言わなくてはいけないことがある
「月光華を手折ろうとした俺を叱り、花を育てる苦労を語った。きっと自分もガーデニングが趣味なのだろうと思った」
――う、げっ。
「逃げられた後、俺はすぐ、彼女を探し出すことに苦心した。だが同時に、見つけたところで想いが通じるとは思えなかった。……彼女は、俺の素顔を見て逃げ出した。きっと俺のような、ごつくてむさい中年男など好みの範囲外なのだろう……」
――あ、いえ、そういう理由で逃げたわけではないですが。というか侯爵様、たしかに巨漢ではあるけど、中年というほどの年ではないしなによりムサくないです。むしろさらさらピンクブロンドで、びっくりするほどの美丈夫です。
「もし彼女を見つけ出せたなら、彼女の気持ちを動かせる贈り物がいると思った。それで公爵に、薔薇の種を分けてほしいと言ってみた。……なぜかうちの庭園に花を株分けされてしまったが」
あっそれで、侯爵邸には薔薇ばかり咲いてたのか。私は笑った。
「そりゃあ、そうですよ。普通の女の子は、種よりも花そのものを喜ぶものです」
「公爵様にも、ロイにもそう言われた。だが俺は違う気がした。だから……庭の花から、自分で種を取り出した。リナの言うように管理が難しくて、たくさんダメにしてしまったが」
「えっこれ、侯爵様がご自分で?」
改めて種子をまじまじ見つめていると、侯爵は私の指を掴み、閉じさせた。なぜか恥ずかしいらしい。
「やっとそこまで出来たから、ポケットに入れて届けようとした。念のため、花も大きなブーケにして――」
「……あ……それって、おとといの夜……」
うん、と頷く侯爵。俯いた姿勢のまま、やはり気まずそうにぼそぼそ呟く。
「だけど、そこにロイが居て。なんというか……なんといったらいいか。分からなくなったので、花だけ置いて帰ってしまった」
「ああ…………そうでしたね……」
苦笑いが漏れる。そうあの夜、私の部屋には先にロイが来ていた。聞きたくもない国家機密を吹き込まれ往生していたとき、薔薇の花を抱えたラファイエット様が訪ねてきたのだ。
あれはひどいタイミングだったけど、私としては助かった。ロイとの仲を一瞬でも誤解されたのは不快以外の何でもないが――。
ん? ちょっと待って。なんか、おかしい。
時系列が矛盾しているわ。
侯爵様は、あの夜の『貴婦人』、すなわちベルメールお嬢様に好かれるために薔薇の種を求めた。薔薇園を移植し、ローズヒップから種を取り出して処理している間に、フェンデル家を訪ねてきた。そこで貴婦人イコールお嬢様だと発覚し、この館へ呼んでくれた。
それからさらに数日後、種が出来たから花束と共に贈ろうとして――なんで私の部屋に来た? ラファイエット様の部屋からベルメール様のいる貴賓室までは、使用人宿舎よりも断然近い。ただの手土産じゃなくプロポーズ同然、侯爵様一世一代の贈り物だったわけでしょ。なぜ直接、お嬢様に差し上げなかったの? なぜ真っ先に、私の部屋にやってきたの……?
どくん、どくんと変な音がする。
何だろうかと思ったら、自分の心臓の鼓動だった。
頭での処理が追い付いていない、だけど私の体はある種の予感をし、勝手に興奮しているようだった。
ラファイエット様は、やはり穏やかに笑っていた。
「あっ……あの。私……」
……声が……出ない。
「私、本当は、あの夜」
目がちかちかする。なんと言ったらいいのかわからない。
だけど、言わなくては。私はもう覚悟を決めていた。私よりもずっと寡黙で口下手な彼が、頑張って言葉にしてくれたのだもの。私にもお嬢様にも誠実であってくれた。私は答えなくてはいけない。私も、ちゃんと……言葉を――。
「わ、わた、し。…………私が」
開きかけた唇に、ラファイエット様の人差し指が押し当てられた。
「ここから先の、君の声を聞く前に、決着をつけないといけないことがある」
「……決着……?」
問い返してから、私も気づき、息を呑んだ。
そうだ。彼は、私は、私たちは、このままハッピーエンドに駆け込むことはできない。その前にしなくてはいけなことがある。ちゃんと話して、おとしまえをつけねばならない人がいる。
「行きましょう、ラファイエット様。二人で一緒に」
私は背筋を伸ばした。胸に当てた手は冷たくて、震えていた。それをぐっと握り込み、歩き出すと、すぐに侯爵が隣に並んだ。
彼は私の手を取った。
私たちは二人、手をつないで、侯爵邸の階段を昇って行った。