九 たとえ、形代であったとしても。⑧
どこか納得できない気分で、紅姫はみことをまっすぐ見た。
みことは真顔で、そんな紅姫のゆれる紅の瞳を見返した。
「半分、と申し上げたのは。ありとあらゆる存在は、やはり何らかの『形代』だという側面が、どうしてもあるからです……貴女様に限らず」
静かな言の葉。ひどい痛みにも似た衝撃が、瞬間、紅姫の胸を貫く。
みことの言の葉はどこまでも平淡で、ああ、この方はやはり神であり、人間を超えた存在なのだと、改めて彼女は思った。
そうでなければ……こんな残酷なことを淡々と、言ったりはしないだろうから。
みことは続ける。
「唐突に話が変わりますが。郎女様は『神代の物語』をどこまでご存じかな?」
「え? あ、あの。大社に伝えられているものは、一通り教わりましたが……」
本当に唐突に話が変わったので、怪訝そうに紅姫は答えた。みことは軽く首を振る。
「なるほど。では……我がこの世界に生み出された経緯はご存じかな?」
「はい。聞き及んでおります……」
みことの言いたいことがわかるようでわからず、それでいて辛い話になりそうな流れを察しておののきながら、紅姫は答えた。
「我にとっては歳の離れた兄姉ともいえる、『いろなし』と『くろ』の二柱の妹背神から、この世に在る万物は生まれたものの。生まれたその刹那から、滅ぶこと――死――はさだめられました。無限に広がるかと思われるこの『あお』にも、『あお』に生み出された我々には知り得ないながら、限りがあるのです。限りのある世界で無限に増え続けることは出来ぬ、生まれたものはいずれ死に、次々と転変してゆかねばならない。隔てのない『あお』であるのならば、生まれることも死ぬこともなく一定であったでしょう。が……変わることのない『あお』一色であることを、『あお』その方が拒んだのです」
みことはあくまでも淡々と言の葉を紡ぐ。
「代償として、神の子供たちに『死』が与えられました。『あお』も最初はそのさだめを、生まれた子供たちが『あお』の感覚では信じられないほど短い時間しか生きられないことを、じっと耐えていらっしゃいました。しかし……次々生まれては死ぬという虚しさに耐えられなくなられたのです。結果、すべての子供たちが一度『死』に吞み込まれ、再び世界が『あお』のみに染まりました。……『あお』だけになったその日。我は望まれ、生まれました」
「なにものにも染まらぬ色を持つ、誇り高き者を」
みことと紅姫は同時に言った。
神代の物語でも有名な箇所である。
みことは淡い苦笑を浮かべ、うなずいた。
「ええ、そうです。つまり……、我もまた。始祖大御神の望みを乗せる『形代』として生まれた、そういうことなのです」
紅姫は息を止め、身動ぎもせずに大白鳥神のみことを凝視した。
静かな静かなかの方の言の葉に、『絶望』や『諦め』などという概念を軽く凌駕する、凄まじいまでの虚無がほの見える。
生半可な同情や共感など寄せ付けない、孤高の虚無でもあると紅姫は覚る。
みことは少し、困ったように眉を寄せた。
「ごめんなさい。お若い貴女にとって、ずいぶんと重くて救いのない話になってしまいましたね。ただ……」
みことはそこで初めて、とてもやわらかく、美しく笑んだ。
「果て無い孤独に、染まらない者であれかし。その望みを託されたというのは、この上ない誉れでもあります。もっとも正直に申し上げるなら、不本意にも巨き過ぎる望みをこの身に乗せられたと、役目に拉がれひねくれてしまうこともあります。しかし、それを見事務め切ってやろうと、奮い立つように思うこともあります。我は……出来得る限り。自らの意志で、この務めを成し遂げようとこうして『あお』の中にいるのですよ」
ふと何かを思い付いたかのように、みことは、紅姫のそばへ寄ってきた。
そして身内の幼子の頭をなぜるように、紅姫の柔らかな髪の上へてのひらを置き、優しくひと撫でした。
「たとえ、形代であったとしても。中に在る魂を誇り高く持つことは出来るもの。大白鳥神の神気、その本性は光。光を曇らせることなく己れを保つことは出来ます。……貴女様は元々、それが出来る方だ。出来ない者ならばたとえ兄神・いろなしのみことに導かれても、ここへは来れなかったでしょうから」
「大白鳥神の、みこと……祖神さま……」
「そろそろお戻りなさいませ。皆、貴女様の帰りを待っている」
諭すようにそう言うみことの、炯々と輝く瞳へ向かって、紅姫はうなずいた。




