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八 霜降③

 慣習ならいに従い、その夜から三日、縹の御子は丹雀の館のなずなの許へ通った。

 特に披露の宴を開くことはなかったが、三日目の夜は共に祝いの餅を食べ、従者たちには祝いの酒肴を振舞った。

 非公式ではあるが、これで二人は妹背ふうふとなった。

 宮の太政大臣おおきおとどからも密かに祝いの金品が届けられたと、後になずなはせりから聞いた。


 縹の御子は自ら管理する私財から幾ばくかを出し、なずなの生活に必要なものや冬の衣類を調えるよう、せりに命じた。

 元々世話焼きのせりはにこにこと、なずなの意見を聞きながら、なじみの商人や職人を呼んで調度品や化粧道具などを買い入れた。

 また、上等で色合いの美しい布地を取り寄せ、館でお抱えの縫子と一緒にてきぱきと、実用的で趣味のいい冬の衣類をいくつか仕立てた。


 丹雀の館は一気に華やいだ。

 一時的ながら館は、年若い主とその妻の愛の巣となったのだ。



 なずなは茫然と、刻々と変わる周りの状況を眺めていた。

 覚めない夢の中にいるような気がしてならなかった。

 夢でなければ、絵巻物の世界の中かもしれない。



 やんごとない身分の見目麗しい恋人が、一心に自分を愛してくれる。

 歳の離れた気のいい姉のような存在がいて、何くれとなく自分の世話をしてくれる。

 せめてものお礼の気持ちを込め、世話をしてくれる館の者の為にと、手遊び程度にそれぞれの衣類や手ぬぐい、小物に刺繡を刺して渡せば目も鼻もなく素直に喜んでもらえる日々。



 鶺鴒せきれいの総領娘に生まれ、物心つく頃から次々生まれてくる弟妹の相手をする日々を送り、十歳とおの初春には里の社へ修行に出されたなずなにとって、無条件で他人から気にかけられ、甘やかされた日々などほぼ初めての経験だった。

 ついぞ手に入らなかったのんびりした子供時代が今、戻ってきたのかもしれないと密かに思う瞬間すらあった。



 この夢のような暮らしの中で、縹の御子と過ごす夜だけは生々しい実感があった。

 血のつながりのない異性と近々と触れ合い、自分とは違う異性の身体に目覚ましい発見をする夜。


 女童わらわめとして出仕していた頃は絵物語の貴公子のようにしか思えなかった彼が、生身の、歳の近い少年だと実感する日々。

 子供のような顔で怒ったり笑ったり、時には失敗してきまり悪そうにしょげる彼に、なずなは日に日に心惹かれてゆく。



 だから……気付かなかった。

 いや、あえて目をそらせ続けていたのかもしれない。


 己れの幸せ・己れの恋は、もう一人の苦しみや不幸せの上に成り立っている、罪深くも儚いものだということを。



 三日の夜の祝い餅を食べ、半月ばかり経った頃。

 なずなは急に胸がむかつき、軽いながら眩暈がするようになった。

 当然、御子もせりもひどく案じたが、ひょっとして身ごもったのではないかと薬師に言われ、丹雀の館は上を下への大騒ぎになった。


 そこで初めてなずなは恐ろしくなった。

 ここは、夢の中でも絵巻物の中でもないという当たり前のことを思い知る。

 契りを交わすということは、子を成すことに繋がる。

 知識としてはわかっていたが、うかつにも我が身に起こるとは思っていなかった。


 いや、起こる筈がないと思い込んでいたのかもしれない。

 どう考えても己れのような者が、貴いお方の御子を授かる訳がない、と。


 そのすぐ後、常よりも重い月のものが始まり、御子を授かった訳ではないと判明したのだが……以来なずなは物思いすることが増えた。


 縹の御子は沈む妻を案じたが、彼にはどうすることも出来なかった。



 身ごもったかもしれないという事態になって初めて、なずなは、かつて仕えた紅姫をまざまざと思い出した。


 紅姫は心から、縹の御子を慕っていらっしゃった。

 縹の御子も一途に紅姫を思っていらっしゃった。


 何故忘れていたのだろう、と、なずなは一気に血の気が下がる。


 何という……不義理!

 否、人でなしとしか言えない!

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― 新着の感想 ―
[一言] なずなだけが悪いわけじゃないんやで( ˘ω˘ )
[一言] ここで思い出しましたか。
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