侯爵様が恋したのは、お嬢様ではなく身代わりの侍女です。ごめんなさい。
ベルメール・フェンデル伯爵令嬢に与えられた貴賓室。扉越しに、テンションの高い声が廊下まで聞こえてきていた。
「――だから、ベルメール様にはもっともっといい男を選ぶ権利があるんですって。なんていったって三国一の美少女! 淫乱――もとい乱れ咲く薔薇のごとき美貌に、いつでも明るいムードメーカー」
「まあ……ロイさんったら。いくら真実といえ、褒めすぎですわ」
「とんでもない、いくら褒めても褒め足りません」
「いやだわ、今までどれだけの女性をそうやって騙してきたの? 本当にお口がお上手。もしかしてキスもお上手なのかしら……」
「否定はしません。そう、そんな僕が保証いたします、お嬢様……あなたはこれまで僕が知ってきたどの女性よりも美しい。だからラファイエット侯爵との婚約を破棄しても、すぐに次の男が美しいあなたをぜひ妻にと現れます。きっと、いいえ、間違いなく」
「えっ、そ、それって……!!」
……なんか、聞くに堪えないんだけど。ここに入らないとだめですか私。
思わずげんなりしてしまう私。代わりに、ラファイエット様が扉をノックした。「はあい?」という返事を受けて、扉を開く。
部屋の中にはやはり、豪奢なドレスで優雅にお茶を飲むお嬢様と、そのそばでティーポットをくゆらせるロイがいた。なんかロイが疲れ果てているというか、精神的にダメージを受けて老け込んだように見えるけど……見なかったことにしよう。
「お嬢様、お話があります」
「あらリナじゃない。侯爵様も一緒に、どうしたの? 改まって」
お嬢様は微笑んで、私たちを迎えてくれた。
「なんだか元気が無いわね。もしかしてホームシック? お父さんの顔が見たくなって、自分だけ先に家へ帰りたいとか」
「……いいえ……」
私は俯いた。わがままで気分屋で、お世辞にも性格がいいとは言えないお嬢様……だけど機嫌がいい時ならば、私たち侍従にも優しい。
「そうだ、侯爵様、この子に薪割りの手伝いをさせてあげられません? この子の趣味なの。それに庭の手入れも。リナの父親はうちの庭師で、リナも小さいころから――」
お嬢様は、庭師の職業を馬鹿にはしなかった。常に高飛車で、天上天下唯我独尊なお嬢様だからこそ、相手が平民とか従僕とか、何も気にしなかった。私のような下民に、自分の偽物をさせることに抵抗が無かった。それで周囲にはバレないって本気で信じていた。
「リナにはいつも世話になっているからね。心地よく過ごしてほしいのよ」
私が心地悪い思いをするのはだいたいお嬢様が原因だけど。
押し付けられる仕事も気まぐれのプレゼントも一切の拒否権は私に無いし、いつまでたっても寝汚いし言うこと聞かないし学習しないし、男好きなくせに色気も無いからまともな男には敬遠されてチンピラみたいなのにばっかり引っかかってるし馬鹿でアホで間抜けで怠け者で、これが小説だったら絶対間違いなく糞悪役で嫌われ者のもうほんと残念過ぎる伯爵令嬢――だけど――。
だけど――。
震える私の肩を、ラファイエット様の大きな手が包んだ。自分の方へ抱き寄せて、お嬢様に向き直る。そしてはっきりと口にした。
「ベルメール。あなたとの婚約を破棄させていただく」
「な……」
「よっしゃきたァ計画通りっ!」
絶句するお嬢様の後ろで、ロイが飛び跳ねた。お嬢様が振り向いた時には、しれっとそっぽを向いていたが。
「ど、どういうこと? まさかリナ、あなた……ティモシー様に話したの? あのことを」
首を振るか頷くかどちらにしようか迷った。
私が自分からそう打ち明けたわけじゃない、だけどラファイエット様は気づいていた。おそらくは今日よりもずっと前から。
ラファイエット様に嘘をついていたのは、お嬢様の命令だった。だけどお嬢様に対し、私が嘘を吐いたのはただ私の保身だった。これだけは私からお嬢様に謝らなくてはいけない。
「ごめんなさい……お嬢様。実は、あの夜の『貴婦人』は……。……侯爵様が恋をしたというあの人は、お嬢様の身代わりとしてその場にいた、私だったんです」
「……へっ?」
「ごめんなさい……!」
「え……えっと? ……じゃあ……わたくしがティモシー様を騙すよりも前に、わたくしがあなたに騙され……え? ん? どういうことです?」
ああっ、お嬢様の残念な処理能力では状況が飲み込めてないッ! 侍女の七つ道具・メモ帳を取り出し図説しはじめた私を、ラファイエット様が制する。
「少し違う。誤解を生じないよう明言しておきたい。俺が好きなのは、あの夜の『貴婦人』じゃない。このリナだ」
「……へっ?」
今度は私と、ロイも一緒に疑問符を浮かべた。
「あの『貴婦人』との思い出だけなら、あきらめがついた。実際、『彼女』がベルメールでないのは初めから分かっていたが、熱意にほだされて、結婚してもいいと思った。婚約破棄はやっぱり心苦しいものだったし」
「えっ、どうして?いつのまに?」
問いただすと、侯爵はポケットからダイヤのピアスを取り出した。私の耳たぶをそっと摘まんで、
「ピアスは貴族の教養みたいなものだ。貴族の娘なら普通、落ちやすいイヤリングよりピアスを使う。それなのに彼女はピアス穴が開いておらず、しかもそのことを知らないようだった。……安物とか関係なく、その時点で、『彼女』はベルメール嬢ではありえなかったんだ」
えっ、それ、私も初耳なのだけど。待ってそれじゃあ本当に、最初から……。
「俺に食べられないものがあるのと同じく、金属を付けられない人間もいるという。はじめは、それかなと思っていた。しかしもし『彼女』が素朴な平民だったとしたら――平民で、あの場所に来ていた女性はごく限られている。さらにあの宝飾剣が出てきた時点で、リナだと確信をした」
「……そ……そうだったのですね……」
お嬢様は声を震わせた。
「そんなに早くから、わたくしたちの嘘を見破って……でも、それならどうして? どうしてわたくしとの婚約を継続してくださったの?」
いやそれは証拠が無かったからでは、と思ったが、ラファイエット様は首を振り、再び俯いた。
「――リナは、俺に自分の正体を隠し、ベルメールとの縁談を推した。……振られたのだと理解した。そして諦め、古い約束の通り、ベルメールと結婚をしようと思った。あの時点で、『貴婦人』への想いはその程度のものだったんだ」
あっ……それは、私も同じだ。
『鉄兜の大男』に好意を持ったのは真実、だけどそれは、主への忠誠心で振り払える程度のものだった。所詮は一夜の小さな恋の灯だった。
「だがここへ来てもらって、ともに暮らしながら話をして……また好きになった。もしもあの『貴婦人』が、真実、君だったとしても。……俺はこのリナを、どうしようもなく好きになった」
「ラファイエット様……」
私は切なく痛む胸を押さえて、彼を見上げた。
私もです。私も、あなたへの想いを封じていました。お嬢様との婚姻を、本心から応援しておりました。お嬢様への忠誠心、倫理観、身分差という障害物を前にすれば、自制することは容易でした。
だけど諦められなかった。いいえ一度は諦めたのに、またあなたを好きになった。一度目は鉄兜の不器用な騎士を、二度目は素朴で優しいラファイエット侯爵を、私は好きになってしまったの。
「すまない、ベルメール。この婚約破棄は俺のわがままだ。慰謝料でもなんでも請求してくれ」
ラファイエット様は床に膝をつき、婚約者に対し、最大の誠意を見せた。私も隣に跪いた。主の婚約者を奪った侍女が、他にどうしていいかわからなかった。
やれやれ、と、ロイが嘆息する声がした。
「ほんっと、くそまじめなカップル」
あきれたような声の中に、嘲笑と喜びが混じっていた。まんまと策略通り、仕事を完遂できて、きっとロイは満面の笑みを浮かべているのだろう。
「ということだからお嬢様、こりゃしょうがないですね、さっさと慰謝料請求して、それでおしまいにしましょう! 一件落着、ってことで」
ロイに呼びかけられ、お嬢様は……しばらく無言だった。
私も侯爵様も、頭を下げたままなので、お嬢様の表情はわからない。彼女の第一声だけを待つ。
……そして。
次回はエピローグ!
これをもってこの作品は完結となります。
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