九 たとえ、形代であったとしても。⑥
青。
ただひたすら続く、青。
もはや雲すらない。
上下左右すべて青。
上へ行くに従い、徐々に青の深みが増す程度で、他には一切何もない。
(……これがすなわち、始祖大御神)
卒然と紅姫は覚る。
寂しいまでの青以外、何もない静かな静かな世界。
その果てのない無音がかえって、耳を聾するまでの激しさとして感じられるほどの。
癒えることのない『孤独』に囚われた、哀しい神の心。
(この孤独に、たとえ神でも耐えられなくなったとしても仕方がない……)
紅姫は思う。
(少なくとも、我には耐えられないもの)
もはや、昇っているのか落ちているのかすらわからない中で、紅姫は何度も息をつく。
ひたすらの青に中てられたのか、眩暈がして気が遠くなりそうだった。
その時だ。
涼やかな笛の音が、どこからともなく響いてきたのは。
紅姫ははっと身をよじらせ、音の方へ耳を傾けた。
夏の宴で縹の御子が奏でた、『涼風』の銘を持つ笛の音を思わせる涼やかな音色。
(誰が吹いているの? もしかして……縹にいさま?)
思いながら紅姫は、知らず知らずのうちに音へと近付いていった。
はるかな青の向こう側に、白い人影が見えてきた。
黄金色の混ざった銀の笛が、奏者が身じろぐ度にキラキラ輝く。
涼やかな音色が、ひたすらの青の中に広がる。
なぜか涙が頬を伝う。
哀しいのでも辛いのでもない、不思議な、どこか清々しい涙だった。
気付くと紅姫は、奏者の近くにいた。
すっきりとした気高い立ち姿は、高貴な身分の方であろうと察せられる。
古風な、神事を思わせる真白の衣装を身に着け、真白の髪を童子結いにした十四、五ほどの郎子……にしか見えない、にもかかわらず、遥かに時を経た者にしか持ち得ない、不思議な落ち着きを持つ奏者。
彼は紅姫と目が合うと、目元だけで優しく笑んだ。
どことなく緋を含む、黄金とも白銀ともいえる苛烈なまでの激しさを秘めた彼の瞳が刹那、幼子を愛しむ年配者のそれのようにゆるんだ。
「これはこれは。お可愛らしい郎女さまだ」
成人前の少年のようにしか見えない彼だったが、その声には深みと落ち着きがあった。
(この方は……)
竦みながら紅姫は思う。
この方はおそらく、祖神・大白鳥神のみことその方だ、と。
奏者……否、大白鳥神のみことは再び笑み、続ける。
「こんなところまで迷ってこられたくらいだ、貴女様はおそらく、大白鳥神に連なるやんごとないお方でありましょう。よろしければ少し、この年寄りと話をしてゆかれませんかな?」
彼の見かけは決して『年寄り』ではなかったが、不思議とその言の葉は違和感がない。
ああ、この方は人間の理とは違う理の中に在るのだ、と、紅姫は覚る。
大白鳥神のみことは静かに話し続ける。
「話を聞くくらいしか我にはできませんが、貴女様は今、この果て無い『あお』即ち始祖大御神の只中へ迷ってこられるくらい、深い悩みと孤独をお持ちなのでは?」
ぎくり、と、紅姫の肩が揺れた。
みことの瞳が痛ましそうにすがめられる。
「これも何かの縁。お差支えなければ、我へお話しになりませんか? 話すだけで……少しは、胸の重しが軽くなるものですよ」
静かな静かな、みことの声。
我知らず抑え込んでいた思いが、堰を切ったように紅姫の胸から溢れ出す。
「みこと……大白鳥神のみこと……」
祖神の名を呼びながら、紅姫はむせび泣いた。




