終
夢を見た後のような、記憶の奔流があたしの頭の中を駆け巡った。
昔、と言うにはまだ早いが、それでもあの時の言葉を思い返してしまい、あたしは小さく吐息をついた。
あの時のことを思い返すと、今でも胸が痛くなる。
戻れるものならば、覚醒する以前の、温かな場所に戻りたい。
それが叶わぬ願いなのは、分かっているけれど……。
ふ、っと、何かがカンに触れた。
あたしの周りに流れる空気が、微かに揺れ動く。
―キタ。
無意識のうちに紡がれた言葉に反応し、あたしはゆっくりと瞼を押し開いた。
一見した限りでは、先程までと同じ景色が広がっている。
けど、若干ではあるのだが『何か』が、異様な気配―ヤツら特有の臭いとか、雰囲気とか、言葉にしにくいそういった諸々の何か、だ―が、あたしの肌を刺すようにしながら背後へと掠めていった。
臓腑に溜まっていた空気を残らず吐き出すよう深々息をつき、あたしはそっと身体に力を入れる。
痛みもなくなってるし、動きはさっきに比べればだいぶマシと言ったところだろう。
まぁ、今だに本調子とは言い難い状態ではあるし、この分では通常出せる力の半分以下しか出ないんだろうってのも、分かってはいたりするんだけど。
とはいえ、とりあえず、と言うか、パッと見と言うべきなのか、外傷は全て完治しているのだし、痛みも感じなくなっているのだ。
それに……。
「まっ、これさえ持てれば良いんだしー」
確かめるように慣れ親しんだ柄を握りしめると、あたしは一度だけ自分を落ち着かせるために眼を閉じた。
腕が無くなったわけでも、足が千切れたわけでもない。
五体満足、とは言えないけど、それでも身体のパーツは全てある。
大丈夫。
まだ、戦える。
それだけ分かっていれば、充分でしょう?
微かに放たれた自分の疑問はごく当然の物であり、あたし自身が否定するはずなどないモノ。
小さく口元が吊り上がると同時に眼を押し開き、ふらつくことなくあたしはその場に立ち上がると、ゆったりとした動きで周囲を見回した。
はっきり言わなくとも、視界最っ悪。
どこに何がいるかも分からない状態で、この場を動くなんてバカなことは出来っこないってのに……。
我知らずについた溜息に、あたしは小さく苦い笑みをこぼす。
まぁもっとも、あたしと同様のことをヤツにも言えることだし、この状態でこの判断が出来ないほどの阿呆でもない事は分かり切ってるんだから、出てくる感想なんてのは一つしかない。
つまりは、アホらしいを通り越すと、相手が誰であれご苦労様、としか言いようがないんだな、ということである。
「ほんっと、それしか言えないのよねー」
自分にもご苦労様、と言いかけて、あたしはがくりと自分の考えに疲れ切ったよう肩を落とした。
そんな思考は脇に置いておいて、早いとこ何とかしなくては、と考えを切り替えたあたしは、自分の視界を再度前方へと向ける。
ひしひしと伝わってくるのは、ここに広がる木々の生命力と、そこに暮らす生き物達の力強い生きる意志。
それらに拡散され、薄まってしまったヤツの気配ではあるのだが……。
だいたいの位置はこっちでも掴んでるんだし、何時までもコソコソと隠れているつもりなら、この場へと無理矢理に出てきてもらえば良い。少々乱暴なことではあるが、情けをかけるだけ馬鹿らしい。だから、あたしは特大級のな揶揄を込めた笑いを唇からこぼしてみせた。
「で、何時まで隠れてるつもり?」
大きくは無い声なのだが、ヤツには聞こえているのは間違いないために、あたしはそう問いかけを放った。
これで姿を見せてくれれば万々歳なのだが、そう簡単にはいかないだろう。だからあたしは、言葉を綴ってみせる。
「まっ、出てこれないほど腰抜けってんなら話しは分かるし、引きずり出されたいってのがご要望なら、この場でお望み通りにしてやってもいいんだけど」
「やれやれ……」
些かどころではなく、あたしの口から出た内容に反応したかのように、呆れきった声があたしの耳朶を取り抜けた。
もはや隠そうともせず、散らしていた己の気配を一つに絞り込んだソイツが、ゆっくりと動き出す雰囲気が肌を刺してくる。
サクリ、サクリ、と小さく葉を踏みしだきながら徐々に近付いてくる音に、あたしはゆるりとそちらに瞳を向けた。
薄暗いジャングルの奥から、一つの影があたしへとの距離を縮めてくる。
距離が短くなるにつれて、その容姿がはっきりとあたしの視界に映し出された。
ひょろりとした体格と、穏和そうな表情。そして、ピシリとした紺色のスーツを身に纏った男。
付け加えて言ってしまうと、ご丁寧なまでに、先程とは全く違った服装での出現だったりする。
げっ、と小さく、呻くような声があたしの唇から流れ落ちていた。
このじめついた空気の中で、それらをぴっちりと綺麗に着こなしている様を見せつけられては、よけいに額から汗が吹き出しそうだというのが、正直すぎるあたしの感想だ。
ついでに言うならば、木々をかき分けながらも優雅な歩調であたしに向かって来るそいつの態度は、ハッキリいって嫌味にしか感じられなかったりもするのだが。
「……まぁったく。
少しはTPOぐらい弁えたららどうなのよ」
「弁えたからこそ、正装であなたの前に現れたのですがね」
「はっ!それはどうも、とでも言っとこうか?」
せせら笑いとともに切り捨てた言葉に、男は幾分か悲しそうに自分の服装を眺める。
わざとらしいまでに悲しそうな溜息を吐き出した男は、あたしに視線を向けるとやれやれといいたげに肩を竦めた。
「全く貴女という方は、何時も何時もこちらの趣向を全て台無しにして下さる」
「だから楽しいんじゃない」
「さてそうでしょうかね。招待した方としては、困ってしまうのですが」
「それはそっちの事情ってモン」
あたしにはぜんっぜん関係ないことだし、とはっきり答えれば、男はわずかに口元に笑みを掃きつけ、そして……。
くつくつと喉の奥でたてられた楽しそうな声に、眉間に皺が刻まれる。
イヤな、感じだ。
コイツは、まだ何かを隠してる。
あたしへとひけらかす自分の優位性は、確実にこちらの息の根を止められるのだ、と踏んでの行動だろうが。
……隠し玉を持ってるのは、あたしだけじゃないってことか。
表情だけはイヤそうなモノを作り上げつつ、あたしは幾分か眼を細めて男を検分するかのよう眺める。
『クリエイター』であるコイツは、その場にあるもの全てを書き換えて武器にすることが出来る。それを考えれば、こちらが不利だと考えるのは当然だろう。
よっぽど、自信があるな。
検分するように眺めながら、あたしはそう思った。でなければ、わざわざこうやってあたしの目の前に現れたあげくに、こんな悠長な会話なんかしたりしないはずだ。
予感ではなく確信してしまった事柄は、幾分か柄を握る力を強めるには充分すぎるモノで……。
「やれやれ……」
かちんとくる言い方に、あたしは苛立たしさを隠すことなく言葉にして吐き出す。
「いちいち興行主におべんちゃら使うつもりなんか無いわよ。
大体、こっちもこんな三文芝居に出る気なんてなかったんだし、予定外の行動もらって嬉しい奴はいないだろうしね。
そっちが何考えてるか知らないけど、幕引き前にさっさとこっちから幕を降ろさせてもらうわよ」
「そう言わずに、最後まで出て頂かなくては。
戦場でのみ輝くお方の為に、せっかく作り上げた舞台ですからね」
「―何が、言いたい?」
その疑問に、にいっと、男の唇が弧を描いた。
生理的な嫌悪しか引き出すことのないその表情には、あたしの眉間にシワを深く刻みつけさせるだけのものだ。
そんなあたしの表情に気をよくしたのか、男は先程以上に嬉々とした口調で言を綴り始め。
あたしの、逆鱗に触れる言葉を。
「殺戮と鮮血の二つを冠し、魔女という字を戴く貴女が」
ダン、と威勢良く鈍い音が周囲の静けさに響き渡り、どこかでこの場から逃げ出した鳥の羽音が聞こえてくる。
当然のことながら、最後までは、ヤツにしゃべらせなかった。
右の指先に挟んでいる黒塗り刃の短剣に、男は幾分か驚いたようにあたしの手に視線を固定させる。
当然だろう。
手甲の下に隠していたそれは、よほどのことがない限り使用することはない代物なのだし、コイツ程度にあたしの動きが見えるはずなど無いのだ。
ゆるく、男の頬から、一筋の鮮血が流れ落ちる。
その血の色は、人間そっくりの朱。
良くできた器だが、悪趣味以外の何ものでもないのも事実というモノ。
冷ややかすぎる視線で眺めながら、あたしは落ち着いた口調でヤツに話しかけた。
「用件を聞こうと思ったけど、止めたわ。
起きながら寝言抜かすヤツや、戯言ほざきに来やがったヤツに、こっちもつき合うつもりはないし、そんな義理もないんでね」
「用件など、聞いたところで答えは一つですよ」
「そりゃそうだ」
「けれど一つ、お聞きしたいことがあります」
「あ?」
「貴女の行く先には、何があるのです?」
突拍子もない質問に、あたしは幾分か眼を細める。
そんなモノは、たった一つしかない。
「あんた達の方が、よく知ってるんじゃないの、それは」
軽く肩を竦めてみせたあたしを、男は余裕を消した瞳で見つめる。
それ程、甘く見られてたってことか。
ほんの微かに、あたしは顔面に笑みが刻んでみせた。
正直、阿呆じゃないか、と思う。
この程度でくたばるほど弱ければ、あたしはここになんかいない。
無論のことだが、あんなふざけた二つ名で呼ばれことなども、無いのだ。
するりと短刀を隠したあたしの頭の中で、不意にどうでもよいことを考える。
あつい、な。
こんな時だから、緊迫感の欠片もない言葉が浮かんだのだろうか。
じっとりと絡み付く熱気と湿気に、うっすらと浮かんでいた汗が額から滑り落ち、今だに乾ききっていない衣服が張り付いていてよけいな不快感まで倍増されてしまう。
こんな事に付き合う義理も義務もないし……。
ふぅっと、長く息を吐き出し、あたしは気楽な口調でヤツに声をかける。
「んじゃまぁ……始めようか」
ふんわりと極上の微笑みを浮かべながら、あたしは刃先を真っ直ぐにヤツに向け、次の瞬間がらりと身に纏う雰囲気を変えた。
師をして、氷であり炎であると称された、あたしの闘気。
たかだか一介の異形に受け止めきれるはずのない、代物。
そして……。
「っ!」
息を大きく飲み込み、男は数歩ほど後ろに下がったが、そこで何とか踏みとどまるようにして動きを止める。
止まったその根性だけは、立派と褒めておくべきなのだろうが……。
くっと口の端をつり上げ『私』は傲然と男を見つめると、揶揄以外の何物でもない口調と言葉を投げつけた。
「どうした?動けぬと言うのならば、こちらから動くぞ」
男の瞳に殺気が灯るや、自分の胸元で手を合わせ凄まじい力をそこに集め始める。
それに伴うかのようにして、周りの空間が微かに歪む気配と悲鳴のような小さな振動が空気へと溶け込んだ。
この程度、か。
内心で呟かれた私の声に答えるかのよう、ニヤリと笑んだ男は狂気を込めて叫びを上げた。
「どうも気が付かれていなかったようですが、貴女に相応しい墓を創り上げたのですよ。貴女を葬り、あの方の封印を解く鍵をゆっくりと捜させていただきますよ!
『混沌』!」
「……愚かな」
キィィン、と甲高い音が周囲に響きわたる。
その中に溶け込んだ私の呟きは、決して男には届かなかったであろう。
頭上で渦巻くように生まれた強大な力が、刹那狙い違わず私へと落下した。
男の顔に勝利が浮かぶのを視界の端で確認し、私は天井にに視線を向けた。
ただ、それだけだった。
形も色も無かった力が、ぱりん、と奇妙なほど澄んだ音をたてて、周囲にはらりはらりと解けて墜ちる。
それが崩れ周囲に砕け散りながら消えてゆく様と、湾曲していた周囲の空間が復元していく感触を眺める中で、惚けたような声だけが虚しく流れていった。
「そんな……」
よほど、この術には自信を持っていたのだろう。
時間を稼ぐためだけに『ドールマスター』達を使い捨てにして、ほとんど禁術に近いものを編み出していたのだ。
無論それだけの自信を持っているという自負がなければ、これほどに強大すぎる呪は作ることも不可能であろうが。
滑稽なほどの醜態を曝した男に視線を向けつつ、私は小さな溜息を一つつく。
それに大きく反応し、男はきつい視線と共にその腕に刃を出現させた。
茶番も極まれり、と言うところだろうか。
いっそ憐憫な瞳でしか見られなくなった男へと、私はポツリと呟くような声を漏らしていた。
「哀れとしか言えぬな。どちらにしろ捨て駒にしか使われぬ身としては」
「黙れ!」
全てをかなぐり捨てた男の足が、大地を蹴る。
キュイン、と、奇妙な音が周囲を揺らし、次の瞬間どさりと男の刃がファルクの数メーター先に転がった。
男の身体が僅かに背後に下がる。
が、その瞬間には全てが終わっていた。
上半身と下半身とが綺麗に分かれ、そこに詰まっていた何かをまき散らしながら私の目の前で倒れてゆく。
惚けたような表情だけが、やけにはっきり私の視界に映し出されつつも、砂が崩れていく様にして男の身体は消えていった。
ファルクの切っ先が軽く空を切りつけや、刹那のうちに常に携帯している形、短刀ほどの長さにまで小さく変化を遂げると、私は小さく舌を打ち付ける。
「いつまで、続く……」
それは、『私』の中に封じ込められた『虚無』に対して、そして『あたし』自身に対しての言葉。
答えなど始めから決められたそれは、答えたくもないモノ。
「いつまで……」
続ければいい?
そう内側で吐き出された言葉に、あたしは緩く頭を横に振った。
『それ』が終わりを告げる時。
それは、私が、そして、あたしが『許される』時だ。
けれどそんなモノは、多分、きっと……。
「ユーマ!」
いつの間にか、きつく前髪を握りしめていたあたしの右手が、その声にビグリと動いて髪を放していた。
視線をそのまま頭上へと向ければ、現在行動を共にしている青年、ファルムの姿が木々の間から見えた。
思わず目を開いてしまったあたしの姿に、彼は端正な顔に幾分か呆れの色を乗せて目の前に降り立つと、態とらしいまでの溜息を吐き出してみせた。
「―連絡くらい入れたらどうだ」
「あ……」
そう言えば、だいぶ時間を喰って彼らに定期連絡入れてなかったような……。
思わず目線を反らしたあたしに、ファルムは再度長々とした息をつく。
どう答えたものか思案するあたしの頭が軽くではあるが小突かれ、きょとんとあたしはファルムを見上げた。
上から下までをじっくりと眺める彼の視線に、改めて自分の現状というか、自分の恰好を思い出す。
間違いなく、これは人前に出られるような状態じゃない。
まぁ、治療した際に自分の裸体はイヤになるほどコイツは見ているんだし、今更恥ずかしがることもないのは言うまでもないことではあるが、やっぱこれはこれでマズイ、というか、先手を打たないと何を言われるか分かったものじゃない!
「あー、っと、その、ごめんなさい」
「戻る前に一度どこかで身体を清めろ」
「あ、あはははは……」
笑って誤魔化す以外の方法が浮かばないあたしの頬に、ファルムの指先が触れる。
こびり付いた血を辿るそれに、あたしはふわりと微笑んでみせた。
「大丈夫よ」
「―知っている」
一番最初に契約してそのままあたしに同行する形となったサライや、あたしの術式ばかりを書き込んでいた本が意思を持った形となったエイド。彼等ほどでは無いが、それなりの永さを共にしている彼とあたしにとっては、それだけの会話で充分で……。
クルリと踵を返した彼に苦笑を送りつけ、あたしもまた自分歩き出す。
けれど不意に、先程問われた言葉があたしの頭の中を過ぎった。
あたしの行く先。
あたしが選んだ、生き場所。
それは……。
死の丘に続く、戦場、だ。
だから、だったのだろうか。
先を行く仲間の背中に、あたしは唐突すぎる問いをかけていた。
「ファルム」
「?」
「その……後悔、してない?」
あたしの唇から突いて出た言葉に、ファルムは驚いたような気配をした後に聞こえよがしの苦笑をこぼし、動きを止めて緩くあたしへと身体を向けた。
いつもは皮肉さの類しか浮かべない彼の瞳から、幾分か悪戯っぽさと優しさを含んだ視線があたしへと送られる。
「しているさ。
奴等を潰せんことに、な」
思ってもみなかった、回答。
その答えにあたしは瞬きを繰り返して驚きを表し、ついで思わず彼と同じ様な笑みをこぼしていた。
「そう、だね。
速いとこヤツら潰して、楽隠居したいわよね、お互い」
「隠居生活を送るのはお前だけで十分だろう」
「失礼ね。あたしはまだ若いんですからね」
「その身体は、だろう。精神年齢は、オレよりも上のはずだと思ったが?」
「あんたって、時っ々イヤミなこと言うわよね」
ヒキヒキと唇の端をひきつらせる様子を見つつ、ファルムは小馬鹿にしたようにあたしを見下ろし、その口元に同様の色を掃きつける。
常と変わらぬ舌戦を繰り広げ始める気配をひしひしと感じつつ、あたしはふっと心の中に浮かんだ壬生兄ぃに語りかけていた。
壬生兄ぃ、あたしは自分を赦すことは出来ない。
けどね、帰れる場所と、包む人達も、見つけたよ。
あたしは、もう、一人じゃないって分かったよ、と。
申し訳ありません。
2021年4月24日に加筆修正、及び連載形式にしました。
筋書きは同じですが、かなりの量になってしまいました。以前道理に本筋に沿って書いておりますが、説明が多くなっております。その点を注意していただければ幸いです。