電信柱とアルパカの恋について
日が昇る、雲が流れる。私は変わらずここに居る。一定の間隔で仲間が並ぶ。私の仕事は、長いコードを支えること。その先がどこに繋がっているのか、見たことはない。雨風構わず、ずっと立ち続ける私たちを、わざわざ気にする人はそういない。せいぜい検診の人くらいだ。
そんな代わり映えのない私にも、楽しみはある。
「電信柱さん、こんにちは」
足元から声がして、私はそちらを見やった。そこには白くもふもふの毛皮に覆われた彼が立っていた。しなやかな四つ足に、ぐぐっと長く伸びた首。ふわふわな毛並みからはちょこんと耳が立って、つぶらな瞳がこちらを覗いている。
「アルパカさん、今日も来てくれたんだね」
私の声がしらず弾む。それに気付いているのか、アルパカさんは穏やかに微笑んだ。
「もちろんだよ、電信柱さんに会いたくて」
「……嬉しい」
恥ずかしげもなくさらりとそんなことを言われてしまって、私は一言返すので精一杯だった。なんだかご機嫌な彼に釣られて、私も気分が上がる。そういえば、今日はなんだかアルパカさんの毛並みがいい気がする。
「もしかして、今日はお手入れの日だった?」
「そう、牧場の人がシャワーしてくれたんだ」
私が尋ねると、アルパカさんは嬉しそうに頷いた。格好良くなったでしょ、とくるりと回ってみせる。じっくり見れば、いつもより色合いが綺麗で、ふわふわしている。
「触ってみたいなあ」
「いいよ」
ぽつりと呟くと、アルパカさんは笑顔で了承してくれた。腕が動かせない私の代わりに、その自慢の毛皮を擦りつけてくれる。体に触れる感触は想像通りふわふわで、想像以上に滑らかだ。一生包まれていたいほどの魅力がある。
「アルパカさんの毛皮はとても素敵だね」
「ありがとう。自慢の毛皮なんだ。もっと触る?」
「ああ、いや、大丈夫だよ。私はアルパカさんに何も返せないから……」
私が遠慮して言うと、アルパカさんはバッと顔を上げた。
「そんなことないよ! 電信柱さんはいつも僕の話をまっすぐ聞いてくれるじゃないか」
まっすぐこちらを見てそう言ってくれる。アルパカさんは私の知らない話をしてくれるから、いつも聞き入っていただけなのだが。アルパカさんも大事な時間だと思ってくれていたことが嬉しい。あまり長い時間ではないが、この時間は数少ない私の楽しみだ。
ある日のこと。いつものようにやってきたアルパカさんは、なんだか元気がなかった。
「何かあった?」
「う、ううん。なんでもないよ」
なんでもないはずがないのに、聞いてもはぐらかされてしまう。私に言えないことなのか、それとも私では頼りないということだろうか。アルパカさんはずっと落ち着きなくそわそわしていて、こちらの不安も煽られる。何か言いかけては押し黙る、そんな気まずい沈黙が続いた。
「あの、さ。僕の毛皮、どう思う?」
やがて意を決したのか、ぽつりとそう問いかけてきた。どうして今そんなことを、と思ったが、答えないわけにはいかない。
「もちろん大好きだよ。もこもこして可愛くて、柔らかくてすべすべで――」
「そっ……か」
私は言葉の限り誉めた。少しでも元気になってほしくて、思いつくままに言葉を紡ぐ。けれどどういうわけか、アルパカさんは悲しい顔をした。傷ついたような声色で、返事も素っ気ない。何を間違えたのか、何がいけなかったのか、私にはわからなかった。
「アルパカさん……?」
「ごめん、変なこと言って。今のは忘れて」
アルパカさんはそう言って、逃げるように帰ってしまった。追いかけられない私は、その後ろ姿を見守ることしかできない。動けない自分を呪いたくなる。
その日からアルパカさんは来なくなった。いつも毎日のように来てくれたのに、ぱたりと音沙汰がなくなる。1日くらいなら、そういう時もあるだろうと言い聞かせることができた。けれど2日、3日と過ぎていくと不安が募る。何かよくないことでもあったのだろうか。そう考えて、ふと悲しそうなアルパカさんの顔が脳裏に浮かんだ。
もしかして。もしかして私が彼を傷つけてしまったから、愛想を尽かして来てくれなくなったのではないか。その考えが浮かんで、私は嫌な感情が上がってくるのを感じた。あのときもっと別の言い方ができていれば。何に悩んでいるか、ちゃんと聞いていれば。傷つけたことをすぐに謝っていれば。後悔が今になってどっと押し寄せてくる。私は動けないから、彼の元へ行って謝ることも、安否を確認することもできないのに。
こんな私だから、きっと愛想を尽かしたのだろう。ごめんなさい、と届くはずもない相手に懺悔した。
それからさらに日が過ぎて。近くの物陰から、何者かがこちらを窺う気配があった。ひょこりと顔を覗かせていたのは、間違えるはずもない、私の大好きな彼。
「アルパカ、さん?!」
私は彼が来てくれたことに驚いて、そして彼の姿にまた驚嘆することになった。なぜなら、やっと物陰から姿を現した彼は、見慣れたもこもこの姿ではなかったからだ。自慢の毛皮は見る影もなく、下にあったしなやかな肉体が露わになっている。初めて見る彼の姿に、ドキドキして狼狽えてしまう。
「ど、どうしたんですか!?」
私の声が裏返る。アルパカさんはとても言いにくそうに、ぼそぼそと答えた。
「その、毛刈りの時期だって言われて、それで……」
アルパカさんの声が尻すぼみに小さくなる。私が何か言う前に、彼は頭を下げた。
「ごめん! 君は僕の毛皮が好きって言ってくれたのに、こんな情けない姿、気持ち悪いよね?」
なんでも、あの日毛刈りされることを聞いていて、毛皮がなくなった自分は嫌われてしまうんじゃないかと不安だったらしい。
「じゃあ、ここ数日来なかったのは、私のことが嫌いになったわけじゃなかった?」
「嫌いになんて! やっぱり会えないのが寂しくて、こうしてこっそり会いに来るくらいには、好きだよ」
アルパカさんはまっすぐ好きと言ってくれた。たったそれだけで、今までの不安が嘘みたいに吹き飛んだ。彼の方はまだ不安そうな顔だ。でも、と言いかける彼の言葉を遮る。
「よかった。あなたを傷つけてしまったんじゃないかって、ずっと不安だった」
私が言うと、彼は弾かれたように顔を上げた。
「確かに毛皮がなくなって、びっくりしたし、ちょっと寂しいなとも思ったよ。けど、どんな姿でも、会いに来てくれるのが嬉しい」
私は素直な気持ちを言葉にした。彼は静かに聞いてくれて、泣きそうな顔で私に体をすり寄せる。
「そっか、それならもっと早く会いに来ればよかった」
どうやらお互い、ただすれ違っていただけらしい二人で安堵して笑い合う。いつも通りのはずなのに、彼の姿が見慣れなくてドキドキする。
「ふわふわの毛皮も好きだけど、今のアルパカさんも好きかも。なんか、ドキドキする」
素直にそう告げると、彼は大きなため息をついた。どうしたのかと思っていると、頭に残っている毛並みがふわりと触れる。
「そういう可愛いこと言われると、帰りたくなくなるんだけど」
拗ねたようにも聞こえる、意地の悪い声が返ってきて。私はまたドキドキさせられるのだった。
BL三題噺「後悔」「電信柱」「アルパカ」でした。
電信柱に性別はないだろって? この電信柱は男のつもりで書いたからこれはBLなんです!