九 たとえ、形代であったとしても。⑦
「みこと……大白鳥神のみこと……」
むせび泣く紅姫を、大白鳥神のみことは黙って見ていた。
半端な慰めなど言わず、かの方は痛ましそうに軽く眉根を寄せ、彼女が話したくなるまで辛抱強く待ってくれた。
やがて涙が徐々に収まり、紅姫は、ぽつぽつと話し始めた。
生まれてすぐからいる許婚者のこと。
自らの魂には生まれつき、『死を渇望する呪い』がかかっていたこと。
一族の大人たちがその忌まわしい呪いを解くため、『形代』となる巫覡の資質がある少女を用意したこと。
しかしどんな運命のいたずらなのか、許婚者である少年が形代の少女を深く愛した、こと。
その愛情で、形代の少女に背負わせた呪いを自ら半分請け負うという離れ業を成し遂げ、呪いを無効化すると同時に誰も冥府へ堕ちることがなくなった、こと。
彼は今、形代として招聘した少女と妹背になり、京極の片隅で暮らす彼女の許へ通っていること。
彼も彼女も、己れ――つまり紅姫――という存在に対し罪悪感を持っているものの、別れることは考えられないくらい、互いに愛し合っていること。
己れさえいなくなれば丸く収まるのではないかと思う一方、愛し合う彼らだけが幸せになる状況が妬ましく、また、己れが生きようが死のうが結局は彼らに、心のどこかで厄介に思われるだろうと思うと、徒に人の心を曇らせるだけの己れの存在が、虚しくてたまらないこと。
王族の濃い血を次代に残す必要を考えれば、己れは許婚者と結ばれて子を成さなければならないことはわかっている。が、ただ子を成す為の務めとして身体をつなげるのだと思うと、心などこの身から捨ててしまいたいと強く思ってしまう、こと……。
話は脈絡なくあちこちに飛び、そのことに気付く度に説明を加えながらも、紅姫は話し続けた。
大白鳥神のみことは、時に錯綜した部分を確認したり、話しやすいように合いの手を入れてくれたりしながら、決して倦むことなく熱心に話を聞いてくれた。
話し続けているうち、紅姫の中で絡まり切った糸玉のごとき悩みが解きほぐされてきた。
悩み自体がなくなりはしなかったが、己れが何に悩み、何が辛いのかが明確に見えてきた。
己れは許婚者――縹の御子――に、女として選ばれなかった、こと。
決して彼ら二人を憎みたくはないのに、どうしても妬ましいという醜い心がわいてくる、こと。
いっそ永遠に二人から離れられればまだ救いはあるものの、成人後、縹の御子と婚姻せねばならないこと。
務めだと割り切ろうとしても、あちらはともかくこちらは彼を愛している、愛しているその方から『義務として』大切にされるであろう未来に、絶望しかないこと。
「……そんな虚しい未来しか見えず、生きる気力が殺がれるのです。我は所詮、王族の血を次代へ伝える為の形代なのだと……いえ、わかっております。次代へ血を繋ぐ為の婚姻など、王族では当たり前のこと。我の母である方もそうだったのですから、決して我だけが不幸せなのではありません。ですが……だからといって。辛さや苦しさ、虚しさがなくなりは致しません。……大白鳥神のみこと。我らの祖神様。何故、所詮血を繋ぐだけの器なのに、我らには心などあるのでしょうか?」
大白鳥神のみことは困ったように眉を寄せ、軽く首を傾げた。
不意に紅姫は、とんでもなく不敬、もしくは礼を失した問いをしたのではないかと思い至った。
みことがあまりにお優しいので、彼女はいつの間にか、身内のごく親しい長老に相談を持ち掛けているような心持ちでいたらしい。
全身から、音を立てるような勢いで血の気が引いた。
大白鳥神のみことは、自らの血の末裔である少女が、己れが失言をしたとうろたえているらしいことに気付いたらしい。
再び困ったような笑みを薄く浮かべ、気にしないでいい、という風に手を振った。
「あなたがそんな風に思うのはもっともですよ、お可愛らしい郎女さま」
安心させるような声音でみことは言う。
「ただ……我の思うに。神にせよ人間にせよ、ままならなくも厄介な『心』を持っているのは。おそらくは持つべきだから……すなわち我らは皆、形代などではない、それが答えの半分ではないかと思うのです」




