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past of Dark  作者: 10月猫っこ
4/5

 甲高い音が耳朶に突き刺さるや、手の中にあった太刀が青空へと吸い込まれる。

 銀色の光が真っ直ぐに瞳を射ったかと思うや、ついで呼吸すらもできない痛みが襲いかかった。

 悲鳴をあげなかったのは、ほぼ奇跡といっても良いだろう。

 意識が闇に飲まれそうになった瞬間にやってきたそれは、まるでそんなことはさせないと言ってるみたいに思えたんだけど、思考はもうそれどころではなくなっている。

 胃から逆流してきたモノを押さえつけることも出来ずに、血混じりの吐瀉物と胃液が口の中と端とを汚す。

 体勢すらも保持できずに、そのまま身体が大地に転がっていたのだと気が付いたのは、それから数瞬後のことだったが。

 頭がぼんやりとしていて、現状の認識すらもできていない。そう気が付いた瞬間には、恐怖心がどっと沸き上がってきた。

 殺られる。

 背筋に張り付いたその気持ちは、今対峙しているのが誰なのか分かってはいても、消すことなど不可能に近いモノ。

 本能は、当然のように生への執着に走る。

 自分がどう思っていようとも、この身体を形作っているたくさんの螺旋に組み込まれたプログラムは、自然と『生きる』ために動き始めていたのだから。

 感覚なんてとっくの昔になくなっている左手を動かそうとし、瞬時に走り抜けた感触に奥歯を噛みしめて出かかったうめき声を堪える。

 目の前に佇む相手の気配を探りつつ、そこから一歩たりとも動かないであろうことを察知すると、耳障りな呼気を調えようとあたしは息継ぎを始めた。

 何度も何度も咳き込んで、ようやくといったようにそれが止まってからも、荒い呼吸だけしか吐き出すことが出来ない。

 言葉では言い表せないくらいに、身体が熱い。

 息をするたびに、関節だけではなくて、骨や肺が焼けているような錯覚に陥る。

 こうなると、痛い、なんてモンじゃなくて……。

 痛みを認識する、しない以前の問題で、いっそ楽になりたい、なんて思いのほうが強まってしまうのは、この場合仕方ないんだろう。

 徹底的にぶちのめされた身体は、動くことも出来ずにただ地面に寝転がっているだけなのだから。

「おー、上手く避けたな、今のは」

 のんびりとした声が頭上から落とされたかと思うや、覗き込むような影が顔に被さってきた。

 霞みそうになる視界を何度か瞬かせていると、容赦なく冷水があたしの全身にかけられる。

「……あーのーねー」

「目は覚めてるな、上等上等」

 見事に潰れきったあたしの声にはまったく頓着せず、相手は手にしていたバケツを背後に投げ捨てたらしい。

 パッコーン、と、妙に軽い音が聞こえ、あたしに向けられていた視線が外されると、音のあがった方向へとそれが移され、お、凹んだな、と、呑気すぎる言葉があがった。

 一瞬にして全身から力が抜け落ちてしまい、あたしはべしゃりと大地に身体をおしつけて、大きく息を吐き出す。

 丸めていた身体を何とか伸ばしてごろりと仰向けになると、あたしは再度息をつこうとして盛大に眉を寄せた。

 そんなあたしの様子を見てだろう。

 あたしの横に無造作に腰を下ろして、口にくわえていた煙管を外しながら相手はククッとおかしそうに笑んだ。

「起きあがれるわきゃ……ねぇよなぁー」

「ったり前、で、しょうが……壬生(みぶ)にぃー、ほんっとーに、加減、してくれた、の?」

 苦笑めいた声に、途切れ途切れに文句じみた疑問を投げつければ、当たり前だろうが、といささか憮然とした答えが戻ってきた。

 ほんとか、と問いただしたいが、話すだけでもズキズキと痛む肺に、あたしは黙ってその答えを受け入れる。

 まぁ、手加減抜きで壬生()ぃと死合(しあ)っていたら、この程度では絶対に済まないのは、こちらも重々承知してはいるんだけど、ね。

 チラリと、あたしは視線だけを壬生兄ぃに向けてみた。

 長い髪を無造作に背後で束ねて、かなり上物の着物を着崩している年の頃は二十代後半の、男性。人を喰ったような笑みを口元にいつも薄く刻んでいるために、端整な顔はどこかしら人を小馬鹿にしているようにも見える。

 せっかく整った顔をしているのに、本当にもったいない、とは、壬生兄ぃを子供の頃から知ってる女性の台詞だ。

 言われることには納得する。けど、性格は滅茶苦茶悪いし、他人相手では顔なんぞよりも口が悪く相対するのだから、それらを含めて見た目よりもなんぼか相手の印象を悪くするために、もったいないという単語はどこかの次元に放り投げるべきなんだろう、とあたしは思うのだが……。

 もっとも、壬生兄ぃは自分が気に入っている相手にはそれなりに手を貸してくれるだけでは無く、懐にきちんと入れて守りに徹しくくれる。けれど、気に入らない相手に対しては、完全、完璧に、それこそ情けも容赦も欠片も無く相手を落として入れたためしがないんだから……って、これはあたしも同じか。

 まぁ、敵に情けをかけてもロクなことにならないのは、あたしも壬生兄ぃも経験上イヤになるほど知っているし、そんな情けをかけてもいい相手に会うなんてのは、偶然が偶然を呼ばない限りは無理だろう。

 あたしも壬生兄ぃも、二者択一の中でしか生きてきてはいないんだから。

 そこら辺は、あたし自身よっく分かってはいるんだけれども、手加減せずにブチのめせるというだけで、毎度毎度の如くあたしを徹底的に叩いてくれているこの現状には、それを人が悪いと言わずして何と言うんだ、ってなことになる。

 いやまぁ、ある程度はあたしも慣れたんだけどねー。

 まさか、ここまで完璧にぶちのめされるとはねー。

 あぁ、遠い目と現実逃避をしてしまう。

 そんなあたしの姿を眺め、壬生兄ぃはプカリと美味しそうに煙草の煙を吐き出した。

 傍目から見ても分かる程に鍛え上げられた身体の持ち主は、手にしていた朱塗りの鞘に入った太刀を軽く肩へと掛けつつ、銀色の煙管に新たな煙草を詰めるとそれに火を付け、旨そうに煙を吸い込んでいた。

 壬生兄ぃ、こと壬生(みぶ)一臣(かずおみ)

 今まで我流で太刀を振るってきたあたしに、剣の基本とその心構えを教えてくれたお師様で、今っだにあたしが勝てたことのない、相手。

 師として尊敬はしているけど、どっちかって言うと、何でも話せるお兄ちゃん、で、酒盛り友達、なイメージが強い。

 さすがは、てっちゃんこと、木村哲哉(てつや)の知り合いなだけあるんだろう、とは、あたしの口が裂けてても二人に言えない言葉ではあるが。

「で、話せるか?」

「なん、とか……」

 怪我した箇所を話せ、との意味合いに、あたしはそう返事をする。

 ギシギシと鳴り出しそうな身体を感じつつ、あたしはゆっくりと肺の痛みを悪化させない程度にそれを告げた。

 左肩は見事に外されてる。そして、左手首と二の腕、右手は一の腕及び手の甲、足は軸足、が完全に骨折。肋は……二本ほどヒビが入って、三本ほど肺に刺さってるな。

 ……よくこの状態で生きてるな、あたし。

 ってぇか、なんでこんな状況で意識もってるんだ、あたしは!

 一人突っ込みを入れながら、しみじみと噛み締めるようにそんなことを思ってしまった時点で、更なる現実逃避は始まっていた。

 身体が身体とはいえ、これほどの大怪我を負ってしまえば、普通は意識不明なはずなんだけどなー、とか、これで入院とかしたらどうしよう、とか、呼吸しにくいのは、肺に突き刺さってるからか、等々。

 そんなことを乾ききった笑みを漏らしつつ、ツラツラと考えているあたしへと、驚き二割、呆れ八割の声がかけられる。

「お前、よくそれで生きてられるな」

「ほんっとにね!」

 どう答えろっつうんだろうか?

 返答しようがなくて、とりあえずそんなことしか言えないあたしに、壬生兄ぃは豪快な笑い声をたてた。

 はぁぁ、と大きな溜息を吐き出し、あたしは眼を閉じる。

 ゆっくりと意識を内側に向けてみれば、すでに急激な再生が始まった『感触』が伝わってきた。

 斬られた傷ならば即座に塞ごうと細胞が動き出すのだが、内臓や骨の再生は少々時間がかかる。

 これじゃぁ、二、三日は動けないなぁ。

 ごく当然に出てきた結論に、あたしは自分の顔を歪めていた。

 出かけに、当分は戻らないから、とは言っておいたんだけど、あまり長いこと行方くらましてしまえば、あの二人でも当然の如く捜すだろう。

 不意に脳裏に過ぎったのは、少しばかり心配そうにあたしを見つめている女の子と、僅かばかりの疑問をのせつつ皮肉っぽい笑みを見せた青年の姿。

 肩で切りそろえられた濡れ羽色の髪と、群青色の大きな瞳をした女の子は、早めに戻ってくださいね、と真っ直ぐにあたしを見つめて小さな声でそう告げた。

 なるべくね、と約束にもならないことを言ったんだけど、これじゃぁ無理だなと思いながら、あたしは心の中で彼女に謝罪する。

 と同時に、お前は出かけたら一ヶ月は確実に戻ってこないだろうがな、と珍しくもからかい混じりの口調をあげて、あたしを送り出した青年を思いだしてしまった。

 この分では、戻ったら確実に嫌味の百や二百を、何故か勝ち誇った顔で言われんだろうな、なんてことを考えてしまう。

 ということは、だ。

 一ヶ月以上連絡し無ければ、彼等のほうから動き出すんだろう。

 たぶん……。

 でもその際は、心配かけた分だけ言いたいこと言ってくれるんだろうな。

 すっごいしたり顔して、こっちの耳が痛くなることだけしか言わないんだろうし、反論なんか以ての外だろうし……。

 というか、あたしが反論したら、速攻であたしと契約を交わしているサライあたりがすっ飛んできてギャンギャンと耳元で説教をし、ひょんな事から生まれてしまったエイドに可哀想な目線でこちらにチクチクと嫌みを言いまられるのは……これは絶対に気のせいじゃないだろう。

 よってたかってこっちをへこませるようなことを言われるのだけは、絶対に、なにが何でも、避けたい。

 となると、サライとエイドだけを相手にしていた方が、まだ無難な選択、ということになるんだろうな。

 けどまぁ、どっちに転んだとしても、あまり喜ばしいことではないのは確かだ。

「どうした?」

「なんでもないでーす」

 よっぽど変な顔をしていたのだろう。

 壬生兄ぃは不思議そうにあたしに声をかける。

 穏やかな日差しがジワリジワリと肌を焼きつけ、緩く流れる風が濡れた髪を優しく梳いていく。

 こんな状態でなければ、本当に昼寝にはもってこいの陽気だ。

 隣で煙草をくゆらせている壬生兄ぃも、あたしと同じ様なことを考えていたのだろう。

 いい天気だよなー、と、のんびりと呟きつつ、青い空へと視線を向ける。

 心地良いまでの沈黙は、周囲に溢れる自然の音へと意識を向けさせた。

 何処かで鳴いている鳥の声と、木々の間をすり抜ける風や、それに従って動く葉擦れの音。

 疲れ切った身体は、そのまま意識を闇に引きずるこもうとする。

 睡魔に引き込まれそうになり、慌てて、色々な意味を含めて、ここで寝てはいけないんだから、と自分自身に強く言い聞かせながら、あたしは不意に、あぁ、と納得した。

 いつもと変わらない壬生兄ぃの態度だからか。

 知らず知らずのうちに、あたしの意識はいつの間にか緊張しすぎていたのだと、思い知らされた。

 そして同時に、今助け合っている周囲の仲間達もまた、当然のようにあたしを『私』として扱っていたんだという真実に気が付いてしまった。

 弱音など許されない。負けることも当然許されない。誰よりも、何よりも強くなければならない『私』という存在として。

 それに答えるべくあたしの雰囲気は変わっているのに、壬生兄ぃはそんなことお構いなしの態度を取っている。

 いつもと変わらぬ、尊大で、殴りたくなるくらいはっきりとした物言いの数々。

 だから、なんだろう。

 いつの間にか、あたしも安心していたんだ。

 今までのことは全部夢なんじゃないか、なんて馬鹿なことを考えてしまうくらいに。

 そんなはずはないのに、と、痛む身体に現実をみたあたしは小さく自嘲して、じっと壬生兄ぃを見上げる。

 とりあえず薄れ始めた激痛にホッと一息つきつつ、あたしは壬生兄ぃに会いに来た時から感じていた疑問を口にした。

「ねぇ、壬生兄ぃ」

「あ?」

「よく分かったね、あたしだって」

 暗に、姿がまるっきり違っているのに、という言葉を含ませる。

 壬生兄ぃが知っているのは、まだまだ子供っぽさを残して、それでも第二次成長がようやく始まった、と感じさせる体型をし、肩の辺りでばっさりと切りそろえた黒髪と、深い蒼味を帯びていた黒い瞳のあたしだ。

 ふらりと壬生兄ぃの前に現れた時、あたしは以前とはまったく違う外見になっていた。

 見事なまでに斜に構えた雰囲気と、十六、七前後の丸みを帯びた少女らしい体躯に、足の付け根付近まで伸ばされている長い白金の髪と、瑠璃と紫紺の色違いの瞳を持つ、初対面に近い存在。

 どう説明したものかと難しい顔をしたあたしを見るなり、迷うことなく壬生兄ぃはあたしを『優誠』と呼んでくれたのだ。

 これには、あたしのほうが驚いてしまった。

 キョトンと目を開いて突っ立ていたあたしへと、壬生兄ぃは当然のように自宅の広大な庭に誘い、これまたいつもの如く死合ってやる、と心底楽しそうに―なぜか、こちらの背筋が寒くなる程に嬉しそうな笑顔だったのだから、こうなることは予測しておくべきだったんだろう―話しかけて太刀を引き抜いた。

 そして、今現在に至る……。

 何を言っているのか、といわんばかりの表情をじっと見つめていると、やがて呆れきったように壬生兄ぃがあたしに告げた。

「ナリがどんなに変わっちまおうが、分かるモンは分かるんだよ。

 んな単純なことも気付かんのか、お前は」

「答えになってないよ、それ」

 明確な答えをくれるとは思ってなかったが、ある意味思った通りの返答にあたしは苦笑をこぼしてしまう。

 ようは、自分で考えてみろ、と言うことだ。

 よくよく思い返してみなくても、あたしの周りはそういう人達ばかりである。

 父さんや母さん、プログラミングやハッキングの技術の師匠であるてっちゃん、悪友と位置づけが出来る宮坂綾乃なんかも、あたしの疑問にはまず真っ先にあたしの意見を聞いた後に、そこからいろんな修正をかけて答えを与えてくれる。

 正しいとか、間違ってるとかじゃなく、自分はどう感じて、そこからどんな結論を得たのか……。

 それが、自分にとっての答えだと、いつも教えてくれる人達。

 学校で教えてくれることだけが全てではない。そこで役に立つのは、ほんの一握りのことでしかないのだから、欲しい知識は全て自分で手に入れてみろ。

 傍らでハッキングの手ほどきをしながら、あたしにそうハッパをかけてくれたのは、てっちゃんだったっけ……。

 思いだした言葉に引きずられるように、あたしは自分自身に問いかけていた。

 『私』が欲しいモノって、なんだったんだろう?

 そして、『あたし』は?

「どーしたー?ギブか?」

「もうちょい、待ってよ」

 その一言で、あたしは慌てて我に返る。

 先程の会話を噛みしめるように反芻しているうちに、段々と眉間の辺りにシワが刻み込まれていった。

 言いたいことは、分かった。

 が、それを納得していいのかどうか、非常に疑問なのだ。

 思わずジト目であたしは壬生兄を眺める。

 それに気付かない振りをして、壬生兄ぃは煙管から吸い終わった煙草をそこら辺に捨てると、新たなそれを中に詰めて火を点けた。

「みーぶーにぃー」

「あー?」

「それってさぁ、どんな姿になっても、あたしはあたし、ってこと?」

「分かってるじゃねぇか」

「でも、それって、さっきの答えになってない」

 はぁぁ、と、呆れたように紫煙ごと溜息を吐き出し、次の瞬間、壬生兄ぃは思いきり人の頭を叩き付けた。

 この場合、声なんぞ出るわけがない。

 うめき声も上げられずに、顔を歪める以外に動作できないあたしへと、壬生兄ぃは思いっきり小馬鹿にしたように声を放った。

「阿呆」

「……って!いっきなし何すんの!めたくた痛かったんだよ!今のは!」

「良かったじゃねぇか、痛みがあるのは生きてる証拠だ」

「言ってることは正しいけど、それを納得せいというのは無茶だかんね!

 ってー!壬生兄ぃ!話しそらしてんでしょ!」

 ちっと、小さな舌打ちが壬生兄ぃから聞こえる。

 身体が動けば、まず間違いなく蹴りの一つも飛んでいるその態度に、あたしは剣呑な視線を向けた。

 さっきの疑問の答えよりも、この場合は動けない人間にトドメを刺そうとしたことに対しての怒りのほうが強い。

 そんなあたしの瞳を飄々と受け流し、壬生兄ぃはニッと口元に人の悪すぎる笑みを刻みつけた。

「口も悪けりゃ態度も悪りぃ小娘のことを、この俺様が忘れるわきゃねぇだろうが」

「お褒めいただき恐悦至極、って言っとくわ」

「べつに誉めちゃいねぇがな」

 即答で戻ってきた壬生兄ぃの言葉は、ものの見事にあたしの神経を逆なでし、ささくれていた感情を更に毛羽立てせる以外の何ものでもない。

 ヒキヒキとこめかみがひきつっているのを自覚しつつも、あたしはなんとか動けないものかと僅かに身体中に力を入れてみる。

 が、痛めまくった身体は、重力に逆らうことも出来ずに、ただどっしりと地面に寝転がっているだけだ。

 返す返すも、悔しい。

 っつぅか、すっげぇ、むかつく!

 動かない身体も苛ついてしまうが、それ以上に言い返せない自分に、腹がたつったらありゃしない。

 喉の奥から飛び出しそうな罵声は、なんとか無理矢理に押しとどめてはいる。

 無論、動けない以上そんなことを言おうものなら、先程以上の鉄槌が下されるのが分かり切っているためなのだが。

 けど、視線だけは段々と鋭くなっていく。

 もちろん、止めようなんて努力は更々ないんだから、これは仕方ないんだろうけど。

 ぷわりと旨そうに紫煙を吐き出すと、壬生兄ぃはふと気がついたようにあたしに声をかけてきた。

「額にやけど作りたいか?」

「根性焼きなら間に合ってます」

「そうか」

 惜しいな、と本気で呟く壬生兄ぃに、あたしの全身からがっくりと力が抜け落ちる。

 言うか?普通、そういうことを!

 もっともそれを聞いたところで、もちろんだろうが、と胸はって壬生兄ぃは答えるんだろうが……。

 なんかもうどうでも良くなってきたあたしは瞼を閉じて、落ち着くために息を大きく吐き出した。

 耳を澄まし、自然の音を聞いてみる。

 聴こえてくるのは、優しい音色。

 それだけで、沸騰していた体温が少しだけ下がってくるのを感じ、あたしはゆっくりと眼を開いて頭上に広がっている空を眺めた。

 今この瞬間も、空牙兄ちゃんも、息子も、ファルムも、娘も、サライも、エイドも、戦っている。

 それを当然のことのように受け止め、彼らは当たり前のように戦場に立っているのだ。

 けど、それを強いたのは……。

「おい、アホ弟子」

「誰がアホなのよ、誰が!」

「オメェに決まってんだろうが」

「えぇ、どーっせ、あたしは阿呆ですよーっだ!」

 突然かけられた声に、あたしは反射的にいつものように受け答える。

 口調も、態度も、いつも通りのもの。

 あたしの頭の中でぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた想いなど、そこには欠片も含まれてはいない。

 どんな時であっても、自分にも他人にも、己の心の内側を見せことなど出来るわけがない。

 だから……。

 誰かを騙すのは、あたしにとっては至極簡単なことだ。

 常にあたしは、あたし自身を騙し続けているのだから。

 拗ねたように唇をとがらせたあたしを眺めていたが、やがて壬生兄ぃは空を仰ぎ見ながら大仰な溜息を吐き出す。

 それだけのことで、あたしは理解してしまった。

 壬生兄ぃには、そんなものなど通用しないことを。

 鬱陶しそうに前髪をかき上げると、壬生兄ぃは視線を変えることなく、ただ怖いくらいに真剣な口調の声をあげた。

「ふざけたこと考えんのは止めておけ」

 正直、ギョッとした。

 なんで、そんなことを言い当てるんだろう、と。

「なに、言ってんの……壬生兄ぃ、あたしの顔、そんなに変になってた?」

 震えそうになる声を必死で堪えながら、あたしは冷静を装ってなんとかそう尋ねる。

 そんなあたしに頓着せず、壬生兄ぃは淡々と言葉を繋ぎ、残酷なまでにあたしの心にそれを焼きつけた。

「誰に何を言ったし、何を言われたかは全く知らねぇがな、選んだのはそいつら自身の意志だ。お前がハッパかけた所で、動こうが動くまいかはそいつらが考えて決めるこった。

 それは、誰かのせいじゃねぇ。ソイツの意志でそれを決めた時点で、ソイツが負うべき責任であり、ソイツの義務になるんだ。

 お前がお前の意志で動き、お前が自分自身で決めたようにな」

 呼吸が、止まる。

 なぜ、そんなことをあっさり言えるんだろう。

 あたしの起こしている、行動。

 あたしが、決めたこと。

 でも……。

 自分の『意志』は、本当にそこにあるんだろうか?

 本当に、あたしは、あたしの意志で、動いているんだろうか?

 決まっているからと、決められているんだからと、半ば以上諦めたようなあたしに、本当にそんな風に言い切ってもいいんだろうか?

 決めたのは、決めるように仕向けたのは、結局の所、誰なんだろうか?

 あたしは、いったい何?

 鏑木優誠は、ユーマじゃない。

 同時に、ユールティマ・アレクトラ・アクトライアは鏑木優誠では無い。

 そう、思いたいのに……。

 あたしは、あたしが分からなくなっている。

 突き刺さるような壬生兄ぃの言葉に、あたしは悲鳴のような叫びをあげていた。

「だけどっ!」

「たとえどんなことになろうが、結果が出ちまってる以上は、それは、テメェの意志で決めたことになるんだよ。

 受け入れようが、受け入れまいが、な」

 きつく唇を噛みしめ、あたしはなんとかそれに反論しようと言葉を絞り出そうとする。

 だけど、それが、出来ない。

 受け入れることも出来なくて、全部から目を反らそうとしていることも、あたしは分かっているから。

 落ちた沈黙は、どれ程続いたのだろうか。

 紫煙をゆっくりと吐き出し、壬生兄ぃは幾分か眼を細めてそれを眺めていたが、やがて当然のように問うてきた。

「お前、自分の手の大きさをきちんと知ってるか?」

「何、突然。そんなの」

 分かってる、と言いかけ、あたしは唇を閉ざす。

 じろりと、不機嫌そうに壬生兄ぃがあたしを見下ろしていた。

 言い訳も、反論も、許さない。

 壬生兄ぃの瞳に浮かんびあがった光は、あたしの声を全て封じ込める。

 それに耐えきれず、思わず唇を噛みしめて視線を反らしてしまったあたしに向けて、壬生兄ぃは重い溜息を吐き出した。

「誰であれ、ソイツが出来ることなんざ決まってる。

 テメェの手に抱えきれない多くのモノを持っちまえば、確実にソイツは潰れるんだよ」

 まぁ、一人で勝手にくたばろうが、潰れようがはソイツの問題で、その際周りに迷惑かけなけりゃいいけどな、と、続いた言葉を黙ってあたしは聞いていた。

 壬生兄ぃが言ってることは、きっと、正しいのだろう。

 けど、それを全面的に受け入れることは、あたしには、出来ない。

 抱えきれなくても、それは、あたしがやらなければいけないことなのだ。

 それを誰かに手伝ってもらったら、きっとそれは甘えになってしまう。

 甘えることを、自分に許していないのに。

 甘えてしまったら、自分の立っている場所が、崩れてしまいそうで怖いのに。

 そんな葛藤を見透かしたかのよう、壬生兄ぃは小さく笑みをこぼした。

「たまには、甘えたってバチは当たらんぞ」

「みぶにぃー」

 当然のように告げられた言葉に、あたしは困ったような声をあげる。

 どうして、壬生兄ぃ達は、こうも簡単にあたしの心を突いてくるんだろう。

 あたしの本心を言い当てた連中なんて、そう数はいなかった。

 長い年月を過ごしてきたサライ達ですら、こんなにも簡単にあたしの内面を曝け出させることなんて出来なかった。

 なのに、壬生兄ぃ達は、いとも容易くあたしの裏側を見つけてくる。

 どうして、騙されてくれないんだろう。

 複雑な思いに駆られるあたしに優しい視線をみせ、壬生兄ぃは噛んで含めるようにあたしに言を綴った。

「一人で突っ張るのは勝手だがな、突っ張ったあげくに俺らに盛大な心配をかけちまったら、えっれぇ迷惑なんだよ。

 ったく、ちったぁ頭冷やしてよっく考えてみたらどうだ?今の自分のなりを、な。情けなくて涙が出るぞ、マジで」

 疑問を僅かに浮かべたあたしの視線に、壬生兄ぃは今までと這うって変わったように、ニヤリと口の端に悪戯小僧のような笑みを刻みつける。

「身体は泥だらけだわ、顔は血と汗でベタベタだわ、あげくに服はあっちこっち破けてるわで、百年の恋も一遍に冷めちまうぞ」

「……それさぁ、誰のせいなワケ?」

 身も蓋もないとは、こういうことを言うんだろう。

 ヒキヒキとこめかみをひきつらせるあたしに、壬生兄ぃは豪快な笑い声をあげる。

 むぅっ、と拗ねたように頬を膨らませた表情に、そっと壬生兄ぃはあたしの前髪をかき上げた。

「……昔、お前に言ったよな。

 誰に負けても構わない。どんなことから逃げても構わない」

「だけど、自分には負けるな。そして、何があっても自分自身からは逃げるな、でしょ」

 諭すようにして、壬生兄ぃがあたしに太刀の心構えを教えてくれた時、一緒に教えてくれた言葉。

 忘れようにも、忘れられない、真実。

 分かっては、いるんだけど、ね。

 と、幾分か苦笑を含んだあたしの言葉に、壬生兄ぃはそのままあたしの視界を自分の手で閉ざしてしまった。

「ったく、相も変わらず素直じゃねぇな。このガキンチョは」

「そうしたのは、誰だっけ?」

「俺と哲哉、と言いたいとこだがな、お前の性格の悪さは元からだろうが」

「そっかな?」

 疑わしげなあたしの声に、壬生兄ぃはククッと小さく笑う。

 それにつられるようにして、あたしもおかしそうに微かに笑みをこぼした。

「まぁ、俺なんざお前の性格良く知ってるクチだしなぁ。だから、言えるんだぞ、こんなことを。

 泣けねぇんなら、泣かなくても構わねぇよ。だがな、俺らもお前の手助けをしたいと思ってるんだ。お前が、一人で突っ走って後ろ見てねぇのを心配する連中がな。

 逃げ帰る場所は、お前には残ってる。負けても、お前を包む人達はいる。それを、拒絶するな。

 お前は、まだ一人じゃないって事を、いい加減に分かれ」

「……分かって、るよ」

 声が、震えそうになる。

 暗くなった視界の中で、何かが滲みそうになってしまった。

 堪えなきゃならない。

 ここで崩れてしまった、きっと、あたしはあたしを許せなくなる。

 私が、私でなくなってしまうことになりかねない。

 そう思っていたのに。

「なら、そろそろ、自分を許してやれ」

 僅かに、唇が震えた。

 出来ない、と言えたら、どんなに楽だったろう。

 私を、そしてあたし自身を許すことなんで、絶対に自分自身が納得しない。

 いつの間にか……。

 いつの間にかあたしは、唇から血が出るほど強く噛み締めていた。

 そうしないと、全部を壬生兄ぃに話してしまいそうになったから。

 そんなあたしの様子に、壬生兄ぃは苦笑をこぼす。

 ふいに、あたしの額へ壬生兄ぃが手をおいた。

 その重さに、あたしはびくんと身を竦めてしまう。

 ポンポン、と宥めるようにあたしを叩く壬生兄ぃの手の温かさが、痛かった。

 ホントに、ホントに、泣きたくなるほどに。

 痛かったのだ……。

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