吸血鬼のジレンマ
ザクザクと、親父は畑を耕していた。
黒く焼けた額に汗が滲む。
汗は、深く刻まれた皺に沿って流れ落ちた。
働きものだな。と思った。
「なあ、なんで畑なんて耕してるんだ?」
親父は答えなかった。
ザクザクと、土を耕す音だけが響いた。
「俺の親父は農家だった。」
親父がポツリと言った。
「そのまた親父も農家だった。それだけだ」
親父はいつだって寡黙だった。
最低限の言葉しか吐かないんだ。
俺とは真逆だった。
――――――
―――
―
吸血鬼が生まれたのは今から30年前だ。
最初の吸血鬼が街で暴れ始めると、世界はたちまちパニックになった。
吸血鬼はとても強かった。
コンクリートを粉砕し。
あらゆるものを投げ飛ばした。
空を飛び、血を吸っては数を増し、科学兵器すら蹴散らした。
もう終わりか。
世界が諦めかけたとき、正義の吸血鬼が現れた。
正義の吸血鬼は強かった。
暴れまわる吸血鬼を制圧すると、旧人類(吸血鬼以外の人類)を保護する法律を作り、旧人類と友好条約を結んだ。
かくして20年に及んだ鬼人戦争は終わりを告げたのだった。
――――――
―――
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「あーあ、なんで吸血鬼になんてなったんだろ」
俺は23歳の夏に吸血鬼になった。
特に理由はなかった。
大学を卒業して就職した職場になじめなかったから。
仕事がつらかったから。
社会人生活が思ったよりも退屈だったから。
現状から逃げ出したかったから。
いろいろ理由はあるんだと思う。
とにかく漠然と、何かを変えたいという思いがあった。
特別になりたいという思いがあった。
とんでもない力や、空を飛ぶ能力があれば、俺は幸せになれると思っていたのかもしれない。
「現実はうまくいかないなあ」
吸血鬼になって、たしかに力は強くなった。空を飛べるようになった。
しかし、それだけだった。
強くなった力は、街々を壊しまわることもなく、吸血鬼専用の土木作業に費やされた。
空は航空法に縛られ、子供のころの妄想のように飛び回ることはできなかった。
ただ、渇きだけが残った。
吸血鬼は人間の生き血を求める。
常に血に飢えているのだ。
人間の生き血を吸うことは法律で禁じられているから、すべての吸血鬼はひどい渇きに苛まれた。
渇きを抑える薬を処方されてはいるが、心の奥底の鈍い渇きは残ったままだった。
「お前は・・・」
親父が口を開いた。
「満足しているのか」
こちらに背を向けたまま問いかけてきた。
「満足か・・・どうなんだろう。吸血鬼は、思ったほどいいもんじゃなかったよ」
「そうか」
親父はつづけた。
「どんなことだって、いいことばかりじゃない。畑仕事もそうだ。硬い土を耕さなきゃいかん。雑草も抜かなきゃいかん。日照りや台風でダメになることもある。つらいことばかりだ」
「でもな」
親父はつづけた。
「いい作物が出来上がった時の感動は忘れられないものがある」
「お前のその、とてつもない力や、空を飛ぶ能力は、旧人類から見ればうらやましいくらいだがなあ」
親父からうらやましいなんて言葉、初めて聞いた。
「そんなもんかなあ」
「そんなもんだ」
「親父は吸血鬼にならないの?」
「俺の親父は人間のまま死んでいった。そのまた親父もだ。俺はこの生き方しかしらん」
「そうかあ」
空を仰ぎ見る。
よく晴れた空だった。
鳥が飛んでいた。
鳥にも悩みはあるのかなあ。
「なあ、親父」
「なんだ」
「俺はいったい、なんなんだろう」
親父は黙った。
少し経って、親父は言った。
「お前は俺の、息子だ」