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十 冬来たりなば……⑧

「縁起悪くなぞありません」


 縹の御子は言う。


「我は、あの刺繍がなされた肩巾ひれがいいのです」


 紅姫は難しい顔になり、どことなく途方に暮れたように御子を見た。


「あの。貴方様があの時、そんな風に言って我を元気付けて下さったことなら、ぼんやり覚えております。でも……その。お気遣いは不要ですよ、あんな、半端な刺繍しか刺していないものを『あらたまごと』の装束に使うなど、神罰が下ってもおかしくありません。手の早い縫子数人がいれば、今からでも完全な刺繍をほどこした肩巾が用意できましょう。何卒そうなさって下さい」


「神罰など下るはずはありません」


 縹の御子は口許に笑みを含みながらそう言った。


「あの刺繍を見せていただいた時、細工の素晴らしさももちろんですが、醸し出す……何と言いますか、清新な気、というようなものを感じて、思わず背筋が伸びました。ああ、この肩巾は紅姫が我の為、魂を込めるように刺して下さったのだと、何も言われなくともわかりました」


 そこで彼は、少し冷めた茶で唇を湿らせた。


「刺繍だけのことをいうなら確かに、これ以上の刺繍を刺せる者はいるでしょう。でも、これ以上に我の為を思って刺繍を刺して下さる方は他にいない、紅姫だけだと我は確信しています」


 そこで縹の御子は、やや苦しそうに眉を寄せた。


「もっとも。あの時と今とではまったく心持ちが違う、あの時の心持ちは過去のもので、それを後生大事にされるのは不愉快だ。紅姫はそんな風にお思いになられるかと、我も考えました。でも……、たとえそうであったとしても。我はやはり、あの刺繍がなされた肩巾で『あらたまごと』に臨みたいと思うのです……お許しいただけませんか?」


 紅姫はつくづく、生真面目な顔でこちらを見ている縹の御子を眺めた。

 様々な思いが去来したが、最終的に彼女は諦めた。

 ここまで思い入れている縹の御子の気持ちを、強く拒むほどでもない。

 ひとつ息を落とすと、紅姫は、品の良い所作で手を叩いて人を呼んだ。



 さほど時間もかからず、金糸で刺繍がなされた緋の絹地が、丁寧にたたまれた状態で持ってこられた。

 どこかで大切に保管されていたらしい。

 縹の御子は嬉しそうにそれを取り上げ、半ばで止まっている神の鳥の刺繍を、そっと指でなぞった。


「本当にこれでよろしいのでしょうか? どうにも中途半端で、我としてはすっきりしませんが」


 ややあきれたようにそう言う紅姫へ、御子は例の美しい笑みでこたえる。


「これ()いい、ではありません。これ()いいのです。中途半端だとおっしゃいますが、何もかもが中途半端で、おろおろしながら藻掻いてばかりいる我に、この中途半端な大白鳥神おおしらとりの刺繡はむしろ、相応しいかもしれないとも思います。……ただ」


 ふと、縹の御子は悲し気に軽くうつむいた。


「もし。中途半端な刺繍のまま肩巾として使う我を、いじましい、あるいは心底嫌気がさすと思われるのならば。紅姫が初めて『あらたまごと』へ参じられる時には、使わぬようにいたします」


「あ……いえ。別に、そこまででは」


 もごもごそう言うと、紅姫はあきらめたような苦笑いを口許に含んだ。


「色々と、思うところはなくもないですが。この刺繍そのものは、我なりに一生懸命、刺しました。その努力や気持ちを愛でて下さるのでしたら……どうぞ、お使いになって下さいませ」


 縹の御子は面会が始まって以来、初めて、心から明るく笑った。


「ありがとうございます。大切に使います!」




 後年。

 王族の一の御子が初めて『あらたまごと』へ参ずる場合、半分だけ刺された大白鳥神の刺繍が施された肩巾を着けることが、新しい慣習ならいとなって定着した。


 そして二年目以降、半分刺された刺繍を全き形にして参ずるのも又、慣習となった。

 その際、原則として半身を刺繍をした者が続きを刺す、のが、暗黙の了解となっているそうだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] こうして伝統が生まれるのですね( ˘ω˘ )
[一言] 一皮剥けましたね。御子。
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