアブシュパーニャの騎士は非常に弱かったのである。
「……なに?今なんと申した?」
「やっぱり馬鹿ですか王様は。内臓ボロボロであと3ヶ月の命だって言ったんですよコノヤロー」
「ふん、また嘘をついてわしを怖がらせ、言うことを聞かせるつもりじゃろう。その手には乗らんて」
言いながらアブシュール七世はブランツの顔を見た。いつもであれば、鼻の穴を膨らませてエレナの嘘に乗っかって喋り出すところである。だが、その日は違った。床を見つめて困った顔でモジモジしている。
「なに、本当、だ、と」
「いえ、陛下。それはその、エレナの嘘でして。陛下は元気、健康、内臓もピッカピカのプッルプルですぞ」
「ブランツ、めちゃくちゃ汗をかいておるぞ……」
「は?ははは、今日は暑いですなぁ」
「冬じゃぞ。しかも暖房ケチっておるから城中が冷えておる」
代々王家に仕える老齢の執事は、発する言葉なく沈鬱な表情で天を仰いだ。その姿にアブシュール七世は真実を悟った。
「なんと、わしは3ヶ月の命なのか。内臓の病で死ぬのか」
「王様、それは何もしなければだとさっき私が言った。理解しないのは馬鹿。馬鹿に付ける薬はないです」
「そう馬鹿馬鹿言うなてエリナ。つまり、その薬をちゃんと飲んでいれば治るのか?」
エリナが持つ盆に乗っているのは、国内で採れる薬草から作った丸薬である。風邪でも腹痛でも大体これで治る。この国の人間なら子供の頃から慣れ親しんだものだ。
「治るかもしれなし、治らないかもしれない。医師にもわからないと言った。でも飲まないと確実に治らない。だから飲むのです。早く飲むのです」
「なんと、他に治す手はないのか。いや、主治医のアカヒーは名医じゃ。治療の術があればやっておるじゃろう。つまりこの薬を飲む以外に道はないのか」
「やっと理解したのですか王様。では、飲むのです」
水色の髪をツインテールに束ねた無表情のメイドは、玉座に近寄ると強引に王の口を開かせ丸薬をねじ込んだ。
「待て、の、飲む。自分で飲める」
抗うも力で勝てず、盆の上の薬を全て飲まされた。
「はぁ、はぁ。お前病人になんてことをするんじゃ。しかも国王じゃぞわしは」
「関係ない。私は私の仕事をする」
エレナは一礼すると空になった盆とコップを持って下がっていった。
「ふぅ、さてブランツよ」
「は、はい!陛下」
「そんなに驚かんでもよい。それより今後の話じゃ。わしには子がない。だが幸い弟のアブシュタットには優秀な子が二人もおる。後継は甥にする。長男のアブシュタリアンをアブシュール八世とし次の国王とする」
突然の後継者決定であったが、以前から皆が噂していた通りだったので驚きはなかった。
「かしこまりました。そのように取り計います
」
「アブシュタットにはわしから話す。国民には来月公表する。準備せよ」
「はは」
その時、大きな足音を立てて王の間に駆け込んで来るものがいた。
「緊急!緊急!」
「何事じゃ。王の御前であるぞ」
ブランツが嗜めるも、息を上がらせて走り込んだ部下は怯まず膝まずいて口上を述べた。
「東の塔より伝令あり。隣のドレギア帝国から奇襲を受けた模様。アブシュタット様討ち死に。ご家族も皆誅されたとの事です。帝国軍は約5,000名」
「なにっ!?」
王も執事も、あまりの驚きに二の句を継げなかった。まさしく今跡取りにせんと話していた者どもが、揃って殺されたと言うのである。
「アブシュタリアンも、アブシュミカも死んだのか」
「はい。帝国兵は突然現れると一斉に弓を放ち道を開け、塔の近くの居住区を占領したそうです。王弟陛下も守備隊を率いて奮戦されていたのですが、居住区のご家族を人質に取られ動けずにいるところを騎馬隊に。ご子息のアブシュタリアン様とご息女のアブシュミカ様も、アブシュタット様の後に首を」
報告する兵士が歯噛みする音が聞こえた。悔しさに唇を噛み締め血を流している。
「それで、帝国兵はどうした」
「それが、一帯を虐殺し終えると塔には留まらず引き上げました。」
「なに?引き上げたのか。わざわざ塔を奪っておいて」
「そうです陛下」
アブシュール七世は顎に手を当てて考えていた。弟家族のことはショックでハラワタが煮え繰り返るほど憎しみが湧いてくるが、王として感情的になるわけにはいかない。
「ブランツ、どう見る」
「恐れながら、これは脅しかと。かの帝国は以前よりアブシュパを求めて我が国に属国になれと申してきております。言うことを聞かねばどうなるか脅迫してきているのでしょう」
「脅しならば、子供らを殺す必要があるか。アブシュタットのみ殺して人質を盾に交渉した方が、言うことを聞かせられると言うものだ。皆殺しにしては怒りと憎しみしか買わん」
「ならば……」
「本気で国取りにきたのだろう。我が国を滅ぼし全てのアブシュパを手中に収めんとしておる」
「そんな。王家なくしてアブシュパは育てられませぬ」
「なんぞ手段でも見つけたか、わしを奴隷にでもするつもりか。ともかく今回のは警告じゃろうて。従わねば、次はさらに大軍をもってくるに違いない」
「そんな……」
ブランツは絶望に打ちひしがれた。東側に隣接するドレギア帝国はアブシュパーニャの何十倍もの国土を持ち、数々の戦で洗練された猛者が集まる軍事国家である。対するアブシュパーニャには東西の守備隊と王家の守護騎士団があるのみ。到底叶うわけもない。しかもその内東の守備隊は、隊長であり王弟でもあるアブシュタットもろとも既に壊滅状態にある。
「報告致します。帝国より使者が参りました」
「来たか。通せ」
黒づくめの鎧を着た屈強な男3人が、並んで王の間へと進んできた。兜こそは脱いで脇に抱えているが、帯剣したままでひざまづく気配もない。
「ふん、お前が国王のアブシュール七世か。噂通りの白豚よ」
「なにっ」
「無礼なっ」
部屋の両側に並んでいた守護騎士たちが色めきたち、剣に手をかける。
「やめい。挑発に乗るな。使者殿よ、まずは名乗られよ。帝国にも多少の礼儀ぐらいはあろう」
「はっ生意気な。いいだろう。我は偉大なる皇帝陛下ガルゴール様が最も信頼する将にして騎士、ジブスプである」
「あれが黒騎士ジブスプか……」
大陸でも有名な騎士の登場に、獣医がざわめく。
「ふんっ。わばわざ俺様が使者として来てやったのだ。早く降伏せい。今ならば命は助けてやる」
ジブスプはアゴをしゃくり、ニヤつきながら一歩前へ踏み出た。
「ほれ、どうした。いつまでそこに座っておる。這いつくばって命乞いでもせぬか。国を滅ぼされたいか」
使者のあまりに失礼な態度に、守護騎士だけでなくブランツも怒りに我を忘れそうになる。きっと陛下も怒りに震えているに違いない、そう思い玉座を見やると、アブシュール七世は深く腰掛けたまま熱心に鼻をほじっていた。
「ジブスプとやら、余は命乞いする気もなければ、降伏もせぬ」
王はようやく掘り出した大きな鼻くそに満足し、指で弾きながら平然と使者へ答えた。
「なにぃ」
「それよりも、だ。帝国の兵の中に先刻の戦いで女子供をなぶり殺しにした者どもがいるだろう。全て差し出せ。生きたまま獣の餌にしてくれるわ」
「き、貴様、弱国の分際で皇帝陛下の使者である俺様にそんな口を聞くのか」
「うるさい下郎が。のうのうと敵国に現れて無礼な口を聞く貴様のような無能に、話をしてやるだけありがたく思え」
「戦争だ!こんな国一捻りに踏み潰してくれるわ。帝国軍の力を思い知るが良い」
使者の無礼に動じない国王に快哉をあげかけた騎士たちだったが、帝国の軍勢を思い出し滅びの未来を想像し背中に汗が流れた。
「エリナ、あれを」
アブシュール七世が横に手を伸ばすと、玉座の後ろの暗闇から現れたメイドがその手に何かを渡した。誰もそれまでメイドが潜んでいることに気づいておらず、突然現れた青髪の女に面食らっていた。
王の手にあるのは、奇っ怪な魔道具。アブシュパに代わる特産品として売り出そうとした、あれである。
アブシュール七世は無言でジブスプへ向けて魔道具を構えた。
「なんだそれは?おもちゃか」
何やら出っ張りや模様のついた歪んだ筒にしか見えぬそれは、見た目で全く用途がわからず黒騎士は反応に困っているようだった。
カチッ ボゥ
引き金を引くと、一瞬青い火の玉のようなものが飛び出すのが見えた。だが見えたと思ったらそれはもう玉座の間の入り口にある扉を吹き飛ばしていた。途中通り抜けた黒騎士の腹に風穴を開けて。
「が、ゴブっ」
信じられぬように自分の身体の穴を見て、口から大量の血を吐き出した。
「自慢の黒き鎧も、もろいものだな。さて、残り2人の使者殿。貴殿らも穴を開けられたいか、大人しく捕まるか好きな方を選べ」
魔道具を向けられ、1人は即座に平伏し命乞いした。もう1人は腰を抜かしたが、這って逃げようとして撃たれた。四つん這いになった尻から脳天にかけて青い球が突き抜け、血と内臓を撒き散らしながら床に崩れ落ちた。
執事も騎士たちも事態についていけず、ただ呆然と成り行きを見ていた。ただ1人メイドだけが平然として、変わらぬ無表情で残った1人の使者を縄で縛り上げていた。
「皆へ言い渡す。これより我が国は、ドレギアと戦うぞ。決して負けられぬ。民の平和と安寧のため、全力で彼の国を叩くぞ」
アブシュール七世は、声高らかに宣言した。